第五話 雀

 あたしは、この場所から出られないことくらい知っている。

 感染した上に、隔離されていることを知っている。

 結局のところ、ここを外だと思いたい人間たちは、いつものように権力争いをするしか能がなかった、ということだ。

 あの、殺し屋だってその中の一人でしかない。

 あたしの体はほぼほぼ溶けかけているけれど、なんとなく意識だけが保ててしまっている。感染したことによって凡そ、まともでない形のまま生き永らえてしまっている。

 感染していない頃の自分からしたら、哀れそのものだと思ったけれど、なってしまえばなんということのない日常である。

 悲しいかな。

 あたしは、この病原菌に感染することで常識という線をすこしばかりずらしてしまったのだ。おそらく、足先でなぞるようにしながら、その砂粒を磨り潰すような音を誰かに聞かせて見たいのだろう。

 ここで、感染しているけれど、生きている人間がいると。

 隔離された空間の、その外に向かって。

 そちらからは見えていても。

 こちらからは何も見えない、この状況で誰がいつどんな時に見ているかも分からないから、無駄なアピールを続けている。

 街中の監視カメラも、ガラスのような厚く高い壁も。

 そのすべてがあたしの自尊心を、生き方を、哲学を、人と人との関係性を刺激する。

 そんなことを思っているせいで、結局殺し屋を殺せても。

 留置所に入れられた。

 薄暗く、鉄格子の中。

 光は人工のもので、余計に気分が滅入る。

「間もなく、総理大臣がいらっしゃいますので、お待ちください。」

 あたしは舌打ちをする。

 お待ちくださいもあったものじゃない、ここにいれられて強制的に待たされているのだ。それを言葉の丁寧さだけで、何か意義でもあるかのようにするのは気持ちが悪い。

 あたしを舐めてる。

 まぁ。

 そりゃそうか。

 鉄格子の先にある、椅子に誰かが座らされていた。

 目を細める。

 首輪をしている。

 誰かだった。

 あたしの。

 一つ上の姉だった。

 いわゆる、三女だった。

 体が溶けて小腸が体の中で軽く浮いていた。

 血肉が床に垂れて、外から静かに入って来る光が四角く囲っている。その周りを埃が舞っている。先ほどまであたしの姉は、暴れていたのかもしれない。

 もう。

 手遅れだった。

 病原菌が完全に体を侵食したのだろう。

 人ではない。

 感染者ですらない。

 生者なわけがない。

「姉さん、死んだんだ。」

 あそこまで腐敗した女では、犯しても多分、気持ちよくないという事だと思う。総理大臣は愛人のうちの一人を捨てたと考えられる。

 自分もその感染者の内の一人なのに、女にはそういうものを要求したのだ。身勝手だ。

 とは、言わない。

 そういう価値を要求されて愛人になったのだから、その価値がなくなって捨てられても、文句はないだろう。というか、自分の姉くらいにはそういう覚悟を持っていてほしい。

 あたしは最後に誰の死を見ることになるのだろう。

 それこそ、あたしの死なのかもしれない。

 いずれ、この閉じられた世界では人という生き物は減っていく運命でしかない。分かっていながら短くなる命を見つめて生きている。

 いや。

 それは感染していなくとも同じだ。

「あたし、何したいんだろうなぁ。」

「好きにすればいいよ、お姉ちゃんは昔っからそうなんだし。」

 扉がひとりでに開く。

 あたしはその声を頭の中で反響させながら、扉の鍵を開けてくれた人間を探そうと顔を外へ出した。

 暗闇が続くせいで、足音は聞こえるものの、もう影も見えない。

 けれど、あの子の香りだけは残っている。

 深い深い闇の中に、桜の澄んだ香り。

「ありがとう。」

 七姉妹の四女として、長女も次女も殺さねばならない。

 あたしは、あたしがこのまま死ぬことを決して許したりはしない。

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