十三歳のわたし第11話



 翌朝、朝食後に一応旅支度を整えて表に出てみると、レンゲくんとお父さんがすでに準備万端で待っていた。

 レネとモネに後片付けを頼み、ナコナも見送りに出てきてくれる。

 二人には薬の材料を採りに行く、とだけ伝えた。

 珠霊人とか『原始星ステラ』とか、まだよくわからないと思うもの……。


「で? どうやって行くんだ? 飛んでいくとか言ってたが」

「少し離れてて」


 レンゲくんがわたしとお父さんとナコナから離れつつ、更にわたしたちにも数歩下がるよう言う。

 言われた通りにすると、レンゲくんの体から黒い靄が溢れてその身を覆ってしまった。

 だが、溢れた靄は数メートル覆うような黒い霧に変わり……どんどん、どんどん膨れ上がる。


「あ……ああ……っ」


 声が、漏れる。

 ほんの少しパチパチと火花のようなものを放ちながら黒い霧は凝縮し、漆黒の巨獣が現れた。

 狼のような細身でありながらも太い手脚と、三本の尾を揺らす。

 額にはもう一つ目が開いていて、全部で三つの目がこちらを見下ろしていた。

 大きさは七メートル……ううん、もう少し大きいかも。


『少し大きいかな? まあ、乗れればいいでしょう?』

「こ、これがお前の本来の姿なのか」

『まさか。もう少し大きいよ』

「マジで!? ……ええ、ティナたちこれに乗ってくの!? 振り落とされない!?」

『振り落とさない。さぁ、乗って』


 スフィンクスのように足を折り、あくびをするレンゲくん。

 こ、こんなに大きい姿にもなれるんだ?

 ああ、でもなんだか見覚えがあるような気もするわ。

 赤ん坊の頃の私はこの姿の、狼くらいのサイズに助けてもらったはず。


「お、お鼻濡れてて可愛い……」

「ティナなに言ってんの」


 ナコナの冷静なツッコミ。

 え、えぇ〜、わたし前世はずっとアパート暮らしだったから犬や猫って好きだったけど飼えなくて……ちょっと憧れだったんだもん。

 ムジュムジュは、ほらなんかあれは可愛いとは言い難いし?

 いや、ぶさかわと言う意味でならぶさかわだと思うけど。

 そもそもやっぱりなんの生き物だかわからないし……。


「ティナ、い、行くぞ」

「あ、はい。じゃあ行ってくるね」

「うん、気をつけてよ? ……レンゲ、ちゃんと父さんとティナを返してね!」

『わかってるよ』


 先にレンゲくんの背中に跨ったお父さんが、手を差し出してくれる。

 その手を取ると、引っ張りあげられた。

 わたしを支えるように後ろからお腹に手を回してくれるお父さん。

 表情はカチコチだ。


「げ、げ、幻獣の背中にの、乗る日が……」

「だ、大丈夫? お父さん……」

「だだだだだだ大丈夫だ」


 ダメそうにしか見えませんけど!?

 ……わたしはレンゲくんの背中が思いの外ふかふかで、別な意味ドキドキしてる。

 上の毛って言えばいいのかな?

 上は硬い毛と、中の方はフワッフワッとしてる毛の二重奏!

 なにこれ、顔を埋めたい……!

 それにこの匂いはわたしが錬成したユピテルの花の石鹸の匂いだわ!

 レンゲくん、ちゃんと使ってくれたのね。

 ……お客様用に部屋に常備されてるやつだけど、お客が少ないせいで話題にならないのよ。

 お菓子の時みたいにこれが噂になってお客の呼び込みに繋がると思ったのに……!


『じゃあ行くよ』

「お、おおおおおおぉう」

「うん、よろしくね」


 お父さん本当に大丈夫かな。

 なんて、お父さんの心配をしていて忘れてたけど……。


「〜〜〜!!」


 ふわっと浮き上がる巨獣。

 上昇していくと、当たり前だが地面が遠のき、地上のあらゆるものが小さくなっていく。

 ええ、なんで忘れてたのかしらね?


 わたし、高所恐怖症だった!


 お父さんの腕に右手でしがみつき、やや前のめりになってもふもふの背中の毛を鷲掴む。

 足がつかないのはレンゲくんの体の大きさからすでに仕方のないものだとわかっていたはずなのに浮遊感が増すこの感覚はぉぁあわあわぉ〜!?


