10_支度
暮れ方の練兵場に飛び込むと、俺はクレシュを見つけて駆け寄った。休日の午後にクレシュがどこで何をしているかは大体把握している。丸太相手に打ち込みをしていたクレシュは、ギョッとした顔で手を止めた。
「……相変わらずだなお前さんは。どうした、そろそろ本格的に身体を動かす気にでもなってきたか」
「今すぐオルセンキアに行く。悪いが俺の給料を可能な限り前借りさせてくれ」
寝起きの格好のまま島を飛び出してきた俺は、武器すら携行していなかった。長旅となれば、用意しなくちゃならないものも色々とある。路銀もあればあるだけ役に立つはずだった。
オルセンキアぁ? 今すぐだぁ? と素っ頓狂な声を上げるクレシュを、俺は半ば強引に執務室まで連れて行った。
「……なるほど、言いたいことは分かった。ラテラ大聖堂で、業魔認定を受ける、と」
アメリア主教も考えたな、とつぶやいてニヤリと笑うと、クレシュは大きめのため息をついて見せた。
「しかしなスコウプ、いきなり前借りと言われても、俺もポンと渡すわけにはいかん。善処はするが、そうだな、3日ばかり、待ってくれんか」
長すぎる。俺は即座に首を振った。待てるのは、アメリアが推薦状を用意すると約束してくれた明日の午後までだ。
クレシュは呻き声を上げながら短い髪をかきあげた。
「そうは言っても、ない袖は振れんよ。……なんて言ったらお前さん、その格好で丸腰のまま飛び出していっちまいそうだな」
ひとり苦笑して、しばらく天井を仰ぐ。額にコツコツと握り拳を当てていたが、やがて諦めたように長めの息を吐き出した。
「……わかった。明日の午後な。それまでに、できるだけのことはしておいてやる」
それでいいか、とクレシュに念押しされて、仕方なく俺は頷いた。本当は、今すぐにでも飛び出したい。アメリアが明日の祈祷のあとに推薦状を渡すというから待っているだけだ。推薦状を受け取り次第すぐにここに来る旨を伝えて、俺はクレシュの執務室を後にした。
人生で一番長く感じた夜を越え、アメリアの祈祷が終わるのをジリジリと待つ。どうせオルセンキアへ行くんだから祈りなんてもうしなくてもいいのに、これをしないと推薦状を渡さないと言われれば待つしかない。祈りの言葉が終わるや否や、俺はアメリアに食らいつくように、約束の推薦状を求めた。手のひらに収まるほどの封筒一つを受け取って、俺は病室を飛び出した。
「こら」
首根っこをいきなりつかまれる感触。
「アメリア主教に推薦状をいただいて、挨拶もなしか。お前さんなぁ、せめてもう少しは、この国の軍の上に立つ者としての自覚を持っちゃくれんか」
ため息をつくクレシュに病室へ押し戻される。ぐいと首筋を押し込まれて、強制的にアメリアに頭を下げた格好になった。ご武運を、と笑顔でささやいてアメリアが退出していく。状況が飲み込めずにいると、代わりとばかりに院長が入ってきた。そのあとには兵士が数人、荷物を抱えて続いている。
「どうせお前さんのことだ、取るもん取ったら飛び出してきちまうだろうと思ってな。こっちから出向かせてもらった。ついでに、ほれ、できる限りの用意もしておいた」
ベッドの上に兵士が服を並べている。
「まずはこいつに着替えろ。ローブ一枚じゃ、道中の魔物相手に大立ち回りもしづらかろう」
一般兵に支給されるような普通の布服上下と、革製の肩当てと膝当て、武器類を装着できるベルト。新品ではなさそうだったが、充分に清潔だ。革のブーツもある。一通り身に着けると、クレシュが手袋を差し出した。
「こいつがただの滑り止めじゃねぇのは知ってるな。左手のその刺青、めったやたらに見せびらかすんじゃねぇ」
革の手袋は、一般的な冒険者用のものだった。左手の甲の部分が開閉式になっている。せっかくA級ハンターになったんだから、ランクの低さを恥じる必要はない。いよいよ隠さずにいられると思ったんだが、まだこれを使う必要があるんだろうか。
「言ったろ。A級ハンターの証は、見る者によっちゃ殺人許可証だ。帝都周辺じゃ英雄かもしれんが、なかにはよく思わない連中もいる。無駄なリスクを背負い込まないためにも、不用意に露出しない方がいい」
殺されて当然の悪党ごときに敵視されても、襲ってくるならお望み通り斬り捨ててやるから構わないんだが。まあ、集団で寝込みを襲われたりするのは流石に面倒だから、とりあえずはクレシュの言う通りにしておくか。
手袋をつけると、クレシュは中型の剣を一本、俺に差し出した。
「お前さんの好みがもう少し大ぶりな剣なのは分かってる。だが、嫁さんを背負って旅するとなると、背中から抜くタイプは使えんだろ」
俺のお古だがな、とクレシュが笑う。左腰につけてみると、クレシュの剣は思ったよりしっくりとおさまった。
