0.5

 二人の女王候補が王宮に上がる、その一ヶ月前。

 エリューシオ王国、王都アリセレオスから馬でも丸一日の距離にある、小さな村。ヴィゼアーダ。

 ――からほど近い森の中。


「そっちにいったぞ!」

 獲物が巨体を揺らして駆けていく。その方向に待機している仲間達に注意を促すため、グレイグは叫んだ。

 ここで一気に片を付けるつもりだったので、そちらには熟練とは言いがたい若い者しか配置していない。

 想像したとおり、獲物が向かった方向からは、戦士とはほど遠い情けない叫び声が聞こえてきた。

「……はぁ」

 いくら獲物が異常なまでに成長している巨大猪だとはいっても、命を守る誇り高き戦士が揃いも揃ってそんな声を出すとは、情けない。グレイグは苛立ち紛れに嘆息したが、狩人として歴戦をくぐり抜けた叔父から「早く行くぞ」と促されて、声のした方向へ駆けだした。

 合流した仲間達は、それでも戦士の誇りは捨てていなかった。

 傷を負って血を流しているが、槍を構える者、足が使い物にならなくなったのか、地に尻を就けたまま何とか獲物に槍を向けている者、いずれも闘志は捨ててはいない。

 再び巨体で突進してくる動きを見せる巨猪。グレイグは弓に矢をつがえて、叔父は短剣を構え直した。

 その時――。

「背中もらい!」

 木の葉を揺らし、ザンと上から降ってきたディオ・フィリア・グランディエが、猪の巨体に跨がった。

 突然の事に驚いた猪が、声を上げて暴れ出す。巨体の背中をとった彼女に、グレイグは歯がみする。

「くっそ、またディオか……!」

 このところグレイグは彼女に獲物を取られっぱなしである。

 負けるかと猪の左目を狙って放った矢は、獲物が背中の異物をはねのけようとした拍子に外れて後ろの幹を抉った。

「どうどう…あんまりっ、暴れッ、んぃ……なっ、てぇ……ははは!」

 猪の背にしがみつくディオは最初こそ必死そうな顔をしていたものの、跳ね回る背中が徐々に面白くなってきた様だ。笑いながら猪の暴れ回るに任せている様に見えた。

 命のやりとりの中にあっても、強い相手に出会った時、内なる高揚が顔に出てしまうのは、父親である村長そっくりだ。

 弓を装備しているものは彼女の援護に矢を放つが、一本足りとて当たる気配は無い。

 グレイグが五本目の矢をつがえようとしたとき、それを叔父が制した。

「おい、待て!」

「なんだよ!? ……?」

 肩を掴んだ叔父を見る。叔父が目で示した獲物の方を振り向くと、その頭が向いている方向が明らかにさっきまでと違っていた。

 ディオは、ただ闇雲に猪を暴れさせているわけではなかった。彼女はその背の上で獲物を誘導していたのだ。

 猪が森の中で唯一むき出しの岩場に向かって突進を始めた所で、ディオはその背から跳び上がって、通り過ぎようとする木立を掴んだ。

「よっ……」 

 猪はそのまま勢いを殺せずに、轟音を立てて岩場に激突する。

「おりゃあぁ!」

 その横腹に、ディオは雷光の如き勢いで木から飛び降りると、突き刺すような蹴りを見舞った。いくつもの小さな稲光が瞬く。

 そして獲物は哀れな声で一ついななくと、力を無くしてその場に倒れた。舞い上がった土煙が収まるまで、少しの間誰ひとりとして動かなかった。

 やがて猪が絶命している事をグレイグの叔父が確認し、その場の全員に向けて言った。


「よぅし、それじゃあ、早いところ村に戻って祭りの準備だ。お前ら、解体して運び出すぞ」

「へ? 儀式への供えなのに? 儀式が始まる前に体に刃を入れるのか?」

 今日は村で、祖先と自然に感謝を捧げる大事な祭り。今日狩りに来たのは、その儀式に供物として捧げるものだった。捧げ物は基本的に、あまり傷つけずに供えるものだというのに。

