13_決意
「おやめなさい二人とも!」
エリヤ姫の、空を切り裂くような声。老婆は歌を飲み込み、メイシアの杖からは殺気が消えた。子どもたちの歌声が乱れる。一瞬立て直してから、消え入るように徐々に小さくなり、呪歌は閉じられた。
姫はメイシアを見据えていた。動けるはずだったが、メイシアは立ち上がろうとはしなかった。
「……私は」
エリヤ姫が話しはじめる。
「……私は、エリヤ・ウォルス。ウォルス・フラファタ領をあずかる父の娘です」
射抜くようなまっすぐな視線を一度伏せ、今度は老婆を見やった。
「ですが同時に、フラハ族の長であるべきレミアの子でもあります」
老婆はだらしなく口を開いた。ああ、と小さく声を漏らす。
呪歌は消えたのに、誰も、動こうとはしない。ため息と呼ぶには強めに、エリヤ姫はふうっと息を吐いた。
「ずっと、考えていました。どうすればいいのかを。争うことなく、二つの勢力が共存できる方法を」
そして、ひとつだけ。そう言って、姫が立ち上がる。
「ひとつだけ、方法があります」
姫は一歩進み出た。
「参りましょう。フラファタ城へ」
メイシアの瞳に希望の光が宿る。ひぎぃ、と老婆が叫んだ。
姫がゆっくりと、振り向いて老婆を見る。
「勘違いしないでください。私は、父のもとに帰るのではありません」
右目から血の筋を流したまま、姫は老婆に微笑んだ。
「私は、フラハ族の王位継承者として、現フラファタ領主であるハロッズ・ウォルス卿と接見するのです」
フラハ族として、父であるウォルス卿と会う、ということは。
「これ以上森の破壊を行わないこと、フラハ族にはこの森に暮らす権利があること。フラハ族の代表として、この二つを書面をもって約束してもらうつもりです」
「し、しかしエリヤ様、わしらにそんにな条件を飲ませるほどの交渉材料は……あっ」
気づいてしまった、とばかりに老婆は息を飲む。姫はうなずいて見せた。
「ええ、一つだけ、ここに。……私の身柄です」
つまり、家に帰る代わりに、フラハ族の居場所を守ってやってほしいというわけか。
「いいですね? メイシア」
姫の言葉に、メイシアはおずおずとうなずいた。
「私は……、姫さまをお城にお連れできるのなら、それ以上のことはございません」
老婆は俯いて少し考え、しかし激しく首を振った。
「いけませんエリヤ様! それでは敵の思うつぼですぞ! 城に閉じ込められ、約束などせぬと一喝されれば、我らフラハの民は女王を再び失うことになるではないですか!」
確かに。このままただ帰って父親と話したところで、家出娘のわがまま、おかしな洗脳で自分を見失っているだけ、とあしらわれてもおかしくはない。
エリヤ姫は小さく嘆息した。そうですね、とつぶやいてあたりを見渡す。不意に、視線が俺に止まった。
「……確かな投石の腕前、お見事でした。かなり腕の立つ冒険者の方とお見受けします。ひとつ、依頼させていただいてもよろしいですか」
面食らった俺に、エリヤ姫は続ける。
「護衛任務です。私に同行し、剣と盾となってください。フラファタ領主から私が不当な扱いを受けるようであれば、城から脱出する手助けをして欲しいのです」
本能的に、城の衛兵の数と配置が思い出された。謁見の間から、裏口まで。実際に総出で攻撃を受けた場合、俺一人で活路を見出すのはかなり厳しい。そのまま逃げることになるならプライムを連れていく必要もある。成功率は決して高くない依頼だった。だが。
「……いいだろう。報酬は銀貨2枚以上でいい。あとで、ギルドにでも話を通しておいてくれ」
できない仕事ではないだろう。ウォルス卿自身に俺への負い目があるし、本気で姫を殺すとも思えない。姫を取り押さえさせず、道塞ぎを取り除くといった程度なら、俺一人でも充分に可能なはずだ。
老婆が、呪殺しそうな勢いで俺を睨みつけている。
「信用できるもんかね。ウォルス家のメイドに連れまわされる男なんぞが」
随分な言われようだ。メイシアが俺の代わりに老婆を睨み返した。