「あとは、わりと定番の道具諸々だ。俺ならこのあたりだなってのをかき集めてみたが……」
ナイフ、水袋、火打石、小型の片手鍋、スプーン、毛布、雨除けの外套、ロープに麻紐、金属製のフック、ランタンと油、火起こし用の綿くずが入った木箱に、岩塩や携帯用の食糧。天幕用の平布は、シーツとして使っても良さそうだ。
「これは……?」
手のひら2枚分くらいの大きさの、異様に伸び縮みする布のようなもの。四隅にループが付いている。触れると柔らかく、それでいてペタペタと肌に張りつくような、特殊な材質だ。
「ああ、そいつは撥水布だ。深海のとある魔物の腸を干して洗うと採れる繊維らしい。簡易的なバケツとしても使えるし、こうやって四隅を引っ張って地面に打ちつければ、ほれ、お前さんが寝られるくらいには広がる。野営にはもってこいだぞ」
おそらくかなり高価なものだ。買おうとしたら、金貨1枚で足りるかどうか。
「他に、足りないものはあるか?」
「そうだな……スリングが欲しい」
「ああ、お前さんがたまに使ってる投石器か。雑貨屋に行けばあるはずだな」
クレシュが合図を出すと、兵士が一人、部屋を出て行った。早速買ってくるつもりらしい。
「それから、こいつは急ぎ作らせたんだが……」
大きめの包みをクレシュが解くと、竹製の椅子が出てきた。いや、正確には椅子ではない。脚はやたらに短いし、背もたれの後ろにはベルトのようなものが2本ついている。椅子の左右と座面の下には、革の鞄が取りつけられていた。
「いわゆる背負子ってやつだ。コアリアで一番軽い椅子を探して加工させてみたんだが」
素手で嫁さん抱えていったら、両手塞がってコボルト一匹追い払えないだろ? とクレシュが苦笑する。確かに、どうやって連れていくかは全く頭になかった。背負っていこう、と漠然と考えてはいたが、こんな方法があったか。
「道具類は、三つの鞄をうまく使ってくれ。取り外しもできるから、臨機応変に使えるはずだ。左右の重さのバランスに気をつけてな」
これだけのものを、たった半日で用意したのか。改めて、クレシュの気遣いと根回しの巧さには恐れ入る。実際に道具類を詰めてみると、全て入れてもまだ少し余裕があるくらいだ。
「……ふむ、やっぱり忘れていたか」
俺の旅支度を側で眺めていた院長が、初めて口を開いた。大きめの、蓋つきの缶を差し出してくる。
「傷薬だよ。止血には効果抜群、すり傷切り傷虫刺されにも効くのだが、あまり深い傷には適さない。患部を水で洗ってから塗布して、必要なら包帯を巻くようにね」
何本かの包帯もつけてくれた。これで、怪我したときに天幕の布を引きちぎって使う必要がなくなる。
「スコウプくん」
院長が改まって俺に呼びかけた。
「当院でプライムくんを治せなかったこと、申し訳なく思う」
わざわざ頭を下げられてしまった。慌てて制すると、院長は顔を上げて言った。
「オルセンキアへ行く道すがら、各地の医師に診てもらうのが良いと思う。プライムくんの容体が常にこのままだという保証もないから、状態はこまめに確認したほうがいい。それに、村医者町医者と侮りがちだが、彼らは風土病や土地ならではの薬物など、ここにはない知見を持っている可能性もある」
面倒でなければだがね、と院長は付け足した。どうせ村や町を渡り歩くことになる。少しでも可能性があることは、当然していくつもりだ。
「それから、オルセンキアへ行く前に、ルクシアに寄ってみてはどうだろう」
ルクシアは街道を行けば必ず通る街だ。リージェルク帝国第二の都市で、中心にある市場は世界で一番大きい。避けていくことのほうが難しいだろう。あらゆるものが商われるとも言われる商業都市だから、プライムを治すための薬や魔道具が手に入るかもしれない、と考えていた。
「ルクシアに、医学生が集う学校があるのはご存知だろうか。私もそこの出身でね。是非、師匠のタシル・マイヤードを訪ねてみてほしい。私の名前を出せば、話くらいは聞いてくれるはずだ」
ありがたい申し出だ。師匠の名前を覚え込んでふと、院長の名前をそもそも聞いていないことに気がついた。このタイミングで今さら名前を聞くのはかなりバツが悪い。あとでクレシュにでも聞いておくことにする。
礼を言って薬を布袋に詰めていると、さっきの兵士が戻ってきた。紐状のものを持っている。
「お前さんの投石の精度には、たまに驚かされるよな。ネップ島の住民ってのはみんな、こいつが得意なのか?」
クレシュは聞くが、むしろ俺にはスリングを使わない人間の方が不思議だ。どこにでもある小石で、遠距離の獲物に簡単な攻撃を仕掛けられる。こんなに便利なのに、なぜわざわざ撃てる本数に限りのある小弓なんかを使うのか。島では、大人も子どももこいつを使って鳥を落としたり、作物の害獣を追い払ったりしているのに。
