04_熾灰

 思うに、狂戦士というのはあんな感じなのかもしれない。背中を蹴られて意識を取り戻した俺は、それ以上記憶を遡ることができなかった。

 全身にはこれでもかというほど何重にも金属の鎖が巻かれている。両手両足を折り曲げた状態で縛られているらしく、うずくまるように丸まって倒れたまま、全く身動きができない。暗い場所に横たわっているが、鼻を突く焼け焦げた臭い以外、状況を理解する手がかりはなかった。

「まーだ生きてやがるか。この、悪党が」

 ヤールと呼ばれていた細身の男の声だ。どこかでうめき声がするが、自分のものか他人のものかがいまひとつ分からない。

「くっそ。おかげで地下室ほとんど灰じゃねぇの。サラマンダーの一種か、こいつ」

 なんとなく、他人事のように思い出す。逃げ惑う男たち、部屋中に火が回っていて、出口が封鎖されて。階段を上がろうとする誰かを引きずり下ろして、ずっと殴っていたような気がする。その前だったか、後だったか、背中に何かをぶつけられたようにも思う。あれは、ろうそくからの引火だろうか。回りを囲んでいた火がだんだん弱くなって、だんだん、息苦しくなって。

「悪いなクラップ。こいつ止めるには、ほかに方法がなかった」

 ううう、とうめき声が聞こえて、炭色の床から炭色の物体がズルリと引き上げられるのが見えた。あいつ、仲間ごと蒸し焼きにしようとしてたってわけか。肩を借りるというより、ほとんど引きずられて階段を上がっていく焦げた男の背中を見やって、俺自身、かなり火傷を負っていることに気づく。鎖が食い込むせいで痛む部分もあったが、ほとんどの痛みはたぶん、焼けて爛れた皮膚だ。身をねじって、特に痛む背中側をどうにか上に向けた。うつ伏せで顔だけ横に向けた状態で、それ以上完全に身動きが取れなくなった。


 それっきり、誰も降りては来なかった。しばらく騒がしかった階上もじきに静かになって、地下室の暗さだけが残る。階段の先の封鎖は解けていて、光がわずかに漏れ伝わっていた。が、指先ひとつまともに動かせない状態で、脱出どころの話じゃない。

 このまま放置されたら、間違いなく死ぬ。恐らく三日とかからずに、乾き死ぬだろう。奴らにはそれが選択できる。抜群に情けないが、今は奴らが戻ってくるのを祈るしかない。


 俺に、誘拐犯としての記憶があればよかったのに。痛みと焦りで混乱した頭で、俺はぼんやりとそんなことを思った。俺が本当に犯人なら、奴らの興味をひく情報を提供できるのに。俺が、A級ハンターなんかじゃなければ。

 いや。どうだろう。本当に俺はA級ハンターだったろうか。一個師団に匹敵するとさえ言われるA級ハンターが、こんなところでひっそりと死を待っているはずがない。証明になるはずの刺青が入った左手も、今やまったく感覚がない。ちぎれて落ちてしまったのなら、俺が冒険者だという証拠はもう、どこにもない。

 骨の髄から寒気が走った。俺は、一体何なのか。顧みられる価値もなく地下室に打ち捨てられたゴミ屑同然の存在。ただの焼け焦げた肉の塊。なんで今まで気づかなかったんだろう。そんな汚物、そもそも誰にも必要とされるわけがない。このままここで朽ち果てるにふさわしい人間。だから、だから置いて行かれたんだ。あの時も、今も。

 既に真っ暗な地下室の闇が、さらに濃くなった気がした。内臓が圧迫されるような息苦しさ。全身の痛みは、空っぽになった俺自身の内部に染み込んでくるようで、その感覚だけが唯一、まだ俺が生きているということを示していた。

 この痛みが消えれば、俺も、たぶん。


 いや。いやいや、いや、ダメだ。取り乱すな。落ち着け。

 俺が何者だろうとどうでもいい。俺にはひとつだけ、やるべきことがあるだろうが。

 プライムを、俺の女房を、元に戻す。そのためならなんだってするし、どうなったっていい。

 忘れるな。俺がどうなろうと、何になろうと構わない。たとえ虫けらになろうと石ころになろうと鼻クソになろうと、俺はプライムの亭主で、プライムを治すために生きてる。それだけは絶対に揺るがない。プライムを盗まれたままで、こんなところで終わっていいはずがないんだ。甘えるな。

 気付けに頭を振ろうとして、それすらできない状況を思い出す。代わりに息を大きく吐いて、俺はどうにか正気を取り戻した。


 全身の痛みに耐えながら、半日くらい、そうしてただじっと転がされていたか。

 不意に足音がして、階上が騒がしくなった。いますぐ、とか、どうして、とか、断片的な怒号も聞こえる。足音が複数駆け下りてきて、ヤールとかいう男が何か叫びながら俺の頭をぐいと引っ張った。ひゃあ、と、聞き慣れない若い声の男がおののく。念入りに巻かれた鎖のせいでかなり重いらしく、二人がかりで何度か転がされたり縦にされたり試行錯誤されたが、最終的に肩と尻の辺りを担がれた。そうしてようやく俺は、地下から運び出されたのだった。

 そのまま外に出され、馬車の荷車に放り込まれた。また頭をつかまれたと思ったら、いきなり水をぶっかけられる。乱暴な扱いに抗議したいところだが、火で炙られて半日乾かされた身体は干からびていて、乾ききった口に水が入ったことだけでもありがたかった。荷物さながらにロープで固定されたかと思うと、あわただしく馬車が走りはじめた。


