六歳のわたし第10話




「ティナ! ナコナ!」

「父さん!」

「お父さん!」


 街道を歩くと数分で宿への道へとたどり着けた。

 左足を引き摺る騎士は、また不気味な兜をかぶってゆっくりわたしたちの後ろをついてくる。

 今日の『お客様』だ。

 見えてきた宿の前の広場で、ギャガさんたちも両手を上げて駆けてくる父さんの後をついてくる。

 だった数十分の、大冒険。

 ああ、やっと終わった気がする……。

 父の胸に飛び込むナコナ。

 ナコナを抱き締めて、そのままわたしに突進してくるお父さん。


「ティナ! ああ! お前も! 無事で……っ!」

「…………はい、ただいま戻りました……」


 わたしの前に膝をついて、ナコナごと抱き締められる。

 ああ、うん、ほんと、よく無事だったなぁ、わたしたち。

 泣きじゃくってぐちゃぐちゃのお父さんの顔を見たら、色々どうでもよくなった。

 体の力と、心の枷のようなものが……緩くなるような……。


「心配させてごめんなさい」

「ああ! ほんとに、全くだ! ……ったくクソ! めちゃくちゃ心配した! この世が終わるかと思った! ……無事でよかった、よかった! ……ああ、ダ・マールの神よ……感謝します!」

「…………」


 震える右腕。

 少し、痛いくらいの力。

 熱い体温。

 ……これが『お父さん』か。

 そういえば、前世でお父さんに抱き締められたことってなかったな。

 マルコスさんはよく頭を撫でてくれるし、こうして抱き締めてくれるけど……なんか、なんだろう。

 そうね、この人は……お父さんなのよね……。


“わたしの”……お父さん……。



「ティナリスちゃーん! だもーーん!」

「無事でよかった!」

「ああ、本当に……よかったよかった……! って……うわあああああ!?」

「!」


 リリアンさんが悲鳴をあげる。

 なんだろう、と全員が彼女が指差す先を見て、同じく「ぎゃー!」と悲鳴をあげた。

 濃紺の鎧を纏った、騎士だ。

 ……た、確かに今見ても初見でこれは怖いな……。


「…………お前、リコ……!」

「久しいな、マルコス」


 え?

 お父さんの知り合い?

 ……あ、でもそういえばこの人さっき『ダ・マール』の騎士って言ってたような?

 わたしとナコナさんからゆっくり腕を外し、立ち上がるお父さん。

 お父さんが立ち上がると、騎士は夕暮れを背にして鎧兜に手をかけた。

 がちゃ、と金属音を立てて兜が外れる。

 さっきは夢中でよく覚えていなかったけれど……この騎士様の素顔!


「……っ!」

「は、ひ……」


 ナコナと共に……ううん、お父さん以外の全員が、喉を引きつらせた。

 兜を取った騎士は右側を長い紫紺の髪で覆っている。

 だが、柔らかな風によりその前髪が少しだけ揺れて素顔が見えた。

 右側半分が、皮膚のない、焼け爛れたような……それに唇も右側半分がほぼない。

 歯が、剥き出し……ひ、え。


「おお〜! リコリス! 本当に久しいな〜! 酒持ってくるって言って全然こないから死んだかと思ったぞ!」

「う、うん……離婚手続きとか色々あって……色々……」

「あ……。……あー、そうか……あれか、そうだな……お互いあれだったな……ははは……」

「ああ…」

「ははは、ははは……はは、は……はは」


 ……な、なにこの雰囲気……!?


「……マルコス、知り合い、なんじゃもん?」

「おう! つーか、お前も一度は名を聞いているはずだ。『ダ・マール』の“国家錬金術師”の一人! 攻撃特化錬金術師のみで構成された『黒の騎士団』団長、リコリス・アヴィデ。俺の昔の同僚だな」

「…………え、あ……」

「……国家、錬金術師……」

「リコリス・アヴィデだ」


 ……国家錬金術師。

 とは、国に認められた錬金術師のこと。

 まあ、そのままよね。

 でも、その数は当然ながら極めて少ない!

 国お抱えの錬金術師ともなれば『国』に一人か二人。

『ダ・マール』や『エデサ・クーラ』でも五人に満たないはず。


 え? ……え?

 まさか……その、一人?


「えええええええ!?」

「リコリス!? リコリスってことはあんた女!?」

「ええ!? え! ええ!?」


 女の人!?

 ナコナはそこに驚いたらしいけど、え!

 今更だけどわたしも、ええ!? えええええ!? ええええええぇぇぇ!?

 こ、こんなに不気味でゴツい鎧でしかも下手したらお父さんよりも背が高いのに女の人おおおぉぉぉ!?


