1.5
女王候補が宮殿に上がった、その日の夜の事……。
「はぁ……どうして俺ってこうなんでしょう…」
他の騎士達が寝静まった騎士寮の食堂で、第五騎士団長のウィリアム・オルガはその目に涙を湛えて真っ白いミルクを呷った。
まるでやけ酒をするかのようなその様子を隣に座って見守っているのは、第六騎士団長のアイゼル・ポスチアと第七騎士団長のシシーム・リュカだ。ウィリアムは半分ほどを飲み下したジョッキを音高くテーブルに置いて、アイゼルの片眼鏡を覗き込む。
「俺、別に間違った事はしてないですよね、アイゼルさん!」
「あなたの選択は間違っていませんよ、ウィリアム。ただ、間違っていたとすれば、その……」
アイゼルが困って目をこちらに向けたので、その言葉をシシームが接いだ。
「話題と、タイミング、ですかね……」
本日、第五騎士団長ウィリアム・オルガは、宮殿での女王候補の謁見が終わると、執務室で残っている事務処理を片付け、いつもより早めに仕事を終えて街へ出かけた。
目的は、偶然にもこの日が誕生日である恋人を祝うためである。
当初は彼女から「休みを取って一日一緒にいて欲しい」と言われていたのだが、さすがに叶わなかったために、早めに仕事を終えてくるから、と何とか彼女を説き伏せてのこの時間である。
プレゼントはひと月前から用意していたし、彼女の元へ行くまでに花束も用意した。彼女の喜ぶ姿を想像しながら、軽快なステップで待ち合わせ場所へ向かう。
公園の前で待っていた彼女に祝いの言葉を口にして花束を渡すと、彼女は弾けんばかりの笑顔で喜んだ。
二人はすっかり幸せな気持ちになって、腕を組んで寄り添い合って公園を離れ、行きつけのレストランへ、予約済みのディナーを楽しみに向かった。誕生日プレゼントのロケットは、サプライズで用意しているケーキを食べている時に渡そうと、ムードを重視するウィリアムは決めていた。上着の内ポケットに入っている小さな箱を、彼女に悟られない様に確かめる。
レストランの店主はにこやかに二人を迎え、彼女が見ていない所でウィリアムに目配せをした。懇意の店主とは色々と今日のことを打ち合わせ済みだ。
しかし、滞りなく食事は進んだ、と思っていたのはウィリアムだけだった。コースが進んでいくに連れて、彼女の顔色が不機嫌そうに曇っていくのだ。
祝いの席でのウィリアムの話題と言えば、女王や高位騎士達の話ばかり。挙げ句の果てには女王候補がどんな感じの娘達だとか、ディオが子猫を助けて謁見に遅れただとか、そんな話だった。
彼は、第三騎士団長のエドワルドほど女慣れもしておらず、仕事以外の話題も豊富ではない。彼らの付き合いは元々このようなもので、ウィリアムが話すことといえば仕事であった出来事が大半だ。
しかし今日は彼女の誕生日で、加えて女王候補とはいえ、知らない女の話をあれやこれやと聞かされた彼女が機嫌を損ねない訳は無かった。
結果的にサプライズのケーキに手を付け始めた段階で、平手打ちを食らい花束を叩きつけられて振られてしまった。
慌てて渡したプレゼントのロケットは、彼女が怒りにまかせて誕生日ケーキの中に押し込んだので、スポンジとクリームにまみれている。
蓋を開けると、オルゴールが小さな音で悲しげに鳴った。
一人とぼとぼと騎士寮に帰ってきたウィリアムが食堂で泣き濡れているので、最初は彼の部下や他の騎士達みんなが慰めていた。
したし、いつまでも泣きながら悲観的な言葉ばかりを口にするウィリアムに誰もが辟易してきた頃、アイゼルとシシームが「ここは任せてあなた達は休みなさい」と請け合ったのだ。
今頃、他の騎士達は自室に下がって安心ぐっすり夢の中、という訳である。
「大好きだったのに……。彼女一人幸せにできないなんて、最低だ……。きっとこんなやつ、生涯誰からも愛されないで終わるんだ……」
ウィリアムが悲観的に呟いた言葉は、すすり泣きに変わっていく。頭を抱えて俯いた彼に気付かれないよう、シシームがアイゼルに「本当にミルクですよね?」と目で問うた。普段の彼からは考えられない程後ろ向きな発言に、本当に酔っていないのかを疑ったのだ。
アイゼルは顔をジョッキに近づけて匂いを嗅ぎ、目で返答した。「確かにミルクです」
返答にほっと息を吐いたシシームは、気を取り直して泣き崩れる青年の背中を優しくさすった。まるで泣きじゃくる子供を安心させようとするかの様に。
「ウィリアム、そんなに悲観的になるものでもありませんよ。確かに騎士達に既婚者は多いですが、私たち九人の高位騎士は全員独り身ですし……」
続くアイゼルは、ミルクの入ったジョッキをウィリアムの手元からさりげなく遠ざけた。酔いはしなくとも、多量摂取で腹を下してしまっては大変だ。
「そうですよ。人の幸せは必ずしも、異性から愛される事だけではありません。私にはあなたのように逢瀬を楽しめる女性は残念ながらいませんが……あなた達とのこういった時間が、今の私の幸せですよ」
「アイゼルさん……シシームさん……」
その時、瞳を潤ませて顔を上げたウィリアムの顔色が、一瞬にして青ざめた。帰寮してから何時間もミルクを飲んだくれていては、さすがにそうなるだろう。
