04_問診

 クレシュの話は半分当たりで、半分はずれだった。

 医者の連中は会いには来なかった。移動させられたのは、俺だ。まだまともに立ち歩けない身体を兵士どもに支えられて連れ込まれたのは、帝国最大の病院、コアリア国立病院だった。

 国内最高の医療が受けられるとされ、貴族や王族が受診していることでも有名だ。だが、帝の温情を表すとして、庶民にも広く門戸を広げている。帝国からの補助で格安で確実な診療を受けられるとあって、庶民の窓口はいつも混み合っていた。

 俺自身は帝都にここ一年ほど修行で逗留していたが、この病院の世話になったことはまだない。生傷の絶えない毎日ではあったが、兵舎に付属する診療所を使った方が早いからだ。クレシュの口利きで正規の兵士と同様に兵舎やその施設を利用していたから、混み合った病院の列に並ぶ必要はなかった。


 だが、今回は違った。正面の窓口へは向かわず、裏側の、小さな通用口を入る。大した広さでもない入口には警備が4人もいたが、同行の兵士が声をかけると道を開けた。少し進んで右手へ曲がって、俺は一瞬言葉を失った。

 絢爛。豪華。廊下の両方の壁には無数のシャンデリアがかかり、蝋燭が白い壁と天井を照らしている。壁から浮き上がるように、大小の彫刻が埋め込まれていた。一目見て、ヤバい、と思う。普通の人間が踏み込んじゃいけない場所だ。

 そのまま居心地の悪い廊下を歩かされ、いくつもある扉のひとつを兵士が叩くと、中から聞き慣れた声がした。

 中から扉を開けたクレシュは、俺の顔を見るなりニヤリと笑った。

「さすがのお前さんもビビってるか。心配すんな。俺もお前さんも、ここで治療を受けていいご身分ってことよ」

 クレシュの表情はどこか自嘲にも似ていた。俺がうなずいて見せると、クレシュは俺を招き入れた。


 広い個室に、ベッドが2つ。ひとつは空で、もうひとつにはプライムが寝かされていた。部屋の中にもシャンデリアが灯っていて、代わりに窓らしい窓がない。なるほど、覗かれたりしないためか、と俺は理解した。

 促されて、空いているベッドに向かう。ベッドの上には白いローブが畳まれていた。着替えるよう指示されて、着ていた服を脱ぐ。汚れて擦り切れてボロボロになってることに、脱いでみて初めて気がついた。フードのついた木綿の簡素なローブは緩く作られていて、締めつけのない分だけ身体は楽になった。が、普段着なれない服というのはどうにも落ち着かない。

 そのままベッドに寝かされて、しばらく待っているとドアがノックされた。クレシュが開けると、3人の人影が入ってくる。俺を連れてきた兵士たちが、俺の枕元に椅子を3つ並べた。

「さて。君が彼女の主人というわけか」

 一人目の、眼鏡をかけた壮年の男が口を開いた。

「私がこの病院の院長だ」

 院長なんてものは、もっと年老いているとばかり思っていた。院長室に籠るタイプではなさそうだ。おそらく、現場でたくさんの患者を診ているんだろう。院長が続けようとするのを遮るように、二人目の人物が声を張る。

「私はコアリア大聖堂の主教、アメリアです」

 帝都では有名な女性だ。10年ほど前に大聖堂の救貧院を大規模拡張したのも彼女だったとか。いわゆる美人ではないが、凛とした気品のようなものを感じる。帝都には、女神ではなくアメリア主教を信仰している人も多い、などと聞くほどだ。

 二人の名乗りを鼻で笑うように、ふん、と息を吐いてから三人目が口を開いた。

「わしがケストラー・ファーロンじゃ」

 長髪と、豊かな髭が目につく大柄な老人だった。名前くらいは聞いたことがある。帝国ではその名を知らぬ者はいない大魔導士。普段は帝都で、コアリア図書館の館長をしているはずだ。やや尊大な態度が、少し鼻につく。

 院長が小さく咳払いをした。

「さて、今日はプライムさんのことで、いくつか聞かせてもらいたい。彼女、とても変わった症状を呈しているからね」

 主教のアメリアが続ける。

「プライムさんを呼び戻すために、少しでも手がかりが欲しいんです。まず、あなたが彼女の異変に気付いた時のこと、詳しく話してくださるかしら」

 俺は少し考えてから、なるべく順を追って話した。目が覚めて、プライムを起こそうとして、息をしていなかったこと。呼びかけても揺すっても起きなかったこと。医者が来て、司祭が来たこと。胸を押して、息を吹き込んだこと。思い出すだけで、胸が潰れそうな気持ちになってきた。