 揺れがひどい。健康ならば気持ちよく歩けそうな森の小径だったが、車輪が小石をひとつ踏むたびに鞭打たれるような痛みが全身に走る。揺れと痛みで、胃袋の底が煮え立つような吐き気に襲われた。吐くものが何もないのが不幸中の幸いか。いや、水でもいいから吐けるものがあったほうがまだ楽かもしれない。永遠に続くかと思われる地獄のような責苦の中で俺は、ときおり意識が遠のいてはまた戻ってくるのを繰り返していた。

「ひあ、やば、ヤール、これ、死んじゃっ……」

 声がしても、反応する余力がない。いくらか痛みが和らいでいるから、馬車が止まっているのか。髪をつかまれて頭を上げさせられた。口に流し込まれたぬるい水を、どうにか飲み下す。

「大丈夫だ、ほら、生きてる」

 別の声がした。

「でも、これもう死にかけてるよぅ。このままじゃ死んじゃうよ。ハロッズ様に連れてくるように言われたんだから、死なせちゃまずいって」

「しょうがねぇだろ、ミルコ。クラップがあの有様だぜ。最善は尽くしたってことだ」

 声は聞こえてくるものの、頭がぼんやりしていて、言葉の意味を理解することができない。会話を追いかけながら、沼に沈み込んでいくように意識が遠くなっていく。

「だけど、死んじゃったら、僕たち大変だよ。捕まっちゃうかもしれないよ」

「心配するな。捕まるのはこの誘拐犯のほうだ。死んだら手がかりが減るのは確かに困るが、俺たちが意図して証拠を隠滅したわけじゃない」

 水分を補給して、身体の警戒態勢が薄れたか。このまま眠ってしまってもいいような気がしてきた。

「……ハロッズ様に、この人の刺青を説明したんだ。そしたら、すぐ連れてくるようにって」

「偽者だ。騎士に踏まれる龍なんて、絵柄を知ってれば誰にでも描ける」

「ハロッズ様なら実物を知ってるはずだよ。もしこの人が本物なら……」

 覚えているのは、このあたりまでだ。弱った俺の気力では、それ以上意識を保つことができなかった。


 気がつくと仰向けになっていて、馬車とは違う揺れ方をしていた。背中の火傷が鎖越しの板に擦れて痛む。視界には、白い雲の浮いた真っ青な空。建物の先端も見えてきた。どうやら城のようだ。

 そのまま、城の中に運び込まれていく。おそらく戸板のようなものに乗せられて、数人がかりで運ばれているようだった。高い天井に、ろうそくのびっしり乗ったシャンデリアが見える。帝都の城ほどではないが、小規模なりに丁寧に作りこまれているようだった。

 重い扉が開く音。運び込まれたのは、小さいながら小ぎれいに装飾された部屋だ。

「ハロッズ様、これが、問題の男です」

 俺を運んでいたのは兵士らしき男数人で、俺を床に降ろすと鎖を解きはじめた。火傷から滲み出た体液が鎖ごと固まっているらしく、一周解かれるたびに背中の皮膚を引きちぎられるような痛みが走る。血と錆でドロドロになった鎖が引き上げられ、代わりに男がひとり、覗き込んできた。

 一目で貴族だとわかる。服装ももちろんだが、顔つきが違う。人を統べる責任と威厳を担う顔だ。

 男は俺を見て眉根を寄せた。感覚のない俺の左腕を持ち上げ、手の甲を確認する。小さく息を吐いた。

「わが領民が大変な無礼を働いたこと、お詫びしたい。帝国公認のA級ハンター、スコウプ・ネレイド殿」

 まるで、熾火に息が吹き込まれたようだった。気力が、一気に満たされていく。上体を起こして頭を振り、乾いた口の中で舌を動かしてみる。

「……姫が攫われたそうだな。依頼なら、受けるぞ」

 A級ハンターとして、精一杯の答礼だった。男はかすかに口元を緩めた。

「まずは身体の傷を癒して欲しい。わが領の賓客として歓迎しよう」

「あんたが、ウォルス卿か」

 俺の問いに、男は一礼してみせる。

「私はハロッズ・ウォルス。ウォルス・フラファタ自治領の領主を務めている」

 40代前半、いや、まだ30代かもしれない。働き盛りという意味では理想的かもしれないが、この歳で、肩書き上は帝国の老獪な大臣どもと肩を並べる地位にあるということになる。

「必要なものはすべて、こちらで揃えよう。なんなりと申しつけよ」

「とりあえず、女房を返してくれ。あとは屋根と壁のある寝床と、飲める水とまともなメシ。折れた骨と神経を治せる医者がいればありがたい」

 俺はといえば政治的には帝国軍参与、大臣どものひとつ下くらいの特例的な地位になるらしいが、正直詳しいことは良く知らない。A級ハンターは言葉や作法を知る機会もない庶民から成り上がるものだから、多少の不躾は許容範囲として、作法特免と呼ばれる慣例がある。帝にすら敬語を使わなくてもいいくらいだから、自治領の領主相手に敬語を使う必要はないだろう。

「私の屋敷でよければ、来賓用の客間を提供する。奥方もそこへお連れしよう。治療には優秀な重力整復師を。食事や身の回りの世話には、信頼のおけるメイドを常時つけよう」

 重力整復師か。あまりいい思い出はないが、腕を治すには最適だ。俺が頷いてみせると、ウォルス卿は安心したように息をつき、微笑を浮かべた。

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