 しかしグレイグの質問に答えた叔父は、ニヤリと笑った。

「お前ら、この巨体を動かせるのか? 俺は悪いが、動かせないね。こっちが潰れちまわぁ」

 確かにいくら男手があるといっても、この巨体は動かせそうに無い。体長は成人の男一人と少し、その胴周りはまるで、森の木が走っているかの様だ。

 年嵩の練達狩人達がどの様に解体するか話し合う中、ディオは満足げに腰に手を当てている。

「いやぁ、良い獲物が獲れたなあ! これなら村の皆も祖先も大満足だ!」

 グレイグは悔し紛れに、そんな彼女に毒づく。

「へっ、村長の娘は他の女子供と同じく、家を護っていれば良いんだ」

 いつもの事だ。ディオは悪戯っぽい笑顔で答える。

「他の男がこいつを狩れる様になったその時は、私は喜んで家を護るよ」

 グレイグは面白くなさそうにすると、叔父に呼ばれて解体作業に加わった。


 ☆


「ちょいとヒバリ、来てくれるかい?」

「ええ、何?」

 ヴィゼアーダ村では、男達が狩りに行っている間、女達は忙しなく村中を駆け回っていた。

 今日は村の狩猟祭。村を見守ってくれている祖先と自然に祈りを捧げる、神聖な儀式の日だ。

 ヒバリはアラナに呼ばれて振り向いた。

「衣装、言ってた所を直したから合わせてみて貰いたいのよ」

 アラナは儀式で祖先に捧げるのダンスの衣装を作る係だ。小さな頃から憧れていて、この仕事をやっと任される日がきた、と初仕事に張り切っている。

 ヒバリがアラナに付いて彼女の家に向かっていると、他の女達や子供達が森の入り口の方に駆けていくのを見かけた。通りすがりにイメルダが、大きな独り言を言う。

「さぁさ、うるさいのが帰ってきたね。しっかり大物獲ってきたのかしら?」

 その言葉で、ヒバリはアラナと一緒に森の入り口に目を向けた。目に入った姿にぱっと顔を明るくする。「ディオ!」

 期待を込めて、ヒバリはアラナを見る。彼女は仕方ないという顔をして、手で促した。


 ヒバリは嬉しさを声に漏らして、子供達に混じって森の入り口に駆けていく。


「なんだい、獲物はバラしちまったのかい」

 聞いたイメルダにグレイグの叔父が得意げに答える。

「ああ、デカすぎてそのまま持ち帰れなくてな。といっても、お手柄はまたこの村自慢の村長の娘だがな」

 それを聞き、男達の持つ笊や籠を覗き込んで、群がった女子供がわあ、と声を上げる。

「これで一匹かい! よっぽど大きかったんだねぇ!」

「ディオ、すごーい!」

 こんな大猟を見たことが無い小さな子供達は、特に大興奮していた。

 ヒバリがすぐ後ろにいることに気付いた隣家の娘が、彼女が輪に入れる様に体をずらして言った。

「まぁたお手柄だよ、あんたの『ダンナ』は!」

『夫婦の様に仲の良い幼なじみ』という意味合いで、ディオの事をヒバリの『ダンナ』と表現する軽口は、村人全員に馴染んでいる。当人達も特段、それについて気にする事は無くなっていた。

「わぁ、こんなに!」

 男達の荷物の量に改めてヒバリが感嘆の声を漏らすと、若い男の一人がぼやく。

「またディオに仕留められちまったよ」

 悔しさより情けなさが勝つ、といった顔で男は首を振る。しかしヒバリはその言葉に微笑みかけた。

「でも、ディオだけの手柄じゃないでしょう? みんな、ありがとう」

 狩りは一人の力で成功するものじゃない。獲物を見つける役がいて、追い立てる役がいて……みんなの力を合わせて生きていく術なのだ。それは、父親と幼なじみを見ていれば分かる。