「ふむ。それだけか? 前の晩や当日、どこか変わった様子はなかったかのう?」

 ケストラーの言葉に、俺は必死で思い出した。前日まで、酒とご馳走の日が続いたこと。晩は少し早めに眠ったこと。俺だけ早く起きて、窓のカーテンが揺れて。

「そういえば……」

 あの窓を開けたのは、誰だったのか。朝早くにプライムが起きて開けたものとばかり思っていたが、今となってはなんとも言えない。

「なるほどの。密室でなかったならば、いろいろな可能性が出てくるわい」

 ケストラーの眼光が鋭くなった。

「じゃがの、現状を結論から言えば、魔力反応はゼロじゃ。魔力による抑圧を受けているとはまず考えられんな。外部から何者かが進入したと考えるならば、毒か、魂抜きか、そっちの可能性はどうじゃろうのう」

 下目使いでケストラーは横の二人を見やった。

「私の見立てては、魂抜きとは考えられませんね」

 アメリアが言う。

「魂抜きであれば、呼吸も心臓の動きもあるはずです。女神が身許に受け入れられたときは、息を引き取るはず。こうした例は記録がありません。第一、魂抜きの儀式は主教が祭壇で執り行うもの。理由もなく忍び込んで行うなどとんでもない。そもそもこの儀式は罪深き魂を女神の慈悲で浄化するための神聖な修行のひとつで魂の」

 話の途中で院長が大きめの咳払いをした。

「ま、魂抜きと呼ばれる教会のあれは、医学的には燻したある種の薬草を吸引することで起こる昏睡と幻覚、と結論づけられているわけだが」

 アメリアが、憐れむような目で院長を見た。院長は続ける。

「そういった薬物、毒物による可能性を否定する材料は確かに少ないな。だが、薬物や毒物の効果で、こうした症状を出せるものを私は知らない。このリージェルコア大陸の全ての毒物を我々人類が発見しているわけではないから、断言はできないが……」

 院長はケストラーをちらと見やった。

「しかし、どんな薬を使おうと、この症状はそもそも物理法則に反する。身体に血液を回すポンプである心臓が止まった状態で、どうして血色を保てるのか? 栄養の届かない肉体は、何を燃料として体温を保っているのか? 私見だが、これは魔力の介在を疑いたくもなりますな」

「なに。魔力反応はないと言っておるじゃろうが」

 ケストラーが気色ばむ。一触即発の空気に、横で見ていたクレシュが間延びした声を投げた。

「あー、なるほどー。つまり、現状ではわからんことが多い、と。そういうことですかね?」

 椅子を立ちかけていたケストラーが鼻息荒く座り直した。

「お話伺うに、窓が開いてた、ってのが唯一の新情報ですかねぇ。外部からの侵入の可能性が出てきたわけですが、彼女自身が明け方に起きて開けたってこともありますわなぁ」

 クレシュの言葉に、3人は黙り込む。

「ま、ね。だからこその難問なわけで。帝都の誇るお三方にお願いしているわけなんですけども」

 院長が眼鏡をずり上げた。

「もちろん、全力で治療に当たっているとも。しかし、さっきも言った通り、毒物を考えるならやるべき検査は無数にある。試薬のない毒物も多い。これから研究するとしても、かなりの時間をかけることになる」

 アメリアも口を開く。

「原因は何であれ、女神様は全てをご存知です。神に全てを委ねて、心から祈ることで奇跡を待つことはできます。どれほどの時間を捧げるべきかは、女神様の御心のまま」

 ケストラーが強く短く嘆息した。

「ま、わしの方でも文献を当たらせてはいるがね。わしらの正統な魔法以外の、邪教の呪術なんぞにヒントがあるかも知れんしな。しかし、なにぶん時の要る作業じゃ」

 言い訳はそれぞれだが、要するに全員、時間をくれってことか。

「……時間さえかければ、プライムは元に戻るのか?」

 俺の言葉が、低く病室に響く。誰も、何も答えなかった。

 沈黙を破ってクレシュが、おう、と軽快な声を上げた。

「だいぶお時間を頂戴しちまいましたなぁ。お三方には、今後ともよろしくご尽力のほど、お願いいたしたく」


 3人が帰ったのを見届けて、クレシュはデカいため息をついた。

「ま、終始あんな調子だ。口喧嘩なら他所でやってほしいもんだがな」

 軽く鼻で笑ってから、俺の方を見やる。

「しかし、A級ハンターの妻とはいえ、一介の庶民をあそこまで本気で診てくれる手合いじゃないのも事実だ。お三方のあの対抗意識がなきゃ、とてもここまでやってくれるとは思えんね」

 ハハ、と笑うクレシュを見て、ようやく理解した。どうやらあの対立を仕組んだのは、目の前で苦笑する俺の師匠らしい。そういう根回しが苦手な俺にとって、クレシュのやり口は到底真似できない。

 ああそうだ、今日からお前さんの部屋もここな、と言い添えて、クレシュは兵士たちを連れて部屋を出ていった。

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