十六歳のわたし第13話



 世界がそんなことになっているというのに、デイシュメールの中は平和だった。

 デイシュメールの中に住んでいる人たちは、今回決まった方針を聞いても割とのんびりしていて、ただ「聖女様のお側に引き続きいても構わないのですね」と喜んだ。

 喜ぶところじゃないと思うんだけどなぁ。


 偉い人たちは国に一度帰り、国民の避難を開始。

『ダ・マール』と『サイケオーレア』は大国と呼べる国民の数だから大変だろう。

 国全員でのお引越しだものね……さぞや混乱することだろうと、ほとんどの人はお腹を抑えていたわ。

 ……胃薬渡しておけばよかったかな?

 なにより『原始罰カグヤ』が落下して、落ち着いてから国に戻るにしても一体どれほどのことになっているのか。

 確かに想像すると胃も痛くなるわね。


 デイシュメールには転移陣が設置され、明日も会議が開かれることになっている。

 避難状況の確認や、避難先での様子の情報交換、食糧などの物資に関してや、『原始罰カグヤ』落下後の生活について……とにかく話し合うことが山のようにあるからだ。

 クリアレウス様は「最期の大仕事ね。やれやれ」と言いながらも「デイシュメールは不可侵にするから安心していいわ」と言ってくれた。

 まあ、けど、そうなるとわたしはまるで蚊帳の外。

 確かに政治のことはよくわからないけれど、なにかしたいんだよなぁ。

 わたしにできること……うーん?




「ティナ、ちょっといい?」

「レンゲくん。こんなところでなにしてるの?」

「…………クリアレウス様に力を溜めておけと言われて蚊帳の外なんだ」

「レンゲくんもかぁ……」


 確かに今回の件、レンゲくんは作戦の要だものね。

原喰星スグラ』を破壊するのはレンゲくんの役目。

 十日なんてあっという間だろう。

 お互いまさかの手持ち無沙汰。

 言われていることは、わかるんだけどね……。


「なにかできることがあると思うのにね」

「うーん。ティナはまあ、確かに。薬が作れるんだし……あ! そうだ、ティナは魔力回復薬をたくさん作ってたらいいんじゃない? 大地の『原始魔力エアー』が吸われていて魔法が使いづらくなってるんだもん。防衛の時にエルフや錬金兵器に使える『原始魔力エアー』があれば、みんないつも通りの力が発揮できると思うよ」

「そっかあ! それだね! レンゲくん天才!」

「…………僕も手伝えたらいいのにな〜」

「レンゲくんは十日後に頑張るんだから、クリアレウス様の言う通り力をしっかり溜めておけばいいのよ」

「……うん」


 そうね、わたしはわたしにできることを!

 避難先のこととか、そういうことは偉い人たちの仕事よね。

 リコさん、切羽詰まってる顔してたけど……お父さんもやれることはやるって張り切ってたから、きっと大丈夫。

 大丈夫、なはず。

 レンゲくんだって昔よりは強くなってるから、焼失させられる規模は増えてると思うって言ってたし。

 シィダさんもレヴィ様もいるし!

 ……大丈夫、きっと。

 きっと、大丈夫……の、はず。

 わたしは十日後に備えて……魔力回復薬を作る。

 うん、今わたしにできることは——きっとこれだけだ。


「……バレちゃうかな?」

「え?」

「魔力回復薬を作り続けたら、わたしが珠霊人だって、バレちゃうかな?」

「……あ……」


 少し驚いたような声。

 ということは、レンゲくん忘れてたな?

 自分の部屋に戻るところを振り向いて、レンゲくんを見上げた。


「わたしは、もうバレてもいいかなって思ってるんだ」

「……え? けれど……」

「だってバレて狙われても、レンゲくんが守ってくれるんでしょう?」

「…………。そう、かな?」


 曖昧だけど、わたしには確信がある。

『エデサ・クーラ』まで助けに来てくれたレンゲくん。

 きっとわたしになにかあれば、また助けに来てくれる。

 それは、なぜなんだろう?

 レンゲくんにとってわたしは、聖女だから大切なのだろうか?