「っていうか! アヴィデって! アヴィデって、え! 待って父さんアヴィデって『赤の騎士団』の団長とおんなじ苗字……」

「あ、ああ……リコリスはロンドレッドの野郎の、えーとまあそのなんだ。……前妻だな」

「ええええええええええぇぇぇ!?」

「ええええええーーーーーーー!?」



 …………多分、前世と今世合わせても一番驚いた。






 ********




「ほらよ」

「ありがとう。お前の娘の治療薬はよく効いている。明日には歩行が常時に戻れるだろう」

「本当ですか? よかった……」


 夕飯後、喫茶コーナーで五度目の治療薬をお父さんが手渡す。

 今我が家にあるのは『下級治療薬』だけなのよね。

 中級は素材が足りなくて……。

 だから下級の傷薬を数回に分けて飲んでもらっている。

 毒は『万能解毒薬』で完全に消えたようだが、咬まれたところは普通に怪我なのだ。

 鎧を脱ぎ去ったリコリスさんはやはり大きな女性で……こう言ってはなんだけど……大女、って感じ。

 背はあのヒールのような鎧の靴を脱いだ後もやはりお父さんより大きい。

 肩幅も、お尻も、ついでに胸もすごい。

 紫紺の髪に隠れた右側の顔は赤く爛れ、口元は完全に皮膚がない状態。

 唇はもちろん、一部の歯茎も……一体どうしてこんな顔に?

 ……下級治療薬、通称傷薬は五本目だが……顔の怪我は治る気配がない。

 むむむ、少し自信を持っていたのになんだか負けた気分だわ……。

 そりゃ、下級治療薬じゃ重度の古傷や大怪我は治せないけど……。


「……だが痕は残りそうだな」

「構わん。今更だ」

「まあな。騎士にとっては誉の傷……なんだが……」

「どうということはない……どうせ独り身だ……」

「…………」

「…………」

「…………」


 フッ、と笑う彼女。

 お父さんもだけど、わたしもナコナも押し黙る。

 だって、だってまさかお父さんの元奥さんで、ナコナのお母さんの再婚相手がこの人の元旦那って……!

 圧倒的泥沼!

 なんて声をかけたらいいのかまるで検討もつかない!

 お父さんも「すまん」と言えばいいのか、しかし彼女の夫は実質お父さんから妻を奪った男!

 ああああああ、かける言葉が全然思いつかないいぃ!

 ヒイィ、なんなのこの状況!?


「……あ、あの、リコリスさんは錬金術師、なんですか?」


 話題を……話題を逸らそう!

 そ、そうよ、ずっと気になってたことを聞けばいいのよ。

 お父さんが言ってた。

 リコリスさんは錬金術師。

 それも、国に認められた国家錬金術師!

 そんなすごい人とお話しできるなんて光栄だし、錬金術に関して色々教われるかもしれない!


「ああ、そうだが」

「あ、あの! わたしも錬金術を嗜んでいるんです。よろしければ色々教えてもらえませんか?」

「……そういえば先ほども万能解毒薬や下級治療薬を作ったのは君だと…………」

「すごかろう? すごかろう? うちの娘天才だろう!?」

「お父さん少し黙っててもらっていいですか」


 ……この調子なのだ。

 ナコナですら気を遣って押し黙っているというのに……全く。


「ああ、万能解毒薬を作れる者は等しく努力の天才と言える。私でもこれほどのものは作れん」

「……え?」

「君は錬金薬師だろう? ……私は錬金術師。違いが分わかるか?」

「……、……錬金術で、薬を作る人が、錬金薬師……薬以外が錬金術師、ですか?」

「そうだ。錬金術師は大きく二通りある。錬金術で薬や料理を専門に扱う者を錬金薬師。それ以外を錬金術師と呼ぶ。私は中でも攻撃特化……戦闘に特化した錬金術師なのだ。君と私では系統が違う」

「……そ…………、……そう、なんですか……」


 遠回しに「無理」って言われた。

 おおう、なんということ。

 ……でもなるほど、森の中で光の玉を撃ち出すあの戦闘スタイルはこの世界では珍しいと思った。

 銃器のようなものは持っていないけど、銃声のような音がしたのは錬金術でなにかしていたからなのね。

 魔法とは違う、科学的なもの。

 なにをどうしてどう戦ってたのかさっぱりわからない。

 これが錬金薬師と錬金術師の違い、なのかしら。


「君の知りたいことを、私は恐らく全て答えてやることはできないだろう。それでもよければなんでも聞いてくれ」

「! あ、ありがとうございます……あの、では……」


 ……えーと、色々聞きたいことはあるけど……。


「……錬金術師が目指すものの頂点とはなんですか?」


『賢者の石』とか、錬金術師の話ではよく出るけれど……ギャガさんは『万能治療薬』だと言っていた。

 もしかして、錬金術師と錬金薬師で目指す終着点が違うのかな?