「ティ、ティナ大丈夫か?」

「今話しかけないでください」

「す、すみません……」


 わかる。

 本能で感じるわ。

 今顔を上げてはいけない。

 今顔を上げればとんでもないことになっている。

 レンゲくん、ちなみに幻獣大陸までどのくらいですか。

 震え声で淡々と聞いてみると…………。


『着いたよ』

「ふぁい!?」

「馬鹿な!?」


 顔を上げるとそこは見たことのない植物と、薄い青の幹がうねうねと捻れながら育った木々。

 そちらこちらに飛ぶ蛍のでっかい版のような虫。

 ええ、もちろん虫のお尻は光っておられるわ。

 レンゲくんは黒い霧を纏い、体を縮める。

 わたしたちは背に乗せられたまま、レンゲくんが獣の姿のまま進むのを呆然と眺めていた。

 いや、ええ? だって、はあ?


「どっ、どっ、どっ、どういうことだ!」

『転移魔法だけど?』

「転移魔法? 魔法!? 魔法でこんなことができるものなのか!?」

『できるけど……亜人ならまだしも人間には難しいんじゃないかな。ティナには教えてあげるよ。……まあ、だから……引っ越しの話? あれは別にそこまで深く考えなくてもいいんじゃないかな〜……って……』

「教えてくれるの!?」

『うん。ティナなら使えると思うよ』


 転移魔法……すごい!

 つまり瞬間移動ってことよね?

 これが使えたら確かに距離なんて関係ないわ!

 部屋が増えるくらいの感覚!

 しかも、わたしにも使える!

 やったぁ! すごい、嬉しい!

 …………けど……。


「それならなんで昨日言ってくれなかったの……?」

『信じないかと思って』


 ……お父さんとともにゆっくり目を逸らす。

 う、ううん。

 た、確かに昨日の時点で「転移魔法というものがあるからそれでそっちこっちに一瞬で移動すればいいよ」と言われても「はあ? 一瞬で移動? そんなの無理でしょ」と、お父さんとナコナは馬鹿にしていた気がする。

 わたしは、ロフォーラ山頂に一瞬で移動したのを見てるし信じたのにぃ。

 ……多分。


「こ、ここは幻獣大陸のどの辺りなんだ?」

『中心だよ。これからクリアレウス様にお会いする。優しい方だから大丈夫』

「ええ!? す、すぐに!?」

『うん。時間がないし』


 時間がないって、そんなこと言われても……。

 こ、心の準備がまるでできて——。


『クリアレウス様、お連れしました』

「も、もう!?」


 しゃがむレンゲくんの背から滑るように降ろされる。

 ふわっとした草だなぁ、と思ったら湖に浮かぶ……はす

 …………え? いや、は、は、蓮ぅーーー!?

 蓮の葉っぱの、ううぅえええぇーーー!?

 いつの間にー!?