「この方は、帝国のA級ハンター、スコウプ・ネレイド様です」
眼球がこぼれ落ちてくるかと思うほど、老婆は目を見開いた。
「帝国! 帝国の!」
どうやら、俺を帝国の化身かなにかと捉えたらしい。
「なにが禁呪じゃ! わしらの音楽魔法を禁止して、使った者は火あぶりだなどと、なにが、なーにが帝国、帝国じゃ!」
鼻息荒くまくしたてる。
「どうせ、わしらをつるし上げて、一人残らず火あぶりにしようっていうんじゃろ! そうは、そうはいくかね! わか、若造の、くく、くせに!」
「婆、落ち着いて!」
姫の一喝で、固まるように老婆は停止した。
「婆、大切な音楽魔法を禁じられた気持ち、少しですが私にもわかります。ですが、この方が禁呪に指定したのでもなければ、それを使ってみせた私たちを罰するつもりもないはずですよ」
ね、とエリヤ姫が微笑みかける。言われてみれば、断罪してこの場のフラハ族全員を処刑する権限が俺にはある。だがもちろん、そんなことをするつもりはなかった。姫を手にかけるなどもってのほか、仮に姫ひとりを見逃して他のフラハ族を殺害したところで、何の見返りもない。一見ウォルス卿に加担するようにも見えるが、対立を煽るだけで、フラハ族の残党が俺やウォルス家をつけ狙うかも知れず、誰一人得しない結果になる。
俺が頷いてみせると、老婆はすうっと目を細めた。
「よろしい。……ならば、誓いの盃を交わしてもらいますぞ」
妙なことになった。目の前には、木の根を彫って作られた不格好な器が二つ。老婆の手で、壺の中から液体が注がれていく。
「ただの毒薬じゃよ、遅効性のね。飲めば4日後、喉が詰まってぱったりと死ぬ。死にたくなければ、それまでにこの解毒薬を飲めばええ」
古びたガラスの瓶に入った青緑色の液体を振って、老婆は続ける。
「わしが飲んで、お前さんが飲む。わしがすぐに死なないのを見届けてからで構わんよ。わしはお前さんがたが見えなくなったら解毒を使う。お前さんは、4日経つ前にエリヤ様を連れて、もう一度ここへ来るんじゃ」
「……こいつの効き目が4日だって保証は? それに、戻ってきたときに解毒を出さないってやり方もあるはずだ」
「ひひ、疑り深いねぇ帝国のハンターさんは。エリヤ様の護衛を早死にさせてもわしらに得はないよ。いくら帝国の犬じゃろうと、約束を守ってエリヤ様を連れ戻してくれた人間を見殺しにするほとわしらも冷血じゃあない。そんなに心配なら、兵隊さんをたっぷり引き連れて戻ればええじゃろ。なんなら、戻ってすぐに軍隊を寄越したってかまやしないよ。自分の命と引き換えにあたしらを殺す気概があるんならねえ」
老婆の言葉を聞きながら、器の中の毒薬を見る。微かに白っぽく濁った、酒のような液体。4日か。それまでにウォルス卿と話をつけるか、駄目なら強行突破してここへ戻る。不可能ではないはずだが、命を賭けて約束できるかと問われると、不安になってくる。
「覚悟はいいね? それじゃ、はじめようかね」
老婆が器に手を伸ばす。しかし、横からそれを取ったのは、エリヤ姫だった。
「婆、フラハ族の代表としてなら、私がこれをいただきます」
ひ、と老婆が息を飲む。おやめください、とメイシアが叫ぶ間に、エリヤ姫は一息で毒薬を飲み干してしまった。
「さあ、お願いしますスコウプ殿」
姫が俺を見据える。覚悟、とさっき老婆は言ったか。それなら俺だって、とっくにできている。この旅に出たとき、いや、冒険者を志したときに。ここまでの覚悟を見せた依頼主を前に、依頼を破棄して逃げ帰るくらいなら、服毒して死んだほうがましだ。
ごつごつとした木の根の器を手に取る。そう言えば、毒を飲まされるのはこれで二度目だ。俺は目をつぶって、毒を一気に喉の奥へ流し込んだ。
青草にアーモンドを練り込んだような、ひどい味がした。
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