11_旅立

 コアリアの東門から出るつもりだった。街道まで送ると言ってクレシュがついてきている。見送りなんかなくてもいいんだが、あって困るということもない。しばらくは眺められなくなるだろうコアリアの繁華街を抜けて、俺たちは東門へ向かった。

「本当に、荷物持ちの兵士は要らんのか? うまいこと話持っていけば、公務扱いで兵士の2~3人はつけてやれるぞ」

 俺は改めて首を振った。同行人がいれば確かに何かと助かるだろうが、これは俺自身で解決すべきことだ。帝国に甘えるためにA級ハンターになったわけじゃない。それに、俺のペースについてこられない兵士を抱えてしまった場合、かえって足手まといにもなる。荷物を持たせるとなればなおのこと、俺より体力のある人間でなければ務まらないだろう。


 東門の脇に、仁王立ちの大柄な老人がいた。長い髪と髭、見覚えは大アリだ。俺たちを見つけて、持っていた杖を振り上げる。

「貴様ぁ! さんざこのわしを使っておいて、挨拶もなしにオルセンキアへ行こうとは何事か!!」

 怒り心頭といった風情のケストラーに、謝礼は俺の給料から出てると聞いたが、なんて言っても火に油を注ぐだけに終わりそうだ。クレシュがやたらな大声で、たいへん失礼いたしましたあっ、と直角に腰を折ってみせた。

「いやあ、お忙しいところをお邪魔しては失礼かと思いましてね。お耳に入りましたか。わざわざお出ましいただいてしまって恐縮です」

 言葉のわりに、全く恐れても縮んでもいないクレシュは、爽やかな笑顔を見せながら言ってのけた。その鼻先に向けて、ケストラーは杖を突き出す。

「わしはこんな仕打ちを受けるために時間を削って蘇生法を探したわけではない」

 低くつぶやくようなケストラーの言葉に、はははと笑ってクレシュは頭をかいた。

「俺もこいつも、不躾な平民出身の冒険者あがりなもんで。ここはひとつ大目に見ちゃあくれませんかねぇ」

「ふん、上級ハンターの作法特免か。何をやっても許されるという意味ではないぞ」

 言いながらもケストラーは杖を降ろす。クレシュは軽く息を吐いた。

「第一、このわしに一言もなくオルセンキアに出向こうなんざ百年早いわ。魔法学院にツテ一つ持っとらん小僧が」

 行くのはラテラ大聖堂で、魔法学院には特に用はない。なんて言ったらこれもまた火に油なんだろうな。

 押し黙ったまま俺が見つめていると、ケストラーはローブの袂から封筒を取り出した。

「小僧、お前に一つ仕事を与えてやる。無礼を詫びる気があるなら、こいつをオルセンキア魔法学院の学長に配達することだ」

 投げて寄越された封筒には、達筆でバウルース・ギム学長と宛名が書かれている。

「わしの教え子じゃよ。なに、大した内容じゃない。単なる近況報告じゃ。ついでに、めずらしい病についても記しておいたがな」

 プライムの病状を、帝国の最高学府である魔法学院の校長に伝えろということか。つまり。

「魔法学院で、プライムを診てもらえってことか……?」

 ケストラーは蝿でも追い払うかのように顔の前で激しく手を振った。

「知らん、知らん! 学院は病院でも教会でもないでな、人を救う義務なんぞないわい。連中が研究対象として興味を持つかどうかなんぞ、わしの知ったこっちゃあない」

 鼻を鳴らして憮然とするケストラーを呆気に取られて見ていると、またしても首根っこをぐいと押し込まれた。

「ありがとうございますっ!」

 一緒に深々と頭を下げたクレシュが大音量で謝意を述べる。頭上でケストラーの嘆息が聞こえた。

「せいぜい、道中のたれ死なんよう頑張ることじゃな。わしの信書を持ったまま死なれちゃ、寝覚めが悪いわい」

 足音に頭を上げると、大魔導士の丸めた背中が遠ざかっていった。


「あの爺さん、融通利かない頑固者だとばかり思ってたが、案外かわいいとこあったなぁ?」

 ケストラーの背中が見えなくなったころ、苦笑しながらクレシュは言った。

「ラテラ大聖堂にルクシアの医校に魔法学院か。まるで頭脳の最高峰をめぐる旅だな」

 俺の頭をわしわしと撫でながらハハハと笑う。

「これでダメならお前さん、あとはもう、凍土の白い魔女か、龍の峰の医者にでも診てもらうしかないな」

 魔女? 医者? 怪訝な顔で俺が見ると、あれ、知らんか? とクレシュはきょとんとしている。

「凍土の白い魔女ジュドリー、龍の峰の医者キール。どっちも不老不死の大魔法使いだって話だ。ま、神話ですらない伝説の、おとぎ話の一種だがな」

 思えばこれが、俺がキールについて聞いた初めての噂だった。

「そうならんことを祈るよ。ああ、そうだ魔法使いと言えばだが」

 この先出会うことも多かろうし、とクレシュはこともなげに続ける。

「魔法使いのあの杖な、あれには気をつけろよ。使い手によってはどえらい炎だの雷だのがいきなり噴き出す。目の前で構えられたら流石の俺らも避けようがない、生殺与奪を握られたと思ってくれ。ま、そんときゃ覚悟決めろな」

 さっきのケストラーを思い出す。目の前どころか、鼻先に杖を突きつけられていなかったか。

 大きく一つ伸びをして、クレシュは空を見上げていた。


 帝都の東門を抜ける。道が一本、東に伸びていた。城塞都市であるコアリアの城壁の外には、一見のどかな畑や果樹園が広がっている。だが、城壁内に一切の魔物が侵入しないのに対して、壁の外は獣や魔物も多い。目立つ魔物が現れれば、公費で宿屋の冒険者ギルドに討伐依頼が行くこともあるが、よほどの金持ちか有名人でもない限り、魔物の単発の襲撃なんぞはろくな捜索もされずに諦められてしまうことがほとんどだ。むしろ、高級な果物なんかを荒らす害獣のほうが、私費での討伐依頼がかかりやすい。実際、壁の外で働くことを余儀なくされている農民は、毎年何人も魔物の餌になっている。街の外というのは、そういう場所だ。

「……いよいよだな、スコウプ」

 クレシュは、遠くのオリーブ畑に眼を向けたまま言った。

「お前さんが一人で身軽に行くんなら、ルクシアでもオルセンキアでも安心して送り出せるんだがな。……かなりしんどい旅になるぞ」

「ああ。言われなくても覚悟はできてる」

 そうか、とクレシュは一瞬だけ視線を足元に落とし、振り仰ぐように短い髪をかきあげた。

「んじゃ、上官として一つだけ、帝国軍参与スコウプ・ネレイドに命じる」

 クレシュが俺の目を真正面から見据える。鳶色の瞳の奥が微かに青く見えた。

「……死ぬなよ。以上だ」

 どんな受令のしかたが正しかったのだろう。俺は、こくりと頷くことしかできなかった。


 晴れでも雨でもない、灰色の曇天。強い日差しや冷たい雨に晒されるよりは楽だ。パッとしない空だが、多分これは今の俺にとって、最高のコンディションなんだろう。

 長くなるだろう旅の最初の一歩を、俺は踏み出した。

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