03_烈火
頭から水を浴びせられて、一気に意識が引き戻された。
腕が痛い。どうやら、床に座らされた状態で後ろ手に縛られているようだ。背中に当たる感触は慣れてきたプライムの背負子ではなく、硬い柱か何からしい。つまり、両腕で柱を挟み込んで手首を縛り、上半身ごと固定されているということだ。足は胡座の状態で、これも縄できつく縛られていた。暗い室内で、ろうそくの光が揺れている。
「気がついたかい、誘拐犯さんよ」
宿の主人らしき男だ。身に覚えのない呼び名に、俺は思わず反応した。
「人違いだ。俺は誘拐なんか……」
「へえ、それじゃ、連れていたのは誰だ?」
「俺の女房だ」
「ほう、女房ってか。……姫君はなぁ、てめぇみてぇな下衆な男の嫁じゃねぇんだよ!」
衝撃が来た。縛られていなければ簡単に避けられる隙の多い蹴りだったが、身体の自由が利かないことにはどうしようもない。みぞおちの辺りに全力の蹴りを受けて、うめき声が漏れる。痛みは怒りに一瞬で変わり、理性より先に罵声が口から飛び出た。
「てめぇッ……!」
男を睨みつけ、発作的に殴り返そうとして縛られた腕が軋む。
とにかく、わけがわからなかった。A級ハンターライセンスを人殺しと罵られるならまだしも、プライムを姫君と呼んで俺を誘拐犯呼ばわりするこの男の真意がまったくわからない。
「プライムを……女房をどうした……!」
俺の言葉に、男は派手な舌打ちを鳴らし、もう一度同じ場所を同じ全力で蹴りつけてきた。胃袋が丸ごと裏返るような激痛。くの字に身体を曲げると、男は俺の髪をつかんでぐいと顔を引き上げた。
「ふざけたこと言い続けると即刻ぶち殺すぞ! てめぇが誘拐したのがどれほど大事なお方だったのか、身体で理解するんだな!」
また蹴られる、と身構えたところに聞こえてきたのは、聞き覚えのある別の声だった。
「まぁ、よしときなよクラップ。ここで殺しちゃ、大事なことが聞けない」
階段を降りてくる音と同時に現れたのは、この宿の場所を教えた、馬に乗ったあの男だった。
「グルだったのか、てめぇら……」
「は? グルとはなんだ。罪もない姫君を攫った悪党はそっちだろ?」
そう言って、いきなり喉笛をつかみ、ぎりぎりと締め上げはじめる。
「その上、ありゃなんだ。薬か? 姫君をあんな目に遭わせて……!」
「ぐ……ぅっ……」
軽薄な口調とは裏腹に、激しい憎しみがこめられた手のひらと指が、喉笛に食い込んでくる。呼吸と血流が止まり、意識が飛ぶ寸前、殺される、と確信したところで、クラップと呼ばれた宿の主人の声がした。
「お前こそ絞め殺してどうするんだヤール。姫君はちゃんと送り届けたか?」
「当然」
投げ捨てるように手放され、俺は力なく咳き込んだ。咳するごとに、さっき蹴られたみぞおちが痛む。
「ミルコのやつに引き渡した。あいつがヘマしなきゃ、今晩にも姫君は城に戻れるはずだ」
どうやら、プライムはどこかの城へ連れ去られたらしい。この辺りで城と言えば、領主のウォルス卿が住むフラファタ城くらいしかないはずだ。
「さてと、誘拐犯さんよ。できればさっさと観念して、洗いざらい話しちゃくれませんかねぇ。その方がお互い、痛みが少ない」
ヤールと呼ばれた方の男はそう言って、痩せぎすの長身で俺を見下ろした。
「どうして姫君を誘拐したのか、どこへ連れていく気だったのか、お前らのアジトはどこなのか」
喉笛を靴の裏で押し込まれたのは生まれて初めてだった。息が止まって、池の魚のように口ばかりが無意識にパクパクと開く。屈辱的なのは言うまでもない。
「言えよ」