彼が口元を押さえたので、アイゼルとシシームは冷静な判断と無駄の無い動きで彼を両脇から抱え上げ、厠へ連れて行くのだった。
☆
同日の同じ頃、深夜の王都を巡回する第八騎士団長、ジェレミア・マイルスは、後ろを金魚の糞の様についてくる第九騎士団長、ノルディス・クラウディアを横目でちらり見てうんざりした顔をしていた。
対するノルディスは邪気を全く感じさせない顔で、本日何回目かの同じ質問をした。
「ねぇ、マイルス様。女王陛下の仰る『女神の意思』ってなんなんですか? ねぇねぇ」
ジェレミアはしつこい羽虫を追い払う様に、眉をしかめる。
「ああ、もう。うるさいねぇ。私が知るわけ無いじゃないの」
第九騎士団は緊急時の備えとして夜の巡回への追随を仕事としている。ノルディスはジェレミアの返答などどこ吹く風で、唇に指を置いて思案げに言った。
「可愛い子達だったけど、別に特別な所は感じなかったなぁ。何であの子達じゃないといけないんだろうって不思議で」
ジェレミアは彼の憎たらしい程可愛らしい仕草に、口の端を持ち上げた。
「いいじゃない。女神の意思は、その女神の血筋である女王陛下のみぞ知るんだから。私達は、可愛い子が来てラッキー、くらいに思っときゃぁ、いいの」
「そんなものなんですかねぇ」
「そうそう」
楽観的に言うジェレミアは、蝶の様にひらひらとした足取りで歩いていく。難しい顔でその後ろをついていくノルディスの事など目もくれずに、彼は期待に胸を膨らませた。
「あ~、楽しみだねぇ、ヒバリのあの瞳をシャドウで飾る日が。あの健康的な肌に薄桃色のチークを叩いて、桜色の唇には……そうねぇ、オレンジ色が似合うかも」
気に入った顔があれば、その人で『お人形遊び』をするのが彼の楽しみだ。
歌うように言いながら、ジェレミアは上機嫌に指を振ってステップを踏む。
その様子はまるで夜の散歩を楽しむ舞台女優の様で、とても巡回中の騎士団長には見えない。角を曲がると、その一本道を月光が照らしだした。その銀橋の上を、彼は目を閉じて踊り進む。
「ディオの方も、素材は十分に良かったね。ダイヤの原石……ってのは少し言いすぎかしら? ふふっ、でもああいうのを、キラキラした衣で飾るのが楽しいのよ~。……何色が良いと思う、ノルディス?」
ぴたりと足を止めて開いた片眼で、小走りに追いついたノルディスを見る。彼は気まぐれなジェレミアの行動には慣れっこの様で、特に気にした様子も無く問いかけに答えた。
「ん~、そうですね……。ディオは素敵な黒髪を持ってるから、緑色のドレスなんか、似合うんじゃないですか?」
自信のあるコーディネートだったが、くるりと振り向いたジェレミアに一刀両断にされた。
「ええ? グリーンなんてぇ。あの黒には、やっぱりオレンジでしょう? ……ほらぁ、私の髪に差している色とおそろいにすると、良い感じだと思わなぁい?」
そう言ってジェレミアは、オリーブブラウンの髪の、鮮やかなオレンジに染まった毛束を見せつける様にさらりと流した。この間は、インナーに入れたピンクで同じ様なやりとりがあったのを、ノルディスは思い出す。
「……もしかしてそれ、新しく差した色を見て欲しくて自慢してるだけだったりします……?」
「まぁさぁかぁ! でも、いい色でしょう?」
やっと自慢の新色を見て貰えて、ジェレミアは跳び上がって喜んだ。ノルディスは愛らしい顔の下に呆れを隠して、上機嫌に巡回を続けるジェレミアの後をついていった。
夜はまだまだ、明けそうに無い。
☆
騒がしかった階下もやっと静かになると、騎士寮の一室の窓辺で夜風に当たるレイドックは、ほう、と息を吐いた。
騎士になって六年、騎士団長を拝命して二年が過ぎた。その間他国との大きな争いも無く、この国はまだ何とか平和を保っている。
安穏な生活が長引いたお陰で、平和ぼけをしている騎士も増えた。昨今では港町を困らせている賊を捕らえに行くとか、小さな村で起きた獣害に対応する為に騎士を派遣するとか、そう言った小競り合いに対応するのが関の山だ。
夜空を見上げる。不安げに揺れている星々が、レイドックの目にははっきりと見えた。
『女神の意思』は、確かに二人の少女を選んだ。
しかし現女王の『女神の加護』の力は、着実に衰えを見せているらしい。女王はその秘め事を、レイドック、マイクロフト、アイゼルだけにひっそりと明かした。
加護を失いつつあるこの国がこれから直面するであろう苦難を思うと、自然と眉間に皺が刻まれた。ややあってそれに気付いた彼は、俯いてそれをつまんでほぐす。
『レイドックは余計な力を入れすぎなんだよ』
副団長として共に第二騎士団をまとめ上げていた頃に、よく言われた言葉だった。装備を外していない指先で、何度も眉間を小突かれた。今となっては、思い出す事も大分減ったが。
彼女たちに任せるしかないのだろうか。あの頼り無い、たかだか二人の村娘に。
陛下を信じるのであれば、そうするしかない……。頭では分かっていつつも、先行きを思えば、出てくるのは重たいため息ばかりだった。
夜も女王試験も、まだ長い。
また今夜も、眠れそうになかった。
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