第2話 打診







 その日も、大粒の雨が降っていた。

 俺はこの死後の世界にやってきてから、行くあてもなく放浪を続け、果てにはこうやってどこかも分からぬ街の路地裏で倒れている。道行く人はちらりと、こちらを覗き見ることはしても手を差し伸べたりはしない。それは尤もな反応だろう。


 もしも、こんな浮浪者に手を差し伸べる者があれば、それは相当な変わり者。

 あるいは危機感のない大馬鹿者、だろうか。

 一周回って大物かもしれないが。


「けほっ、こほ……!」


 喉を潤すために、泥水を啜る。

 しかし気管に砂利が入ってむせ返ってしまった。

 こんな世界にやってきても腹は減るし、衰弱もする。生前と異なるのは、それが結果として死につながらない、という点だけだった。

 そのため苦しみは延々と続くし、楽になることはない。


 だから人々はコミュニティを作り、仕事や役割を得て、生活を成り立たせているのだ。各々に生前に培ってきた能力を活かして。

 だけども、俺はその流れから振り落とされた。

 何故なら俺には――。


「こんなところでも、NPCは……!」


 なんの、取り柄もなかったから。

 記憶の断片に、剣を扱ったことは残っている。

 それでも、使いこなせていたかと、そう訊かれれば答えは否だった。そもそも、物語の流れとして剣を持つことが決められていただけで、そんな能力は組み込まれていないのだ。したがって、この死後の世界においての俺はただ立ち尽くすしか能のない、一般市民。


 だから、こんな扱いも当たり前といえば当たり前だった。

 でももしも、こんなところから抜け出せたのなら。

 その時はきっと……。


「……あれ、大丈夫ですか?」

「あ……?」


 そう思っていた。

 でも、抜け出せないと諦めていた。

 そんな俺に、彼女は何の警戒もなく声をかけたのだ。


「わぁ! ひどい怪我、それにそんなにやつれて!」


 それが、ミナとの出会い。


「私、ミナって言います。この近くで酒場をやってるんですけど……」


 思いもよらなかった。

 そんな、運命の巡り合わせ。


「良かったら、一緒に働きませんか? いま人手が足りなくて」


 俺はその時に思ったんだ。

 この子だけは、なにがなんでも守ろう、と。

 そのためにはどんなことでも、たとえ地獄を見ても構わない、と。



 ――そう心に誓ったのだ。



◆◇◆



「で……? お名前はなんでしたっけ」

「アスタロッテ・F・レスターだ。騎士団の団長を務めている」

「あー、はい。そのアスタロッテさんが、どうして俺なんかをスカウト……?」


 丸型テーブルを挟んだ向かいに座る、赤髪の女性――アスタロッテに、俺は訝しげな視線を送りつつそう訊ねるのだった。金の装飾が施された鎧を身にまとった彼女は、少しだけ考えてから、その蒼く鋭い眼差しをこちらに投げてくる。


 そして――。


「……勘だな」

「はい……?」


 一言、そう口にするのだった。

 あまりに迷いのない曖昧なそれに、俺は思わず呆けてしまう。

 綺麗な顔に真剣な表情を浮かべて大真面目に、二十代半ばと思われる彼女は、来客用の茶を啜るのだった。コトンと、それをテーブルに置いてこう続ける。


「勘、だがな。私はキミの勇気ある行動を買いたいのだ」

「勇気ある行動、だって……?」


 俺がオウム返しをすると、アスタロッテは頷いた。


「昨日の一件、キミは正確に状況を判断した上で、自身の実力以上の相手に立ち向かった。店主の少女を逃がした上で、囮となった、ということだな」


 次いで出てきたのは、そんな言葉。

 たしかに、昨日の俺はミナを逃がすことに集中していた。

 それを確認した上であのクレーマーに喧嘩を売ったのではあるが、それを勇気として受け取る、この女性の感性には少し首を傾げてしまう。


「誰だって、そうするでしょう? そこまで特別なことじゃない」

「いいや、そんなことはないな。通常、人というのは皆そうだが、我が身が一番かわいいものだ。それにも関わらず、キミは少女を守る選択をした」

「……………………」


 俺の否定を、彼女はさらに否定した。

 そして、改めてこう言うのだ。


「その勇気は、我が騎士団の皆に求めていることだ。それに加えて、キミには窮地に陥っても周囲を確認することができる冷静な目と、思考がある」


 ――だから、騎士団にスカウトしたい、と。

 アスタロッテは迷いのない、真っすぐなそれを叩きつけてきた。

 だがしかし。俺はここで首を縦に振るわけにはいかない。何故なら、


「悪いけど、他を当たってくれ。俺は元々『NPC』だし、しかも『ND』だ。それに酒場の仕事だってあるからな、残念だけど――」


 そうだった。

 俺には戦う力がない。そもそも、そういう風に身体が出来てない。

 この死後の世界においても、生前の能力は引き継ぎだ。そのため、俺はいくら鍛錬を積んだとしても成長もしなければ進歩もしない。

 そして何よりも、酒場の仕事が俺にはある。

 だから、この話を受けるわけには……。


「……誰か、一人くらいは守れるかもしれないぞ?」

「――――――――――」


 息を呑んだ。

 俺は、中空へと向けていた視線をアスタロッテに戻す。

 するとそこには、くすりと笑う美女の顔があった。おかしそうに、まるでこちらの心を見透かすようなその表情は、どうにも不気味なもの。

 それでも、俺には無視できない言葉でもあった。


「答えは、また明日聞こう。もしその気があるのなら、この地図の場所にくるといい。きっとキミにとって必要なものが騎士団にはあるぞ」


 彼女はそう言って書置きを残して、酒場を出ていった。

 俺はその後ろ姿を見送りながら呟く。


「……誰かを、守る」


 俺の胸の中に、頭の中に、そして目蓋の裏に焼き付いて離れない景色。

 アスタロッテのそれは、そんな俺の燻った心を燃やすには十分なものだった。



◆◇◆



 ――村が燃えていた。

 すべてが、炎に包まれていた。


「そん、な……」


 これが、俺の原風景。

 この光景があったから、俺はシナリオ通りと分かっていても剣を取った。


 誰かを守れるかもしれない。

 いいや。守れないと、意味がないのだと。


 弱いからなんだっていうんだ。




「――俺は、諦めない」




 

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