 花咲くような笑顔に、男性陣の頬が緩んだ。既婚者までもがついついニヤついた頬を、脇から出てきた伴侶がつねる。

 アラナが後ろから顔を出してヒバリに声をかける。「ヒバリ、そろそろいいかい? ああ、『ダンナ』も一緒に見てくれるかい?」

 同じく呼ばれたディオが「何?」と聞くとヒバリが答えた。

「ダンスの衣装合わせだよ。肩の所を直してもらってたの。ディオも一緒に見に来て」

「おっ、それは楽しみだ」

「ちょっと行ってくる」と男達に軽く言ってディオはヒバリと連れ立って離れていく。

 その後ろ姿を見ながら、先ほどの男がまたぼやいた。

「あーあ。これじゃあ今年も、最高の戦士の誉れはディオに持って行かれたな」

 祭りでは村長が村一番の戦士を讃え、労う。確か前回も、彼女に持って行かれていたはずだ。男は続ける。

「しかし、唯一の救いはあれが『男じゃない』って所だなぁ。男だったら、最高の戦士の誉れもヒバリもかっさらわれて俺達若いのはみんなおしまいだよ」

 その言葉に、グレイグの叔父がニヤリとして顎を扱いた。

「あぁ、ヒバリなぁ……いい女になったもんだよ、本当に。あの笑顔で労われたら、狩りの疲れなんて吹き飛んでくもんな」

 聞き捨てならない叔父の言葉に、グレイグが声を荒げる。

「ちょ、ちょっと! 叔父さんには叔母さんがいるでしょ!」

「なぁに、男なら火遊びの二度や三度はしないでどうする。……やけに慌ててるがグレイグ、お前もひょっとして惚れてんのか?」

「なっ……かっ、関係ないでしょ!」

 図星を言い当てられて顔を真っ赤にするグレイグを、その場にいる全員がはやし立てた。

 そろそろ日が傾いてくる頃合いだった。


 ヴィゼアーダ村は小さい。それ故に村人達はみんな家族同然に仲が良い。

 特にヒバリとディオ、二人の父親は小さい頃から何をするのも一緒で、本当の兄弟の様に育ったという。

 村の宴会では父親達がよく絡んだし、当然の様にその娘達も仲良くなった。花咲く笑顔を湛えるヒバリと、星の様に輝くディオは、不思議と馬が合った。

「ディオが男だったら、喜んでヒバリを嫁がせたのにね」と、母親同士はよく笑っていた。

 成長するにつれ、ヒバリの笑顔は魅力を増して、彼女は村中から愛される娘になった。

 そしてディオの輝きは力を増して、男衆に混じって獲物を狩る戦士にまで成長した。


 これからも二人はこの村で、笑い合い、支え合いながら生きていくのだろうと、この時は誰もが思っていた。

 

 ☆


 日が傾いて、儀式が始まる。

 村の中央の広場に設えられた祭壇に、女達の手によって男達の獲ってきた供物が捧げられる。祭壇の周りと村中に立てたたいまつが、時折爆ぜてパチパチと音を立てた。

 村長によって、自然と先祖達への感謝と祈りが厳かに捧げられる。最高の戦士の誉れはやはり、ディオに与えられた。

 父に呼ばわれたディオが静かに祭壇へと進み出て、村長は祭壇から誉れの短剣を恭しく預かり、ディオに授ける。空に一筋、星が流れた。

「来る明日も、村と家族が平穏に過ごせるよう」

 そう、誉れの戦士と村長が願いを捧げて頭を下げると、周りでそれを見守る村人達も頭を下げた。皆が頭を上げると、祭壇の前に膝をついていた村長とディオはゆっくりと立ち上がった。祭壇のある広場と参列席を分ける様に鳥居が立てられており、二人はそれを潜って今一度祖先達に頭を下げて、家族の待つ参列席に戻った。

