第四話 白熊

僕は、自分の姿を鏡で見ていた。

殺すための部屋を一々、変えていくのが流儀であるために、そうなのだが。

不思議なものでここに現実感などはない。人を殺すことは地球上で幾らでも行われていることなので、それ自体はかなり普通ではある。けれど、やはり自分の現実で人がしかも故意に殺される姿を何度も見る、ということになると、これはもう、非現実的な人生であると言わざるを得ない。

 殺し屋であれ、なんであれ、まともであることには違いない。

 殺し自体を、当たり前のことだと認識するようになったら、その時点で仕事人として終わっている。

 明らかに、潮時ということになる。

 高校生だろうが、社会人だろうが、そこで殺し屋として引退するべきだ。

 だが、殺し屋としての引退は、別にそれが尺度の全てになる、ということではない。

 殺し屋が引退するときの、理由はいくつかある。

 最もらしいもので言えば。

 死ぬ。とか。

 僕は自分の体にナイフが刺さっているのを見つめていた。

 場所は心臓ではなく、小腸や大腸のあたりだったが、流れ出る血液の勢いと、流れ出てしまった血液の量を見つめても、死が近いことくらいしか分からない。

 ものの見事に、次に殺す予定だった白熊は、僕の息の根をこのナイフで止めようとした。

 そして。

 ものの見事に、僕の息の根は止まる予定になった。

「お前さぁ、もうあたしの妹たち三人殺したんだろ。」

「まぁね。」

「殺し屋としてすげぇらしいじゃん。いや、あたしもマジでビビったわ。オタクくせぇ見た目なのに。」

「こういうのだと油断してくれるんだよね。」

「ま、そういうもんだろうな。口の悪いあたしじゃ、無理な芸当だわ。」

「白熊も殺し屋やってたの。」

「やってた、というか。子どもとして引き取られた理由がお父さんのボディーガード的な感じだったし。」

「そっか。それは参ったな。」

 殺し屋が相手だったら、四女は殺し屋だと教えてくれればいいのに。

 富豪はそのことを教えてはくれなかった。

「あたしが殺し屋だっていう情報が、あんたに行かないようにもう手は打ってたからね。」

「あ、そう。すごいね、準備いいね。」

「まぁ、AVデビューだってする気なんかなかったし。殺しやすいようにしなきゃ、嘘でしょ。」

「誰、殺すの。」

「あんた。と。」

「うん。」

「お父さん。」

「何かあったの。」

「お父さんは、あたしのことは殺そうとしてたから。」

「元殺し屋だしね。」

「いいタイミングで捨てたかったんじゃないの。」

 その瞬間、部屋の扉が開き、何人かの男が入ってきた。皆、それなりに鍛えたであろう体つきで僕のことも、白熊のこともにらんでいた。

「配達に参りました。」

「はぁ。」

「へぇ。」

 気の抜けた返事と共に、男の一人が何かを投げた。

 目が合った。

 笑っていた。

 富豪の生首だった。

「誰がお前らの依頼人なんだよ。」

「総理大臣です。」

「あ、そ。」

「皆様を連行します。」

「皆様って。こいつ、死ぬけど。」

 白熊は僕のことを指さして疲れた表情で笑って見せる。

 中々、可愛かった。

 男たちの群れの中から何かが弾き飛ばされたのが見えた瞬間。

 首筋に熱湯をかけられたような感覚が襲う。

 血が噴き出し始めた。

 意識が一気に朦朧とし始める。

 歪んだ視界の中で、男たちと白熊がこちらを見つめている。その目は冷ややかであるか、温かいものであるのかも確認できない。

 それが、むしろこの状況には合っていた。

「長女と、次女と、三女はどうすればいい。」

 僕は譫言のように吐き出してみる。自分のアイデンティティを殺しに含ませて生きてきたはずであると思いたかった。遠くなる自分の指先から任されていた仕事が消えていくのを感じる。

「三人とも総理大臣の愛人です。」

 それが全てなのだそうだ。

 何もかも、綺麗になっていた。

 あとは、僕が死ねばすべてか。

 ポケットから取り出した薬品を気づかれないように飲み干してから、それを口の中で唾液に混ぜて床に垂らす。

 苦い味は、酷く鉄の風味を感じさせ、そのままあくびも誘発する。

 不安定な精神が安定すると、大きく高い笑い声が意識を無視して部屋中を飛び回り始める。

「死ね。」

 感染者だけが閉じ込められた。

 こんな狭い世界で。

 総理大臣を名乗る人間の気が知れない。

「死ね。」

 白熊の眼球が落ちる。

 白熊の視神経が垂れ下がる。

 白熊の赤黒い血液が漏れ出る。

 白熊の手がそれを慣れた手つきで拭き取る。

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