 聞いてみたいけれど、聞いてしまえば……答えを得てしまえば……決定的になってしまう気がして怖くて聞けない。


「ああ、そうだ……僕、君にそのことで謝らなきゃと思っていたんだ」

「え?」

「……まんまと攫わせてごめん……守るって言ったのに……」

「…………」


 ああ、やっぱり気にしていたんだ。

 でもあれは、わたしも悪いし。


「助けに来てくれたからいいよ。別にお金を払って護衛を頼んでたわけじゃないし」

「でも、それはそうかもしれないけど……君を守ると言ったのは僕だし……」


 あ、まずい。

 どんどん落ち込んでいく。

 うーん、これは一体どうしたらいいのかしら?


「…………。レンゲくん、少しだけ……少しだけ、ロフォーラの山頂に行かない?」

「?」

「綺麗な空気が吸いたいの。ダメかな?」


 攫われて『エデサ・クーラ』にいた時に願ったこと。

 ロフォーラへ、帰りたい。

 こんな状況では今帰らないと……二度とあの澄んだ空気を吸うことは叶わなくなりそうで……。


「……いいよ。十分くらいなら、バレないと思うし」

「うん」


 手を伸ばされる。

 わたしはその手に、手を重ねた。

 軽い浮遊感。

 デイシュメールの少しだけカラカラとした空気が、一瞬で爽やかな森の風に変わる。

 瞬きのうちに景色も城の廊下から、緑と————。


「…………真っ暗だね」

「うん」


 以前に来た時とは全然違う。

 山からは微かな光が空へと登る。

原始魔力エアー』だ。

原始魔力エアー』が『原喰星スグラ』に吸い上げられているから見える、光の粒。

 その光でかろうじて世界が見える。

 夜のような世界。

 けれど、いつもロフォーラから見えた満点の星空は……見えない。

 わたしの大好きな光景だったのに。

 でも、その微かな光のおかげでなんとか居場所がわかる。

 わたしたちは、ロフォーラ山頂のあの井戸の前にいたのだ。


「でも空気は変わらない。よかった」

「……うん、そうだね」


 二人で思い切り息を吸い込む。

 ここはわたしにとってもレンゲくんとっても故郷。

 でも空を見上げると、迫る終焉が目に見える形で存在していた。

 これで何度目だろう。

 この世界に生まれて、わたしは何度目の『死』を感じているのかしら。

 ……『死』。

 わたしは一度、経験したことを……覚えている。

 目を閉じても世界は真っ暗。

『死』とは、自分が思っているよりもこんなにも身近にある。

 こんなことなら——。

 そう思ってしまったことは、その瞬間を覚えているわたしにとって恥ずべき生き方だったのかもしれない。

 うん、わたしは……また後悔して死にたくない。


「……わたし……レンゲくんに恩返しがしたいと思っていたんだけど……」

「え? それは、チョコレートで……」

「うんまあ、そう言われたけどね」


 甘いもの大好きだものね、レンゲくん。

 チョコは、まあ、デイシュメールの香辛料畑が安定してきたから今後量産に向けて〜……ってそうじゃなくて!


「……お父さんの腕は、治せたでしょ?」

「ん? うん?」

「リコさんの顔とかも、治せたでしょ? アリシスさんには、あんまり恩返しらしい恩返しはまだできてないんだけど、アリシスさんにはこれからわたしが立派な錬金医師になることが恩返しだと思っているの!」

「う、うん?」

「で、レンゲくんだけなのよ! ちゃんとした恩返しができてないの!」

「…………。だからチョコ……」

「それはいいから!」


 チョコはほとんどわたしの趣味も入ってるし!


「……聞きたいんだけど、わたしの額の珠霊石を……『暁の輝石』にしたら、レンゲくんが『原喰星スグラ』を壊す時の助力にならない?」

「!? …………。……それは、ちょっと……石がどんな形で手伝おうとするかわからないから……」

「……そっか……」


 だめ、かぁ。

 レンゲくんへの、恩返し。

 どうしたらいいのだろう?

 レンゲくんはなんというかこう、無欲で……いや、お父さんやリコさんも大概だけどね?