 少しの準備の後、ヒバリ達三人の娘による軽やかな舞踊が始まった。三人とも揃いの衣装を着て、ヒバリが直して貰ったという肩の所には、小さなブーケが縫い付けられていた。

 舞い踊る三人を見て、ディオの隣で母のディアトラが「ヒバリは本当に綺麗になったねぇ」と感心した声を出す。そっと肩に触れた手を重ねて、ディオは頷いた。

「本当だね。……ねぇ、母さん。やっぱり、ヒバリみたいな娘が欲しかった?」

 何の気のない軽口として聞いてみる。戦士の誇りと同居して、年頃の娘らしい迷いがディオの心中に芽生えていたのは、ごく自然な事だった。

 果たして自分は、このまま戦士として生きて良いのか。……いや『それだけ』で本当にいいのか、と。

 ディアトラは母親が持つ嗅覚でその迷いを嗅ぎ分け、自慢の娘をぐっと力強く抱き寄せる。

「あんな愛らしい娘を私が本気で欲しがったとしたら、兄ちゃん達がなってくれるんじゃないのかね? 可愛い妹に戦士の誉れを取られっぱなしの兄ちゃん達の、どちらかがさ」

 母と一緒に、後ろにいる二人の兄を横目で見る。聞こえていたのか、二人はばつが悪そうに目を逸らした。正面に向き直ってヒバリ達のダンスを見ながら、ディアトラは言う。

「アンタのなりたい姿になりな。どんな姿であれ、アンタは私の自慢の娘だよ」

「……うん」

 安心を覚えたディオは少しの間、母の温もりを噛みしめるように目を閉じた。


 その二人からほど近い場所で一人娘の晴れ舞台を見守るアトリは、伴侶のツグミに零れた涙を拭われる。健やかに美しく成長した愛娘の舞に、父親として涙を禁じ得ない。

「アトリさん、泣きすぎ」

 娘とよく似た笑顔で夫の涙を拭いながら、ツグミは言った。けれどもアトリの目からは次から次へと滴が溢れてくる。

「だけども、ヒバリが――こんなに綺麗になって……あんなに立派な姿を見せてくれるなんて……」

「もうっ、アトリさんったら。ちゃんと見てあげないと、あとでヒバリに叱られますよ」

 夫の気持ちもよく分かる。数年前まで思い悩んでいたあの子が、まさかこんな姿を見せてくれるなんて。

 力の強いものが権力を持つ村社会で父親や親友に守られるばかりだったヒバリには、隣に立つその親友の強さに憧れ、自分はどうしてその強さに近づけないのかと、日々悩んでいた時期があった。夜な夜な家の裏手の木を相手に慣れない剣を振るってみたり、重い荷物を持ち上げようとして顔から転んだり、どこかを痛めたり。それらがどうしても上手く出来ないと癇癪を起こして泣いて帰ってきた事も、一度や二度ではない。

 村の女は男と婚姻を結び、家を守るのが最上の喜びだと考えられている。ディオの存在は特異な例だ。

 自分たちの娘はきっと、守られっぱなしの存在でありたくないのだろう、とツグミは思った。彼女も同じように、誰かを守る存在でありたいと願ったのであろう。その感情は傲慢でも奢りでもなく、紛れもない『強さ』の証であった。

 舞台上の娘からは、与えられた場所で人々のために望まれた事を頑張る――そうする事で表現する、彼女なりの『強さ』を感じた。

「綺麗よ、ヒバリ……」

 泣き濡れる夫を支えながら、ツグミは舞台上で舞う娘に呟いた。その時風が頬を撫でて、彼女達の舞に森の木々も喜んでいるのだと、ツグミはそう思って微笑んだ。

 

 儀式が一通り終われば、後は賑やかな宴会だった。

 村人達は皆、飲めや歌えの大騒ぎだ。年寄り連中には、儀式よりもこちらを楽しみにしていた者も多い。グレイグの叔父は酒に酔っ払った赤ら顔で奇妙な踊りを披露していた。

 わいわいと賑やかな宴席の中、村長が呂律の怪しい声を上げる。

「結局なぁ、俺が折れたんだよぅ!」

 ディオは毎年の如く聞かされる、酔っ払った父親の昔話にうんざりしている。その隣には衣装を着たままのヒバリも座らされていた。

 村長一家では――もしかすると村としても――宴会でのこの光景はもはや恒例だ。ディオは、歳を重ねるごとに父親が泣き上戸になっていっているのを感じる。今日のお題もいつもと代わらず、『うら若き青春の日々』だった。

