幼い姫と嘘つき王子さま②

 微睡みから帰ってくると、どうやらわたしはベッドに寝かされているらしいことに気付いた。誰かに運んでもらったんだっけ。眠る直前の記憶が覚束ない。

 「カナ、カナ……」

 誰かが、わたしの名前を呼んでいる。声が近くて、吐息が顔に掛かる。起きたいのはやまやまだけど、声の主であろう誰かがわたしを抱き締めて拘束していて、とても動けそうにない。胸の辺りにふにふにと大きくて柔らかいものがあることから、多分女性。声の持ち主がわたしを起こそうと肩を揺さぶる度に甘ったるい、でも何処か上品に感じられる香水の匂いが鼻を擽る。大人の女性の匂い。それが心地良くて、わたしは口角をほんのニ、三ミリ程度だけど上げてニヤリと笑みを零してしまう。

 「カナ。カナ……む、さてはもう目が覚めているな?だったらいい加減起きないか、この寝坊助め」

 怒られちゃった。表情を緩めてしまったのがいけなかったみたい。

 観念して重い瞼を開くと、彼女の怒気を現出しているかのように赤く輝いている瞳と目が合う。それはまるで、夢の中で見た王子さまと瓜二つ。わたしは寝惚け脳みそをどうにか働かせて、夢に出てきた王子さまと、目の前の彼女を照らし合わせてみる。ちょっぴり悪戯っぽい中性的な声、肌は雪のようにきめ細かで、生気を感じられないくらい白い。そして何より、わたしを最も蠱惑したそのガーネットみたいに赤い瞳。全てが見事に一致してしまっている。それはつまり、わたしの上に覆い被さって、ふにふにを押し付けている彼女が王子さまってことで、あの夢が現実に起こった出来事だったってこと……?

 「なんで、王子さまが……」

 「……まだ、夢の続きを見ているのかい?ここは現実だよ。イギリス。そして私は王子さまではなく、スカーレット・ウィンクス。キミが助手席で眠ってしまっていたから、私の部屋まで運んであげたのだけど……覚えてないかい?」

 スカーで構わないよ、と付け足して、彼女はくくくっと笑う。

 その笑い方も夢の中――夢じゃなかったけど――の王子さまとまるで同じで、わたしは寝惚け頭に熱湯を掛けられたような気分になる。

 わたしは返事も忘れて、じいっと彼女の瞳を見詰めている。見惚れている。本当に、このままじゃ魂を吸い取られてしまいそう。

 永遠に届かないと思っていた夢が突然目の前に現れて、わたしの頬を引っ張りながら名前を呼んでいる。今まで朧気でバラバラだった『王子さま』のイメージが、触れられている感触や香水の匂い、耳に入ってくる声によって、彼女――スカーレット・ウィンクス――にすっかり書き換えられてしまった。

 目に見えない赤い糸がわたしの心臓からスカーさんの元へ伸びて行くのを感じる。その糸を彼女の心に結び付けたいとは思うけど、今は我慢する時だと堪える。恋に焦りは禁物!ママは恋をしたのならひたすら真っ直ぐに突き進め!って言うけど、わたしはママのように強くはないから、少し臆病なくらいが性に合うのだ。

 深く呼吸をして、息を整える。上手く話せますようにって心の中で恋の神様に祈って、彼女の名前を三唱してから、わたしは口を開いた。だけど、わたしから出たのは「スカー、さん……」というか細い一言と、ぐぅぅ、という腹の鳴き声。あぁ、神様のバカ。

 スカーさんは瞬間困ったように首を傾げたけれど、口許に手を当てて軽く微笑んで「ご両親はもう出掛けてしまっているよ。朝からお仕事だ。せっかくの機会だし、私たちも外に食べに行こうか」と言ってくれた。私が黙ってこくりと頷くと、彼女は目を細めて人懐っこい笑顔を浮かべてベッドから起き上がって、私に着替えるように言って部屋から出ていった。

 レースの入った灰色のニットの上にラベンダー色のコート、下はデニムに着替えて部屋を出ると、扉のすぐ横でスカーさんが腕を組んで待っていてくれていた。彼女は茜色のリボンブローチの付いた淡いワイン色のブラウス、ロングスカート──これも、水に溶かしたワインみたいに淡い赤色──という装いだった。それと、大きなサングラスも忘れずに。

 昨日とは打って変わって、装いを整えたスカーさんは見惚れてしまうほど美しかったけれど、だからこそ、ガーネットのように赤い瞳をサングラスで隠してしまっていることが残念で堪らなかった。あんなに綺麗なのに、態々隠すなんて勿体無い。

 わたしの瞳に映った翳りを敏感に感じ取ったのか、スカーさんは気遣うように手を差し伸べてくれた。わたしが手を取ると、彼女は微笑んで指を絡めて握ってきた。その動作があんまり滑らかなものだから、思わずどきっとしてしまう。

 「じゃあ、行こうか。素敵なレストランを知っているんだ、カナもきっと気に入るはずだよ」

 「それは……楽しみです」

 スカーさんのひんやりと冷たい手に指を絡ませながら、わたしはようやく実感を得た。

 今、わたしは夢に見た王子さまと恋人繋ぎをしていて、これから彼女とデートをするのだ。

 わたしは幸福感に胸を弾ませながら、彼女の車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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