手のひらくらいの大きさの布と、そこから両側に伸びる紐。片側の紐の先は輪になっている。ここに手首を通してもう一方の紐の先を握り、布に石を乗せて振り回す。タイミングよく手を離せば、石が目標めがけて飛んでいくというわけだ。子どもの頃から慣れているから、狙いが難しいと言われてもピンと来ない。帝都の雑貨屋にも置いてあるくらいだから誰でも使うものだと思っているんだが、こっちのほうでは子どものおもちゃとしか思われていない節がある。
これさえあれば、鳥でもウサギでも、旅の途中で新鮮な肉類を手に入れることができる。いつでもすぐに使えるように、スリングは腰のベルトに挟み込んでおくことにした。
「さてと。あとは、こいつで終いかな」
クレシュが腰から外して寄越した麻の巾着袋は、ずっしりと重い。覗いてみると、たっぷりの銅貨だけでなく、結構な量の銀貨に、ちらりと金貨まで見えた。
「すまんな。実を言うと、前借りは叶わなかった。こいつはうちの嫁さんのへそくりだ。お前さんの給料でざっと1年分、これから代わりに受け取らせてもらうぞ?」
驚いた。日々の節約で銅貨を貯めていくだけならわかる。だが、日用品を売買するための銅貨は、いくら貯めたところで銀貨や金貨にするのは容易ではない。稀に困窮した貴族や銀貨金貨を主に扱う商売人が、生活費のために銀貨や金貨を『売りに』出すことはある。が、いつでも両替できるってものではないのだ。当然、レートが決まっているわけでもない。武器や馬などの売買に使われる銀貨や、宝飾品や魔道具などの貴重品との交換に使われる金貨は、それぞれ独立した価値を持つ通貨と言ってもいい。
つまり、こいつはへそくりなんて可愛らしい代物じゃない。クレシュの嫁さん、只者ではない気配がする。
いや、今はそんなところに驚いている場合ではないか。
「いいのか、嫁さんのへそくり持ち出しちまって」
「ご心配ありがとな。ちゃんと了承済みだ」
内助の功、ってやつか。俺も、そうやって力を合わせて暮らしていくつもりだった。そのはずだったのに。
ベッドを見やると、俺の愛妻は静かに、寝息すら立てずに本当に静かに、美しく横たわっていた。
財布を鞄にねじ込んで、いよいよプライムを背負子に乗せてみることにした。
院長の助言で、緩衝材として毛布を敷く。眠ったままのプライムは、そのままではぐったりとして転げ落ちてしまう。両肩と腰の部分に、プライムを支えるためのベルトが取りつけられていた。クレシュの用意周到さが、若干怖いくらいだ。
試しに背負ってみる。重いことは重いが、歩けないこともない。数歩歩いてみたところで、後ろから見ていたクレシュがううん、と難色を示した。
「足が降りてると、揺れが気になるな……」
確かに、身体を振ると俺自身も背中を左右に持っていかれるような感覚がある。院長も懸念を示した。
「プライムくんの膝にもあまりよくないな。このまま戦闘なんてことになれば、背後で足を振り回すことになる。足は座面に乗せて、膝を立てて、こう、両腕で膝を抱え込むようにしてみてはどうかな」
言われた通りにしてみたが、すぐに足裏が滑って元の姿勢に戻ってしまう。両腕を膝の下で縛れば動かなくなりそうだが、罪人でもあるまいし、手首を縛りつけるのには抵抗があった。
どうしたものか、と全員が考え込んだとき、ふと俺は、プライムのネグリジェのポケットに何か入っていることに気がついた。寝ている女性のポケットに手を這わせるのは気が引けたが、長い旅の間、傷むものや危険なものが入っていたら大変だ。ちょっと失礼させてもらうことにした。
するすると、白く長く。出てきたのはレースのリボンだった。俺が帝にねだって、プライムが結婚式のドレスにしたあのレース。そう言えば、ドレスの試着の日、髪を伸ばそうと思うんだけど、なんて相談された覚えがある。切れ端をリボンにしてもらったから、伸ばしたら毎日、これで結ぶんだ、って。こんなところにしまいこんで、一緒に眠るほど大切にしてたのか。
少しだけ迷ったが、俺はそのリボンをプライムの手首に巻き、膝の下で蝶結びにした。多分、これなら痛くない。もし目覚めて、お気に入りのリボンを勝手に使ったことを責められたら、いくらでも好きなリボンを買ってやろう。島に戻ったら、あのカーテンを解いてリボンを量産したっていい。
むしろ、そんなプライムの怒鳴り声を一日でも早く聴きたい、と、俺は思った。早く、目を覚ませプライム。じゃなきゃお前の大事なリボンが擦り切れちまうぞ。頼むから早く、起きてくれ。
全ての支度を終えて、院長に礼を言うと、プライムを背負って俺は病院を後にした。
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