「人による」

「……それはそうですね」


 ごもっともな答え。


「あの、では『万能治療薬』に関してなにかご存知ですか? 作られた、という話は聞くんですが……レシピなどがどうも曖昧で……」

「『万能治療薬』は作り方が確立していないのだ。何度か成功例は報告に上がっているが、どれも同じレシピ、同じ手順で錬成して成功した試しがない。『サイケオーレア』に成功例のレシピが一応集められてはいるが未だそれらのレシピで“二つ目”が成功していないという」

「そ、そうなんですね」

「錬金術のレシピは“確実に成功する”ことが条件。『万能治療薬』は未だそれが確立していない“幻”。とはいえ、錬金術の実験は危険も伴う。誰も試したことのないレシピを確立するのは相応の技量以外に覚悟が必要。でなくば私のように実験で顔の半分を吹き飛ばしてしまう」

「…………」


 あ……か、顔の半分……お父さんが言っていた、錬金術の失敗で顔が抉れた人……そんな、リコリスさんのことだったんだ……。


「そうなんですね……わかりました」

「さて、と。お前たち、そろそろ寝なさい。ここからは大人の時間だ」

「え! なによそ……」


 立ち上がるナコナ。

 なんか言い方がいやらしい!?

 ……と、わたしも思ったのだがお父さんが取り出したのは酒瓶だ。

 それも、五本。


「…………。はい、そうですね。今日は色々ありましたし。おやすみなさい!」

「おやすみなさい父さん。リコリスさん。今日はありがとうございましたー」

「ああ。こちらこそ」

「おやすみ。いい夢を見ろよ」


 …………そうね、さすがにナコナも察したらしいもんね。

 そりゃそうだ、飲まなきゃやってらんないわよね……。

 階段を登り、二階に来るとナコナも肩を落とす。


「あー、ムッチャ複雑〜……母さんの不倫相手の元奥さんとか……子どもとして申し訳がない〜」

「う、うーん…でも、あんまり気にしてなさそうでしたし……」

「敬語」

「ご、ごめん」


 ええ、普通に突っ込まれたぁ……。


「……なんにしても死ぬかと思ったよね」

「はい、じゃない、うん」

「あんたのおかげで助かったよ。だから、ティナにもありがと」

「いえ、そんな。……ナコナだってすごかった。魔物に立ち向かうなんて……」

「え、ちょっと姉さんって呼びなさいよー。呼び捨てなんて生意気よ」

「えぇ、だ、だってなんかお姉さんって呼ぶのは抵抗が……」

「あたしの方が五歳も年上なのに」

「まあ、そうなんだけど……あうううう」


 わちゃわちゃ。

 ほっぺを揉み揉みされる。

 ううう……確かに子どものほっぺが柔らかもちもちなのは認めるけど……や、やめれー!


「……めっちゃ怖かったよ」

「…………」


 だろうね。

 ……思い出して、震えるナコナ。

 そりゃそうだ。

 だってナコナはまだ十一歳。

 よくあの時あんなこと言い出したと思ったよ。

 撹乱だけとはいえ……相手は魔物だ。

 リコリスさんの攻撃が見事に尾の部分を吹き飛ばし、退けられていなければ……わたしたちはここでこんな呑気にしてられなかったんだから。


「あんたの言ったことがわかった。あたしは恵まれてる。父さんにも母さんにも、生きてるから会いに行けるんだね」

「うん」

「…………。……、……ねえ、あんたはどっちがいいと思う? あたしは『ダ・マール』に帰るべき? それとも……」


 お父さんの側か。

 それとも、再婚した母の元に戻るべきか。

 そうね、お母さん子のわたしならお母さんのところと答えたいところだけど……。


「……ナコナのいたい場所にいればいいよ。わたしもお父さんもナコナの味方だよ」

「…………。そっか」

「うん」

「ねえ、一緒に寝よう!」

「えっ」

「いいでしょ。なんかほらそのー、えーとあれよ。姉妹記念よ」


 ぎゅっと手を握る。

 とかなんとか言ってるけど……要するに昼間の出来事が怖かったから一緒に寝ろ、と。

 ふふふ、仕方ないわね……。


「うん」


 わたしも、なんだかんだ怖かった。

 だから…………一緒に寝てあげる。


 おねーちゃん。













 六歳のわたし 了

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