フラファタ事件
01_道行
帝都を出てからの俺は結局、忠告を何一つ受け入れていなかった。
師匠であり上司でもある帝国軍相談役、クレシュの「今は自分の身体を嫁さんのものだと思え」という言葉も忘れたわけではなかった。が、しっかりと腹に落ちたわけでもない。あるのはただ、目的地である学術都市、オルセンキアに一刻も早くたどり着くこと。そのためにまず、街道に沿って東に進み、一秒でも早く帝国第二の都市ルクシアの門をくぐることだけだった。
当然だ。俺の女房は息もせず心臓も動かさず、それでも眠ったように温かく美しいままなのだ。どんなカラクリでこんな目に遭わされてるのか知らんが、原因も状態もわからない以上、いつ本当の死に向かうかもわからない。とにかく、一刻も早く、一人でも多くの医者に診せて、ひとつでも多くの治療を試したかった。
はじめのうちは、宿場町を一つずつ訪ねて医者を探し、プライムを診せた。だが、医者に診せればそれだけで半日以上潰れる上、町医者どもは揃って頭を抱える。死亡診断したがる医者も多かった。流石に毎回ぶん殴ってもいられない。帝都最大のコアリア病院の院長の診立てを伝えるようにした途端、埋葬したがる医者はぴたりといなくなった。が、今度はそれを聞いただけで匙を投げる奴が増える。半日費やして、ほとんどが現状を再確認するだけの無駄足。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。秘境の村や異文化の町ならともかく、街道沿いの町医者に、特別な知識や技術があるとも思えなかった。次第に毎回医者を探すのが億劫になる。食料と燃料が潤沢なら、町に寄る時間も無駄に思えるようになってきた。しまいには、宿に泊まる時間さえもったいなくなってくる。宿場町は俺にとって、物資の補給基地でしかなくなっていった。
道中も、最初はセオリー通りだった。日中は歩き、夜は野営してメシを炊き、朝まで焚火の前で眠る。だが、荷重を受ける両肩は赤く腫れて痛み、一晩休んだくらいじゃ回復しない。さらに野営中は、小型の魔物が現れてはいちいち睡眠を阻害した。もちろん、いくら眠っていようとも、この辺りの魔物や獣どもをあしらうのは戦闘なんて大層なもんじゃない、息の根を止めるだけの作業だ。が、そんな相手でもいきなりプライムに食らいつかれでもしたら、取り返しのつかないことになる。必然、警戒レベルは上昇し、眠りは浅くなるばかりだった。休んでも歩いても疲れが変わらないなら、歩いたほうがいいに決まっている。
こうして俺は、夜はランタンの明かりを頼って歩き、野営をしないことにした。少し値は張るが、メシは調理の要らない干し肉や焼き菓子を調達すればいい。これなら、短い小休憩を取るだけで済む。行軍速度は飛躍的に向上した。
無茶をしているという自覚はなかった。が、人一人を背負ったままほとんど眠らず昼夜を通して歩き続け、宿場町で補給だけして進み続けるという強行軍に、しまいには身体のほうが悲鳴を上げた。何日目かわからなくなった朝日を記憶の最後に、気がついたときは街道の脇にうずくまって気を失っていたのだ。何時間をロスしたのかはわからない。水だけ飲んで慌ててまた歩き出し、一度か二度の夜を越えたあたりでまた意識が吹っ飛んだ。今度は街道のど真ん中で歩いたままぶっ倒れたらしく、倒れた際に打ったと思われる額と頬に痣ができていた。
失ったのが意識だけならまだ良かった。そこからどうにか宿場町にたどり着き、食料を買おうとしたが、財布が見つからない。詰め込んであったはずの空間だけが、ぽっかりと空いていた。
疲れでぼんやりする頭の中が、真っ白になる。一年分の定額給与、東の果てオルセンキアまでの路銀を、いきなり、全て失った。
鞄の蓋はきちんと閉じていたから、落としたとは考えにくい。盗まれたのだ。コソ泥ごときに。鞄の財布を抜き取られても気づかない状態だったということは、プライムに何をされてもわからなかったということだ。俺の命を含めて、財布以外が無事だったことをむしろ感謝すべきかもしれない。
疲れ切った身体にこのダメージはデカすぎた。しばらく道端にへたり込んで、ぐったりと沈み込む。
帝都まで引き返すか。いや、戻るにしても食料は足りなくなる。さらに、戻ったところで給料の前借りはこれ以上できそうにない。他に金が無心できる当てもなかった。旅を諦めるつもりがないなら、帝都に戻る選択肢はない。ならば。
ついに俺は観念し、この町で宿をとることにした。
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