古屋叶のお話
詩希 彩
幼い姫と嘘つき王子さま①
一度だけ、王子さまに出会ったことがある。
白馬には乗っていなかったし、冠も被っていなかった、それに大人のお姉さんだったけど、それでも当時のわたしにとっては本物の王子さまだった。
わたしよりずっと背が高くて、透き通った声をしていて、凛々しい顔付きと態度。わたしが持っていない者を、みんな持っていた。
でも、それを妬んだり、羨んだりはしなかった。ただただ、眩しくて、その手で触れて欲しいと思った。
初めて抱いた恋心。毎朝顔を合わせて、日が暮れるまで他愛のない話をしたり、寄り添って昼寝をしたりする時間が何より幸福だった。
でも、彼女は、わたしを…………。
何はともあれ、そんなわたし、古屋叶の恋物語について、ここに綴ろう。
王子さまと邂逅したのは14歳、中学2年生の冬休み。パパの仕事の関係でイギリスに渡航した時だった。
パパは妖について研究する職に就いていて、その道に進む者なら知らない者はいないらしい。ちなみにママはそのラボの後輩。ママは結婚して主婦に転向したけど、わたしの親は二人とも学者なのだ。
とにかくそういう
簡単な英語なら辛うじて理解して返事が出来るけど、ブリティッシュイングリッシュは、日本の学校で習うアメリカンなイングリッシュとは発音や単語の意味が違うみたいで、出発の半年以上前から猛勉強していたわたしの努力は徒労に終わってしまった。パパとママに通訳をしてもらわなきゃ誰ともコミュニケーションが取れない生活になってしまうと思って、わたしは飛行機の中で落ち込んだけど、それ以上に初めての海外旅行に対する期待が大きかったから、なんとか持ち直すことが出来た。
到着する頃には現地は日が暮れて夜になっていた。12時間に及ぶフライトの疲れと時差ぼけ、おまけに読書なんてしていた所為で、わたしはへとへとだったけど、パパとママは大して問題無さそうに伸びをしたり、欠伸をしたりしていた。これが、経験の差?
わたしたちを出迎えに来る吸血鬼一家はすぐに見つけることが出来た。誰だってひと目でそれだと分かると思う。
父と母と思われる吸血鬼は金髪で全身黒尽くめの服装にサングラスと日傘。もう一人、彼らの娘と思われる女性の方はどうなのかと言うと、白いパーカーにホットパンツという、前の2人と比べればおかしな格好だけど、金髪と日傘とサングラスはしっかりと身に着けている点は同じ。そう、そのパーカーの彼女が"古屋御一行様!ようこそイギリスへ! と日本語で書かれた――なかなかの達筆だ、少なくともわたしよりは――看板を掲げているのだから、気付かない訳がない。自分でやっていて変だと思わないのかなぁ?
どうやらあちらの方もわたしたちに気付いたみたいで、看板を小さく振って主張してきた。ママの角と、周りに東洋人顔がいなかったからだろう。
パパは左手で口を隠して笑いを堪えながら手を振り返している。ママはしゃがみ込んで肩を震わせていた。なんだかおもしろい。
あまりにおかしな光景の中で、わたしと吸血鬼一家だけが平静――これが彼らにとっての平静なのだろう――を保っていたので、わたしは仕方なくパパを吸血鬼一家のところまで引っ張った。ママは一度ツボにはまってしまうとなかなか収まらないから、こうなってしまったら暫く放っておくのが我が家の常識。
それから「くふっ、ぷふっ……お久しぶりです、ウィンクスさん。いやぁ……ぷっ……」などと挨拶を済ませて、吸血鬼一家のウィンクスさん宅へ車で向かった。
運転手はウィンクスさんのドーター。助手席はわたし。後ろの席に両家の父と母が座って、なんだか難しそうなことを話している。英語だから、何を言っているのか全然分からないけれど。
通訳をしてくれる筈だったパパとママが談笑中で構ってくれそうにないので、助手席という孤島に取り残されたわたしは、黙って車の窓から外の景色を眺めていた。初めての異国の風景は目新しくて見ていて飽きなかったけど、この気持ちを共有出来る相手がいないことが退屈を生んでいた。
横でハンドルを握る彼女をちらりと見る。
黒尽くめの両親と違って着ているのは白いパーカーにホットパンツだったり、先の看板――これは彼女の案なのだろうか――だったりで変人のイメージがわたしの中で出来上がってしまっていたけど、よくよく見てみると結構整った顔立ちをしている。スーツの似合いそうな、男性的な印象。それだけに、大きなサングラスで目元が隠されているのが残念だった。
急に睡魔が襲ってきて、わたしの意識を停止させようとする。初めて乗る飛行機に緊張してしまって、フライト中は殆ど眠れなかったから、疲れが溜まっているのだろう。
車のオーディオから流れてくる聴いたことのない音楽と、それに合わせてハミングするウィンクスさんのドーターの声が心地良くて、わたしは段々と微睡みの世界へと引き摺り込まれていく。
少しだけ、眠ろう。ほんの少しだけ。
どれくらいの時間、眠ってしまっていたのだろう。意識が朦朧としていて、上手く頭が回らない。
体の力は抜けていて、宙に浮いているような感覚。誰かに抱き上げられているらしい。
ゆっくりと瞼を上げて、わたしを抱き上げている彼または彼女を見る。
「おうじ、さま……? 」
金髪の、女性だった。
まだ夢の続きでも見ているのではないかと、そう錯覚してしまう程に彼女は美しく、凛々しかった。シャープな濃いワイン色の瞳には悪魔的な魅力があって、あんまり長い時間見つめていると、わたしの魂を忽ち吸い込んでしまいそうな怖さを含んでいた。
赤い瞳の王子さまは、わたしの言を聞いて一瞬目を丸くしたけど、すぐに目を三日月にして微笑んでくれた。
「フフッ……よく眠れましたか、お姫さま。このままベッドまで運んであげますから、ゆっくりお休みください」
悪戯っぽさと優しさを併せ持つその声に聞き覚えがあったような気がしたけど、今は何も考えず、この御伽話の世界に浸っていたい気分だった。
王子さまの声に導かれて、わたしは再び微睡みに沈んでいく。
どうか、この幸せな夢が覚めないように。
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