03_帝都

 執務室にいたクレシュは、呆気にとられたような顔で俺を見つめていた。

「スコウプ……その子は……」

 答えようとしたが、うまく言葉が出ない。息が完全に上がって、肺が破裂しそうだった。肩で息をする俺に、クレシュはため息をひとつつくと、両腕を差し出した。

「とりあえず、その娘さんをこっちに。お前さんは、まず水でも飲んで落ち着け」

 俺が従うと、クレシュは控えていた兵士に指示を出す。兵士の持ってきた水を受け取ろうとして、俺は自分の腕が異常に震えていることに気づいた。ものをつかむことすらうまくできない。

 俺の様子を見ていたクレシュは、もう一度深くため息をついた。

「お前さん、島に帰ったはずだったな。もしかして、この子が前に言ってた故郷の結婚相手か?」

 息が上がっていても、うなずくことくらいはできる。クレシュは天井を仰いで小さく嘆息した。

「念のため聞くが……お前さんが島を出たのは、いつだ?」

 家を出たのは日曜の昼だったはずだ。どうにかそれだけ、かすれた声でしぼり出す。クレシュの目が微かに見開かれた。

「……今、水曜の夕方なのは、分かるか」

 俺は首を振った。とにかく無我夢中で走ってきたから、日付けのことなんて考えていない。島と大陸を結ぶ渡し舟の船頭を滅茶苦茶にどやしつけたのはおぼろげに覚えている。あとで金を払うからすぐに舟を出せ、と。その先のことは、ほとんど記憶がなかった。なんとなく、途中で雨に降られたような気はする。

「島からここまで、歩きで1週間はかかるはずだ。島を出たのは本当に日曜か?」

 そんなことはどうでもいい、頷きながら俺は思った。早く、プライムを医者に診せてやってくれ。一刻も早く、助けてやってくれ。

「お前さんなぁ……」

 呆れた様子でクレシュは口を開いた。

「前にも言ったが、A級ハンターは国の宝でもあるんだぞ? 無茶して身体壊して、はい働けなくなりました、じゃ済まされん。頼むから、三日三晩、不眠不休で人一人抱えたまま走り続けるようなバカな真似はよしてくれんか」

「……え?」

「そうとしか考えられんよ。一睡もせずに走り続けでもしなきゃ、たった3日で南西諸島から帝都までたどり着けるわけがあるまい」

 とにかくまず休め、兵舎のベッドを貸してやる、とクレシュは言った。俺は、なんとか声を出そうとして咳き込む。島と同じように、プライムを死体扱いされるわけにはいかない。

「プライムを……俺の、女房を……頼む、クレシュ。脈も息もねぇが、身体はあったかいままなんだ、死んでるはずがねぇ……!」

 荒い息をかいくぐるようにして、伝えるべきことを必死で言葉にする。わかったわかった、と俺を諌めて、クレシュは兵士に声をかけた。

「スコウプを兵舎に連れて行ってやってくれ。気をつけろよ」

 一年間通いつめた場所だ、兵舎の位置くらいは知っている。俺が言おうとすると、クレシュは言葉を継いだ。

「ぶっ倒れるぞ、こいつ」

 倒れる? 俺が? なんで俺が。思った瞬間、まるでそれが予言だったかのように、ぐらん、と平衡感覚が崩れた。兵士に支えられても、どこが床だか皆目見当がつかない。両手両足がちぎれんばかりの痛みを抱えていることに、今、気づいた。


 そのまま意識を失って、兵舎に運び込まれた俺は手厚い治療を受けたらしい。真っ黒に腫れ上がった四肢が一本ずつ吊り上げられているのをぼんやり眺めた覚えはある。ひどい肉離れで手足の筋肉がボロボロだぞ、と見舞いに来たクレシュにどやされた。

 ここで初めて俺は、重力整復師という医者を知った。重力を操る魔法を使って、切れた筋肉や神経を寄せたり繋げたりするそうだ。手足一本に一人ずつ、4人の重力整復師がついた。左足が特にひどいらしく、そこについた老医師が、他の3人を取り仕切っている。

 肩と腰と股関節を固定された時点で、ヤバいと気づくべきだった。激痛、なんて一言では済ませられない、鋭く強烈な痛み。魔力で内部の様子を透視しながら、筋繊維を引っ張って繋げているらしい。ビー玉程度の大きさの黒水晶2つを身体に押し当てると、そこから互いに引き寄せあう力が生まれる。内部の傷口を無理やり引っ張られるのだから、痛くないわけがなかった。左足担当の老医師に至っては、片手に2つずつ、計4つの黒水晶で傷を締め上げてくる。痛みで全身が脂汗でびっしょりと、沼にでも落ちたかというほど濡れたあたりでようやく施術が終わった。二度とやられたくない、と思ったが、地獄の責め苦は毎日午前中に一時間ほど、念入りに行われた。


 クレシュは昼過ぎに、毎日顔を出した。俺が聞く前に、プライムのことを報告してくれる。帝都で一番の医者と、魔術師と、大司教が代わる代わる診てくれているそうだ。確かに死体と呼べない不思議な状態だ、と言われたときは思わず涙腺が緩みかけた。嬉しいのか悲しいのか、ほっとしたのか情けないのか、自分でもわからなかった。

「おそらく、こいつは長丁場になるぜ。お前さんも、まずはしっかり身体を治すこった」

 本当は、すぐにでも飛び起きてプライムを見にいきたい。プライムを俺の隣のベッドに寝かせてくれないかと頼んでみたが、断られた。男だらけの兵舎に、身動きの取れない女性をブチ込むような無茶はできない、と。確かに、今の俺ではプライムを守ることはできそうにない。


 意識がはっきりしてまともに会話できるようになるまで4日もかかっていたのには驚いたが、気を失う原因の半分は重力整復師の気違いじみた激痛治療にもあるような気がしている。だが確かに、初めのうちは真っ黒に腫れていた手足が、少しは人間らしい色と形に戻りつつあるように見えた。今は両手両足ともに下ろされて、運動とも呼べない程度の軽い負荷をかけるよう指示されている。

「お前さん、放っておいたら下手すると、二度と歩けない身体になってたんだぞ?」

 まあそもそも、歩くどころか命も危うかったんだがな、とクレシュは眉を寄せた。淡い黄土色の短髪をかきあげて、ため息をつく。

「頼むから、無茶はせんでくれよ。お前さんが倒れたら、嫁さんだって助からん。今は、自分の身体を嫁さんの身体だと思って、大切にしてくれ」

 正直、俺のことはどうでもよかった。プライムが助かるなら、どんなことだってする。いくらだって払う。俺の命と引き換えだって構わない。


 だってあいつは、ずっと待ってたんだ。俺と暮らすのを楽しみに、俺のいない時間をずっと待っててくれたんだ。やっと、やっと一緒になれたのに、これから二人で生きてこうって決めた矢先に、こんなひどいことってあるかよ。まだ俺は、あいつにちゃんと、今までの気持ちを伝えてすらいないんだぞ。明日言おうって思って、起きたら話そうって思って、それでこんなこと、あっていいはずがないんだ。


 クレシュは、毛布を握りしめる俺をじっと見ていた。ふ、と小さく息を吐く。

「そうだ、嫁さんの主治医のお歴々が、お前さんに聞きたいことがあるんだとよ。当日の状況だの、最初の処置だの、確認しておきたいことがあるらしい」

 そのうち来ると思うぜ、と言い残して、クレシュは席を立った。

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