02_宿場
冒険者が無一文でも宿に転がり込めるのは、泊まり込みながらギルドの依頼を受け、金を稼いでから支払うという慣例があるからだ。宿屋の多くは冒険者ギルドを兼ねる。冒険者ギルドの公認宿は、ギルド本部から発給される看板を掲示しているからわかりやすい。詳しいことはよく知らないが、周辺の依頼をまとめるために、村や町の規模に合わせて公認宿の開設軒数が決められているそうだ。帝都やルクシアなどの大規模な都市でもない限り、大抵の村や町には公認宿は一つしかないのが通例だった。
俺の場合はプライムがいるから、オルセンキアまで仕事を受けるつもりはなかった。そのための路銀だったわけだが、この状況では背に腹は代えられない。プライムの安全を確保できる場所を作って一仕事、腕を振るわざるを得なさそうだ。
「まさか……スコウプ・ネレイド! あんた、新しいA級ハンターのスコウプか!」
左手の刺青を見せた途端、横柄だった宿屋の主人の態度は一変した。俺の名前を言い当て、英雄を見るように目を輝かせる。帝都から離れてかなり経つと思っていたが、このあたりではまだ、A級ハンターは憧れの的でいられるらしい。
とっておきという広々とした部屋に通され、宿代は要らないとまで言われたが、そうまでしてもらう義理はない。たっぷり一晩休んでから、こなせそうな仕事をすべて請け、プライムを宿の部屋に残して俺は仕事に出た。
午前中にゴブリンの巣穴を一掃し、午後になる前に夜盗のアジトを特定、逆に寝込みを襲う形で夜盗を追い払うと、アジトからは捜索依頼の出ていた宝石や鏡が次々と出てきた。夕方に畑に出るというタヌキの化け物を待ち伏せし、暗くなる前には首と尻尾をたたき切って、宿に戻ってくることができた。
DランクやCランクの仕事ばかりだったが、金持ちの宝飾品奪還の仕事があったのは運が良かった。都合5つの依頼を解決し、盗まれた財布の中身の3分の1程度の金を一日で取り戻してやった。少々色をつけて宿代を支払い、頼んでもいないのに出てきた宴会のように豪勢な夕食を平らげ、一晩きっちり眠ってから、俺は宿場町を後にした。補給していこうと考えていた携帯用食料は、礼を言おうと宿の玄関で待ち構えていた依頼者たちが、持ちきれないほど用意してくれた。
クレシュには「A級ハンターの証をめったやたらに見せびらかすな」と言われていた。が、こいつはまるで快適な旅を保障する旅券だ。俺はこの一件に味を占め、派手に金を使っては宿場町で左手の刺青を見せて仕事を請けるという、流れ者のハンターそのものの生活を続けていった。
街道といっても何箇所かの難所がある。突き当たったのが、巨大な魚竜が棲むと言われる急流、フラファタ川だった。渡し舟すら出せないため、南に大きく逸れて湖まで出て、そこから船で渡るか、上り坂をまっすぐ北に進んでウォルス・フラファタ自治領に入り、高額の通行料を支払って領内にある吊り橋を使うか、旅行者は選択を迫られる。
本当に棲んでいるなら伝説の魚竜を相手にしてみたい気持ちもあったが、今は遊んでいる暇はない。当然、俺は北ルートを選んだ。持ち金は心もとなかったが、足りない分は自治領内の宿で仕事をすればいいだけの話だ。
さすがに帝都から離れてきただけのことはあって、フラファタ川手前の宿場町に俺の名前を知っている住民はいなかった。宿の主人だけがようやく刺青を理解したかと思えば、怯えたように驚いた様子を見せる。初めての、意外な反応だった。A級ハンターライセンスは、状況に応じ殺人さえも許可される。都市を離れれば離れるほど、人殺しの証と思われる可能性があるのだと、クレシュは言った。それを思い出した俺は、宿泊を取りやめ、早々に町を後にした。
実際、徒歩で行く旅行者はほとんどが南ルートを使う。自治領が切り開かれる前は南ルートしかなかったというし、高額を必要とする北ルートを使うのは急ぎの商人や貴族がほとんどだ。当然、彼らはたいていが馬車で通ることになる。そこにちょっとした落とし穴があった。徒歩での移動を想定していない道には、徒歩圏内での宿場がないのだ。
その事実を最初に教えてくれたのが、馬に乗って俺を追い抜いていった男だった。男は俺の背中をしげしげと眺めて、その女性をどうしたと聞く。病気の女房だと答えるや、この先に小さな宿があるから利用するといい、それを逃すとしばらく泊まれる場所はない、と教えてくれた。
男に言われてようやく見つけた宿は、宿というより小屋つきの馬小屋といった風情だった。大きめの馬小屋に、寄りかかるように小さな宿。隣に2つほど見える小屋は、従業員の居室だろうか。建物はそれだけで、町どころか村ですらない。人を泊めるためというより、馬を休ませたり、交換したりするための施設らしかった。
もう少し歩けば商人向けのまともな宿が見つかるような気もしたが、しばらく宿はないという男の話が本当なら、これ以上歩き続けるのは危険だった。丸二日、だらだら続く坂道を上り続けてきたせいで、実際俺はかなり疲れていた。ここでまともなメシを食って、いったん眠っておかないと、また路上で大の字になってしまう恐れがあった。
「……開いてるか」
半ばふらつきながら入り口を入ると、カウンターにいたガタイのいい男が、おっ、と短く声を上げた。
「歩きで来てるってのはあんたか。なるほど……」
ここを教えてくれた男が宿の主人に話していたらしい。たっぷりと冷たい水の入ったグラスまで用意されていた。
「ま、とりあえずこれ飲みな」
喉はからからに渇いていた。なんの疑問も持たずに俺はグラスを取り、一気に飲み干した。少々妙な味がした気がしたが、途中で吐き出すことなど夢にも考えなかった。
「助かった。部屋は……」
言いかけて、ふわ、と身体が浮いた。いや、制御不能になったのだ。そんなに疲れていただろうか、と咄嗟に考え、覗き込んできた男の表情が状況に不釣合いだと気づく。
「さぁて、とうとう捕まえたぜ、誘拐犯さんよ」
男に何か言い返そうとしたが、その前に意識のほうがドロリと溶け、一瞬後には何もかもわからなくなっていた。
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