ひときわ体重をかけられて、喉の骨が折れる寸前で解放された。があっ、と、自分でも驚くほどの呼吸音が響きわたる。言え、と言いながら喉を潰してくるのだからおかしな話でもあった。が、知らないことは話しようがない。咳込んで、どうにか絞り出すように声を出すと、年寄りのように低くしわがれた声が出てきた。
「……とにかく、人違いなんだ。俺はスコウプ・ネレイド。帝国のA級ハンターだ。あれは俺の幼馴染みのプライムで、連れてきたのは病気のせいで、これからフラファタの吊り橋を渡っ」
鈍い音と共に、俺の主張は掻き消された。今度蹴られたは胸だ。ヤールという男、呼吸器ばかり狙い撃ちしてくる。
「言ったろ? お互い痛みは少なくしようって。お前らが都党を組んで城の中庭に侵入したことも、二人の護衛を切り刻んで無惨に殺したことも、姫君を連れ去ってどこかに隠したことも、フラファタの人間ならみんな知ってる」
俺は初耳だ、と返そうとしたが、やめた。ズズズ、と、重いものを引きずるような、いやな予感しかしない音が、暗い部屋に響いたのだ。
「言え。アジトはどこだ」
音の主はクラップだった。両手で引きずってきたのは、俺の足よりも太い丸太。
「言わなきゃ、こうだ」
大きく振り上げられた丸太は水平に振り抜かれ、俺の左の二の腕を直撃した。咄嗟に身構えて筋肉を固くしたが、衝撃は腕だけでなく全身を襲う。しわがれた叫び声に、脳みそがずれるような感覚。柱に縛られているせいで倒れることもできず、打たれた左腕はぐいと伸びきって、嫌な方向に負荷がかかった。
「話すまで、何度でもやるぜ。自慢の刺青がついた腕が惜しけりゃ、素直になりな」
無茶だった。話したくても、知っていることなど何一つない。けれど同じ打撃をまた受ければ、左腕が折れるだろうことは容易に想像がついた。何を話せと言うのか。
「とにかく、待ってくれ。協力はいくらでもする。姫を探す手伝いもする。だからまず俺の話を聞」
鈍い音がした。痛みと共に、絶望感が全身を支配する。叩き折られた二の腕から先は、俺の感覚の中から消失した。
「言い訳を聞きたくてやってんじゃねぇんだよ! アジトだ! 場所を言え!」
クラップのダミ声がやけに遠くに聞こえた。指先から二の腕まで、冷たく痺れたように全く感覚がない。動かそうとしてみるが、指はぴくりとも動かない。
左腕が、なくなった。
全身の血が逆流するのを感じた。そもそも俺は、なんだってこんな下衆どもの下手に出てるんだ? 女房を奪われて、俺自身いいように弄ばれて。
「……なんだって……こんなに……」
ふ、ふふふふ、と無意識に妙な笑いが出た。守るべきものを奪われ過ぎた俺に、これ以上保身する理由はない。
「知らねぇもんは知らねぇっつってんだろ、糞どもが」
クラップとやらを視線で射抜く。ガタイのいい宿屋の主人が一瞬たじろぐ。
「俺はなぁ、こんなとこで、てめぇらと遊んでる暇は……」
ねぇんだよ。両膝を無理やり立てて、柱に背中を押し付けるようにして立ち上がる。縛られた手足がぎちぎちと音を立てているが、知ったことか。どうせ動かないんだ、腕なんかちぎれたっていい。右手でロープを強く何度か引っ張ると、ブチン、と音がして右腕が自由になった。
「……ぶっ殺してやる……」
ひっ、という声が聞こえた。順番も方法も思いつかないが、ただ純粋な、燃え上がるような破壊衝動だけがあった。とにかく、動くものをすべてぶっ潰す。頭の中は真っ白だった。それはもはや、俺自身ですらなかったのかもしれない。あとはただ、為すべきことをしてやるだけ、だ。
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