「ああわわわわわ!?」

『? どうしたの?』

「みみみ水の上だし葉っぱの上だし!?」

『沈まないから平気だよ』

「沈まないってどうして言い切れるんだよ!」

『それよりクリアレウス様に挨拶してくれる? さすがに不敬だよ』


 お父さんもレンゲくんの背中にしがみついて、顔を青くしていた。

 でもレンゲくんに言われて、顔を上げる。

 透き通った湖。

 中心には巨大な切り株。

 蓮の葉っぱと、蓮の花が周りに浮かぶ。

 溢れる光は多分、濃度の高い『原始魔力エアー』。

 くすんだ緑色の瞳がこちらを眺め、目が合うと細められた。

 切り株の上には所々鱗の剥がれたドラゴンが丸くなって横たわっている。

 その目と、かち合ったのだ。

 でも多分あちらは……わたしが見えていない。


「め、目が悪いの?」

『ふふふ……いいえ、もう歳なのよ』


 レンゲくんに聞いたつもりがドラゴンから返事が返ってきた。

 昔はさぞ美しい純白のドラゴンだっただろう。

 顔の位置だけをこちらに動かして、鼻から深く息を吐き出す。

 ……なんだかそれすらも、しんどそう。


『このままでごめんなさいね。私はクリアレウス。この大陸の王。……見ての通り、もう永くはない』

「…………」

『ああ、見えなくともわかる。なんて澄んだ魔力……まるでアカリが帰ってきてくれたみたい。貴女がティナリスね? 大変な役割を任せることになるけれど、覚悟はいい?』

「…………あ……、……は、はい!」


 言葉が詰まってしまった。

『時間ない』……。

 レンゲくんが言っていたのは、こういうことだったのか。

 恐る恐る振り返るとレンゲくんは人の姿に戻っていた。

 そして、蓮の葉っぱが湖を移動してきて道になる。

 そこを通るように、と目で促されて、わたしは自分の手を握り締めた。

 そ、そうね、もう、ここまできたら……!


「行ってきます」

「あ、ああ」


 蓮の葉っぱの上を進む。

 わずかに沈み込むけれど、安定感はあるのよね、これ。

 近づけば近づくほどに巨大なドラゴン。

 そ、想像していたよりよっぽど大きいし威厳があるし、あと気品のようなものも感じる。

 切り株に辿り着くと、小さな段差を一つ登り……お鼻の真正面に立った。

 威圧感がすごい。

 ……緊張感が、増す。


『レンゲから色々聞いているわ。世界最後の珠霊人よ、貴女がここに来たのは……きっと運命ね』

「…………運命」


 なのだろうか?

 ……確かにまるで決められていたかのように、淡々とここまで来てしまった気はする。

 わたしだけが生き延びて、わたしが最も『原始星ステラ』の器に適していると言われた。

 運命か。

 そう言われるとそんな気もする。

 お父さんに拾われたのも、レンゲくんに再会したのも運命なら……運命ってそんなに悪いものじゃないのかな。


「あの、『原始星ステラ』に関して注意事項とかありますか?」

『え? 注意事項……? ま、まぁ、ふふふ……変なことを聞くのね。ないわ。貴女のお好きにお使いなさい。『原始星ステラ』は乙女の御心のままに使うのが最もいい。貴女はアカリに似ているから、きっと貴女が好きに使うのが一番いいと思うわ』

「……は、はぁ?」


 アカリ?

 誰?

 ……もしかして聖女『アーカリー・ベルズ』のこと?

 でも、アカリだなんてまるで日本人みたい。

 …………まさか?


「あの、アカリさん? とは?」

『人の世界には『アーカリー・ベルズ』などと伝わっているのでしたね……』

「! やっぱり聖女『アーカリー・ベルズ』様のことなんですか? なんだかお名前が……」

『昔はね、今とは文化文明が異なっていたのよ。……恐らく今の者たちに親しみやすく呼ばれるようになったのでしょう。聖女……確かに彼女は聖女と呼ぶに相応しい女性だった。けれど、普通の、ただの人間の娘でもあったわ』

「…………」


 聖女。

 …………普通の、人。

 よく、わからない。

 よくわからないのに、でも、言ってることはなんとなくわかるような気もするから、不思議。

 名前も、今とは文化文明が違うから、かぁ。

 わたしと同じような転生者、とかでは、ないのね?

 ちょっと残念。


『ティナリス、『原始星ステラ』は今から貴女のもの。貴女の御心のままに使いなさい。そしてどうか世界を救って。この世界に生き延びることのできた命を、どうか次の時代へ導いて……』

「クリアレウス様……」

『そして、レンゲ、貴方にもそろそろ色よい返事を……』

「どさくさに紛れてその話を蒸し返さないでください。僕は器じゃありません。レヴィレウスが大人になるまで皆で支えますから大丈夫ですよ」

『今この世界に貴方より強い者はいません。幻獣の王は世界で最も強い者がなるのが決まりです。レヴィレウスも貴方より強くなることはないでしょう。次期幻獣王は、貴方にこそ相応しい』

「い、や、で、す」

「……え? あ、あのう?」


 なにやら話が違うところにスライドしたような?

 わたしをダシに、レンゲくんに……次期幻獣王の、打診!?

 世界で最も強い者。

 そ、それがレンゲくん!?

 レンゲくんってそこまでなの!?

 そ、そりゃ昨日聞いた逸話も現実味がないくらいすごかったけど!

 次期幻獣王に指名されるくらい!?

 えええええええ!?

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