 でも、二人のように体のどこかが悪いとかでもないから、どう恩返ししたら喜んでもらえるのかが本当にわからなくて……。

 わからなくて、わからなくて……そして、段々、自分がレンゲくんのことを考えている時間が、増えていくのに気がついてしまった。

 そして『暁の輝石』をどうしたら有効活用できないものかと、も。


「…………。ティナ」

「?」

「『暁の輝石』は君にとっては……枷?」

「…………」


 見つめられて、思わず目をそらした。

 恥ずかしいから、というのもあるけれど、実際その通りだったから。

『暁の輝石』さえなければ、わたしは……。


「提案なんだけど、それなら……『暁の輝石』は器にしてしまってはどうだろう?」

「? 器?」

「覚えてる? クリアレウス様の心臓に『原始星ステラ』があった時、クリアレウス様に『原始星ステラ』が害にならないよう『暁の輝石』が器になっていたの」

「……あ」

「君が『原始星ステラ』を手放す時、『暁の輝石』を器にすればいい。……それまでの間、『暁の輝石』はここに隠したらいいんじゃないかな?」

「ここ?」


 と、レンゲくんが指差したのは井戸だ。

 底にはなんにもない。

 ここに隠す。


「ちょうど『原始星ステラ』をほとんど遮断してしまう優秀なガラス瓶も手に入ったし」

「持ってきたの!?」

「興味深かったから。『原始罰カグヤ』を集めて一気に燃やすのに使えないかなー、とか……サンプル的な?」

「…………」


 た、確かに。

 この瓶の中に入れて、井戸の底に埋めれば誰かに見つけられることもないかも?


「まあ、すぐに『原始星ステラ』を手放すのは、多分無理だとは思うけれど……。こういうものがあれば、少し安心じゃない?」

「……うん、そうだね……うん!」


 そうか、『原始星ステラ』をわたしが手放す時に……。

 考えもしなかった。

 考えもしなかったけど……そうか、ここはレンゲくんの家があった場所。

 レンゲくんの、お母さん……アカリ様が住んでいた場所でもあるんだものね。


「……ケリア様が生命薬を投げ入れた井戸……」

「そう、ここだよ。……母さんの言葉に目が覚めた、と言ってた。……命には……」


 命には、終わりがある。

 それをアカリ様はレンゲくんに教えた。

 そして、ケリア様にも教えた。

 その場所。

 命には————。


「……わたしもいつか……」

「…………」


 見上げるとレンゲくんがわたしを見下ろしていた。

 レンゲくんのお父さんはこの世界の幻獣ではない。

 レンゲくんは……。


「うん、君もいつか、死んでいく。その時に、どうか『原始星ステラ』をこの世界に残して欲しい。次の聖女のために。……母のように……」

「…………。レンゲくんは、次の聖女のことも守るの?」

「守るよ。……この世界が続くように……」

「アカリ様がこの世界を愛していたから?」

「うん」

「レンゲくんは、この世界が好き?」

「…………」


 そこは即答しないのか。

 仕方のない人。

 そんなに、悲しい顔をするのなら、わたしは——。


「わたしもこの世界が好き」


 手を組んで、祈るように唇に押し当てた。

 なぜかとても、涙が出そう。

 この人はとても寂しい。

 その姿がアリシスさんに、お祖母ちゃんに重なる。

 誰かが愛した世界だから守る?

 そのためにずっと傷ついて生きていくつもりなの?

 そんなのダメだ、わたしが許せない。

 あなたがずっと独りぼっちで生きていくのなんて、わたしが耐えられないよ。


「だから、レンゲくんには、次の聖女も、守って欲しい」

「……ティナ……」

「そして、レンゲくんにも、この世界が好きって、堂々と、言って、ほしい」

「……、……それ、は……」


 目を閉じる。

 山頂の『原始魔力エアー』が、濃くなる気がした。

 瞳を開くと、地面から放たれる『原始魔力エアー』が増えている。

 光が、舞う。

『エア』に背中を押されている気がした。

 勘違いかもしれないけれど、アカリ様にも。


「わ、わたしはレンゲくんが好きだから……この世界に負けないくらいあなたのことが好きだから……あなたにもこの世界を好きになって欲しいし、わたしと、レンゲくんの、子どもか、孫か、その孫か……わからないけど……その子に、次の聖女になって欲しいの。だから……世界をこれから先も守ってください。わたしと……」


 顔を上げると、目を見開かれたレンゲくんと目が合う。

 ヒュウ、と喉が熱くなり詰まる気がした。

 ここで諦めるな。

 言え、もう言ってしまえ。

 わたしの願いだ、これは。

 でも……。


「わたしと、結婚してください!」

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