1947年7月、大満州帝国・新京

 エンジンよりも先に機体の方が仕上がってきた。


 名を〝桜花〟と新たに付けられたエンテ型ジェット飛行機は、エンジン開発を待っている暇はなかった。そのため、すでに開発がすでに終了しているエンジンを、とりあえず搭載して飛行する形を取った。


 それでも最新鋭のエンジンだ。


 駐機場エプロンにやってくると、まず目に入ったのは、独特のエンテ型の機体だろう。試験機を表す、明るいオレンジ色に塗られている。


 そして、機首には桜の花びらが一枚と、『桜花』と書かれていた。

 誰か達筆なモノが筆を執ったようで、中々様になっていると、彼は感心した。


「では、行ってきます!」


 葛葉大尉が操る〝桜花〟は、滑走路を難なく走り始め、順調に空に駆け上がっていった。

 ネジ一本まで、純国産にこだわった割にはあっさりしたモノだ。と、彼は思っている。


「ただいま、800キロを突破。異常振動、特になし」


 地上勤務員に、無線で連絡した。

 取り寄せた最新の三菱ネ-330エンジンは、快調に出力をあげてくれる。

 水平飛行、そして降下飛行に入れば、もっと速度は上がるはずだ。だが、音速まで単純に計算して、200キロは足りない。

 彼等、桜花組が目指しているのは、音速の壁。それを超えるためには、このエンジンでさえも力不足だ。


 結局、その日〝桜花〟は850キロを記録した。

 改良機の〝火龍〟の最高速度が820キロなので、日本国内では最高速となる――戦時中、川崎キ61戦闘機で荒蒔少佐が、1000キロに到達したと報告しているが、信憑性に欠けるとして、公式記録とされなかった。


「エンジンの稼働時間を、もっと上げることは出来ないのか?」


 着陸すると、すぐさまエンジンの分解整備に入ってしまった。


「これ以上伸ばすと、ブレードが焼き付きを起こす可能性があります」


 つまり、エンジンが停止し、墜落してしまうと――実際は、滑空という形だろうが――言う。

 しかも、飛行のたびに分解整備しなければいけない。

 厄介な話はまだあって……


「気合いが足らないんじゃないですか? 設計上は900キロを軽く出せるはずです!」


 高司技師だ。三菱ネ-330エンジンのおまけでついてきた。と言うと、彼女に失礼かもしれない。そう、珍しい女性技師だ。

 話によると、帝国大学の材料工学部を好成績で卒業しているらしいが、この女性は技師の割には、口にすることは「気合い」だの「度胸」だの精神論しか言わない。仕事はといえば、彼女自身の言葉を、地で行くような人だ。男性技師をそっちのけで、徹夜も平気でこなしている。むしろ、「休ませてくれない」と彼女の部下から愚痴を聞かされる始末だ。

 正直、会社で持て余されて、満州の地に飛ばされたのではないかと思えてくる。


「気合いでは、飛行機は飛びませんよ」

「ではもっと、高く飛びなさい! 空高くなら、空気抵抗が少なくなるわ」


 もっともな意見だと、葛葉大尉は思う。

 だが、高くなれば、空気が薄くなる。そして、ジェットエンジンの燃料消費も多くなる。そうすると、航続距離を伸ばすために、燃料を多く積まねばならない。機体が重くなり、抵抗が増え……と、堂々巡りを始めてしまう。


 どこかで妥協しなければならない。


 それは、いつ音速を突破するかという問題にぶつかった。

 急降下を利用して音速を突破しよう、と言う意見も上がっている。

 機体の重さを加味すれば音速突破も容易なはずだ。だが、それでは真の意味での音速突破にはならない、という意見が出た。


 やはり水平飛行での、エンジン出力や機体形状によって音速を突破することにすべきだ、と落ち着いた。

 それが、真の意味で日本の技術の結晶だと……。


「だったら、ケツを蹴飛ばしたら、どうなんですか!」


 高司技師の何気ない一言だった。

 葛葉大尉は、女性としてはしたない言葉だと、その日は思った程度だ。だが、何か引っかかると、頭の片隅に置いていた。


 しかし、帰宅して桜子夫人と、談笑していたときだ。


「まあ、そんな優秀な技師さんが、来ていらっしゃるんですの」


 高司技師の振る舞いについて、話していると彼女はそういった。


(似たもの同士かもしれない)


 と、彼は思ったが口にはしなかった。恐らく、顔を合わせれば、意気投合しかねないだろう。

 そんなとき、ふと新聞に目が行った。ここしばらく読んでいる暇が無かったが、載っていた記事に目が釘付けになった。


『米国ニテ新記録、まっは0.8ヲ記録』


 短い文章だった。だが、関わっている人間にとっては、一大事だ。

 自分たちは、マッハ……つまり、音速の0.688までしか記録していない。


「お尻に火がつきましたね」


 夫人が何気なくそう言った。

 解るはずがないとは思いながらも、彼が口にしたことに、彼女はそう答えただけだ。


「それだ!」


 だが、その言葉に頭の片隅においてあったモノと繋がった。

 すぐさま、電話に取り付く。

 基地に連絡すると、高司技師がいないか、と尋ねると彼女に電話が代わった。すでに夜半だというのに、未だに基地で整備などの手伝いをしていたらしい。


『ロケットモーターですか?』

「加速装置だ。〝れっぷう〟の速力アップに繋げた加速装置を、〝桜花〟に付けられないか」


 大戦中、〝旋風〟に代わる三式戦闘機〝烈風〟を登場させたが、米国のF6F艦上戦闘機に速力不足で悩まされた事があった。その時に対抗措置として、固形燃料のロケットモーターで対応したのだ。それを〝桜花〟に使えないかと、葛葉大尉は考えたのだ。

 もちろん、正式提案は後日出頭するときとして、技術者繋がりで先に手を打ちたかった。


『可能だと思います』

「では、よろしく頼む」

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