「どんな大きな獲物もぉ……ひぃっく、仕留めるぅ~、村最強ぉの『村長の息子』がぁあ……恋の鞘当てに破れちまったぁあ! うわぁぁあん!」

 そうして昔の辛い恋物語を話しては、語りがここにさしかかるといつも大人げない声で大泣きをする。物心ついた時から繰り返されているので、一体この話を聞いたのは何回目なのか、ディオには判断がつかなかった。

 要約するとその昔、年頃だったディオの父と親友のアトリは、村一番の美少女ツグミを取り合った。それだけの話だった。

 その結果子供としてヒバリが生まれたのだから、今の若い男衆からしたらアトリ様万々歳、というものである。

 いつの間にか隣へ来ていた当のアトリと肩を組んでおいおいと泣いていた村長だったが、酔い覚ましとばかりにディアトラに「良かったじゃないか!」と膝を叩かれた。

「お陰で自慢の嫁も息子も、娘まで授かったんだ!」

 そして豪快に笑うディアトラが母で、ディオも本当に良かったと思う。母のからからと気持ちの良い笑い声が、昔から大好きだ。

 そうして村長は、今度は素晴らしい家族達に泣き声を上げる。干からびる程泣く彼に「そろそろ酔いを覚まして」とヒバリが言うと、我が娘の素晴らしい優しさに、今度はアトリが泣き始めた。

 宴会がなかなかに混迷を極めていた所へ、若い男衆の一人がこちらへ駆けて来た。

「村長、客が来ている」

 聞き返す村長は、泣き疲れた鼻声を出した。

「客ぅ? 他の村の者か?」

「いいや。王国の騎士だ。甲冑を着ている。腰に剣を下げてはいるが、敵意は無いと言っている。村長と話したいそうだ」

 若者の話に村長が許可を出して宴会場にやってきた騎士は、夜も深まる時間の訪問を陳謝した上で、「エリューシオ王国、第一騎士団副団長、アレクセイ・サディアスだ」と名乗った。

「アンジュ・オートリシュ・スモルニア・ド・エリューシオ女王陛下から、ヴィゼアーダ村長への手紙を預かっている。失礼だが、貴方が村長でお間違いは無いだろうか」

 ただならぬ状況に、村長の酔いは醒めた様だ。赤ら顔には変わりないが、その瞳は引き締まってサディアスとやらを見すえる。

「ああ、この村の長、テオドラだ」

 アレクセイと名乗った騎士が村長に手紙を渡した。手紙を開いて読んでいる間、騎士は微動だにせず動向を見守った。

 読み終わった村長が紙面から顔を上げる。「……偉い連中の使う言い回しは、学のない俺たちには分かりづらくてな。つまり……これは……その、女王候補ってやつを……村から二人出せっていう事だろうか……?」

 騎士は淡々と答える。

「ああ、その二名も名指しされている。ヒバリ・グラスレッドとディオ・フィリア・グランディエの二名だ」


 ☆


「……え?」

「今、なんて……?」

 思いも寄らなかった所で自分たちの名が呼ばれて、ヒバリとディオが動きを止める。衝撃が波紋を広げる様に静まった広場で真っ先に立ち上がったのは、娘達の母だった。

「大事な娘を、女王に差し出せってことかい!?」

「村と、この子の大事な未来を奪いに来たのなら、容赦はしないよ!」

 ツグミとディアトラの勢いに、いくつかの器がひっくり返って中身が土に還る。二人の勢いに触発された他の者も武器を手に立ち上がり出した所で、別の声が「サディアス」と騎士に呼びかけた。

