第2話

 阿門と私は一言で言えば先輩と後輩だ。それも、直属の。私が就職した二年後に彼は新卒として入ってきて、すべての業務を二人で進めることになった。新卒で私が赴任したとき、前年まで二人体制だったのに直属の先輩はいなかった。地味な作業が多いとはいえ資格が必要で、彼が来るまでは周りの助けを借りながらも一人で回していた。院卒だとしても自分だけでは判断できないケースもあって、その度によく周囲に迷惑をかけた。出張も多く、私がいないあいだは業務が止まってしまう。

 だから新卒でも何でも、それこそ猫の手も借りたい中で同じ資格を持った専任の部下がこの春に来ると聞いて、彼の姿を見る前から楽しみで待ちきれなかった。

「阿門裕実人(ゆみと)と申します」

 一昨年の四月に初めて出会ったとき、新品のスーツに合う黒髪がさらさらしていて、色白の肌に映えた。それでいて学部を卒業したばかりなんて眩しくて仕方ない。文学青年と形容したくなる黒縁眼鏡。

「私一人でずっとやってきた中で、あなたが来てくれただけで本当にありがたいの。分からないことがあったら何でも聞いてね」

 初対面の阿門は私を見てなぜか少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに礼儀正しく振る舞う。

 この小さな職場では、出身大学よりもこの地域で一番の高校を出ているかが重視される。ここから少し離れた都市部にあるその学校を出ていた彼は、他の同期よりもすぐに一目置かれた。

 勤務が始まって、彼はよく働いた。しかも大変気が利いた。忙しさのあまりつい散らかしていた共用の棚も、気が付くと彼が整理してくれている。声をかけると、

「いえいえ、これは僕の仕事ですから」

 と微笑む。そんな風に愛想も良いので、他の職員もすぐに可愛がった。男性陣はもちろん、普段は誰に対してもきつく当たってくる中堅の女性も、彼にはいつでもにこやかに笑みを浮かべ、話しかける度にお菓子を与える。菅原さんのような定時に退勤しがちな子育て中の先輩方も、帰りに誰が車のない阿門を助手席に乗せるのかを毎回取り合っていた。

 愛されるために生まれた。彼はそういう人物だった。

 見た目は好みでも、こちらから積極的に接するのは無理に付き合わせている感じがする。ストレスを与えてしまっては業務にも影響がある。何より、付き合っている恋人と来年の春には結婚すると、私は疑いもなく考えていた。

 まだ一週間経たないころ、帰る支度をしている阿門の鞄の奥底から鈴の音がかすかに聞こえた。配属が山のほうに決まったからと、小学生が付けているのよりも大きな熊よけの鈴を母親に持たされていた。

「家に置いたままにはしておけないので、仕方なく入れているんです」

 苦笑いを浮かべながらそう口にしてきた彼は、まだ結婚を考えられるような人ではない。

 半年以上、私達は清く正しく単なる先輩と後輩だった。一番身近な上司が私なので関わりは多かったが、会話の内容はたいてい仕事についてだ。職場の外で会おうとは思ったことがなかった。LINEを交換したのも、夏前に業務で必要になったからだ。

 席も隣同士。大切に、二年ものあいだ、丹精込めて育てた私の後輩。

 阿門の名は口の中で何度も転がすくらい好きだ。でも、下の名は決して呼ばない。だって彼は、誠実でもなければ余裕もない。

 いや、むしろ忠実で余裕がある人だからこそ、先輩である私にあんな態度だったのだろうか。

 私にはもう、分からない。

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