 静かな声に騎士が姿勢を正して振り向くと、暗がりから別の騎士が姿を現した。一歩一歩の足取りに確かな『重み』を感じる様な、そんな足裁きだった。

「フランチェスカ団長……」

「だから言っただろう。順を追って説明せよと。女王の命とはいえ、無理を言っているのはこちらなのだ。順序立てて説明しなくては、こちらの立場も分かってもらえまい」

 サディアスがフランチェスカと呼んだ男は、村の皆にまずは落ち着くようにと、重ねて詫びを入れた。決して混乱を引き起こそうとか、敵意がある訳では無い、どうか落ち着いてこちらの話を聞いて欲しい、と。

 そして村長の提案で、二人を家に通した。どうやら関係のあるヒバリとディオの二人も招かれた。

 決して、他の者が盗み聞きなどしないよう、アトリとグレイグの叔父に目を光らせるように村長が申し伝えて、扉を閉める。

「機会を与えてくれた事、感謝する」

 フランチェスカが落ち着いた低音で父に謝辞を述べるのを、ディオはぽかんとして聞いていた。訳の分からない展開に、隣にいるヒバリがすっかり怯えているのを見て取って、彼女の手を取ろうとする。

 そして、気付いた。自分の手もすっかり震えている。震えている二人の指が、そっと触れ合って、支え合う様に強く握られた。

「まず、女王からの御手紙は読んでくださったと思う」フランチェスカが兜を脱ぐ。眩い金の髪が露わになった。

「ああ、読んだ」村長――テオドラが挑むような目つきで答える。村長としてというより、娘を奪われようとしている父親としての怒りが滲み出ていた。

 テオドラの様子に、「お怒りはごもっともだ」とフランチェスカ。

「しかし、陛下の思いも分かっていただきたい。女王陛下は、この村を含め王国の未来を憂いておられる。御子を成せなかった陛下にとって、女王候補として二人を迎える事こそが、この国の未来を唯一開く道なのだ」

「だからって、なんでそれがディオとヒバリでなくちゃならねぇんだ! こんな辺境の村から召し上げ無くたって、王都にはお綺麗な貴族様がたくさんいらっしゃるだろうが!」

 テオドラの反論を聞いて、フランチェスカの顔が初めて曇った。歯がゆい思いで彼は口を開く。

「……我々から説明できる事では無い。女王陛下は、女神の意思だという」

「説明になっちゃいねぇ。何も、この村から出す必要はねぇだろう。自分のお膝元からなんぼでも取るといい」 

「この二人でなければダメなのだ」

 自分とテオドラから距離を置いている娘二人を、フランチェスカは目で示す。彼の切れ長の瞳がこちらを見たのを見て取って、ヒバリはぐっと息を飲んだ。

 握った手に力が入ったのを感じて、ディオは何かを言わなくては、と言葉を探す。何も言えなくなっているヒバリの思いも込めて、ディオが父と同じ質問を繰り返した。

「……何故私達なんですか?」

 フランチェスカはディオの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。「女王と、女神の意思だ」

「私達が、断ったら?」

 女王と女神の意思。そこに、私達の主張はどれだけ入る余地があるのか。

 フランチェスカは少しの間考えて、静かに答える。

「陛下は、貴女達二人に無理を強いる事を望んでいない。しかし、陛下がそれを許すか許さないかに関わらず、女神の意思はすでに君達を選んでいる。次代の君主が存在しない国は、ゆっくりと滅びてゆくだろう。もちろんこの村も例外では無い」

「そんな!」ただならぬ答えに、ヒバリが悲痛な声を上げた。ディオも、その父も、返ってきた答えの、事の大きさに息を飲む。

「今すぐに答えを出せとは言わない。ひと月後にまた来る。それまでじっくり考えて欲しい」

 言って、フランチェスカは兜を締め直した。村長の家を出ると、村人達の明らかな敵意の視線が向いた。二人の騎士はその筵の中を、確かな足取りで歩いていく。

「夜分、大切な儀式の最中に失礼した」

 そう言って、騎士達は馬に跨がり去って行った。二人の少女の顔に陰りを残して。


 ☆


 その後は宴会どころではなかったが、興を削がれて荒れた男達を何とか落ち着かせた村長は、村の大人達をまとめて集会所に向かって、話し合いを始めた。

 当事者であるディオとヒバリを抜きにして侃々諤々の会合が続いた。二人の少女は近所の老婆達に世話を焼かれて家に戻り、寝床に入った。親切な老婆達は、布団に包まれる少女の肩を勇気づける様に撫でてくれた。


 皆が疲れて寝静り、家の外からは木々のさざめきと虫の声しか聞こえなくなった深夜。眠れないヒバリが月明かりの下に出て行くと、先客がいた。

「ディオ」

「やっぱ、あんな話の後じゃ眠れないよな」

 振り返って苦々しげに笑うディオに、いつもの快活さは無かった。ヒバリは、彼女の隣に寄り添うように立つ。

「月、綺麗だね……」

「そうだな……」

 大きく満ちた月を見上げてヒバリが言うと、ディオが歯切れ悪く首肯した。こんなに綺麗な月、いつもの彼女ならもっと子供の様に喜んでいるのに。

 周りには祭りの残骸。今日のためにみんなで笑いながら用意した数々が、今日自分たちにもたらされた話との対比をはっきりとさせる様だった。

「私、この村を出るなんて考えられない……」

 屈み込み膝を抱えて言うヒバリに、ディオも同じ思いで呟いた。

「……どうして私達なんだろう」

 その理由も、あの騎士は言っていた。ヒバリが顔を上げて、思い描いていた言葉を口にする。

「『女神の意思』ってなんなんだと思う?」

 女王は無理強いをしないと言っていた。それでも、二人がその選択をしなければ、ゆくゆくは国が滅びるという。

 ディオも隣で頭を振っていた。どれだけ考えても答えは出ない。今はただ、選ばれてしまった理不尽しか感じられない。

 ヒバリは何も答えなかった――いや、もしかして考える事を諦めてしまったのかもしれない。ディオも同じだった。寝床の中で騎士の言葉が脳裏を駆け巡る度に、村での幸せな思い出が胸を突いて、堂々巡りになってしまう。それに耐えきれなくて、月を見にきたのだから。

 しばらく二人で月を見上げた後、ヒバリがおもむろに口を開いた。

「――でも、『滅びる』なんて言われたら、村一番の戦士としてはそうならないように守りたいんじゃないの? 違う、ディオ?」

「さっすが、お見通しだね……」

 ディオは悲しく笑った。故郷の滅びの運命を告げられて、黙っていられる戦士がいるものか。

 今、村の誇り高き戦士はかつてない大きな戦いに挑もうとしている。幼なじみの頼もしい横顔に、少女としての一抹の不安を見たヒバリは、惚けるような声で言った。

「じゃ、ディオの事は私以外の誰が守るの?」

 その声に、台詞に、ディオははっとヒバリを向く。声、震えてるんだよ、馬鹿。

 ヒバリの震える手がディオのそれを握ると、彼女はきゅっと堅く、その手を握り返した。

「私達じゃなきゃダメなんだったら、なんとかやってみるしかないよな」

 そう言ってディオが見せたのは、いつもの快活な笑顔だった。未来への光を感じさせる笑顔だ。ヒバリも花咲く笑顔で答える。

「そうだね、みんなのためだもん。やってみよう」

二人の少女の決意を、未だ消えない炎が見ていた。


 ☆


 ひと月後、ヴィゼアーダ村にやってきたのは、豪奢な馬車であった。

 村人達が遠巻きに見守る中、村長の家の前に停まった馬車の扉が開いて、中からエリューシオ王国騎士団第一騎士団長、マイクロフト・フランチェスカが降り立った。

 村長の家の前には、ヒバリとディオ、そしてそれぞれの家族が緊張の面持ちで待機していた。マイクロフトが一歩踏み出して問う。

「ひと月、考えていただけただろうか」

 ディオが答えようとする声は、緊張に震えている。

「……正直、何が起こってるのか、まだよく分からないけど、でも……」

 二人の女王候補は堅く握りあった手に力を込めて、胸を張って答えた。

「私達ができることなら」

「みんなのためになれるのなら」

 少女達の強い意志に、マイクロフトは頼もしそうに微笑んで、頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る