第1話 なんてことない、日常から










「ふざけんじゃねぇ! どうなってやがんだ!!」


 一人の大柄な男性が、テーブルをドンと叩いてそう叫んだ。皿や諸々の食器が板張りの床に落ちて、甲高い音をたてる。酒場にやってきていた他の客はみな、何事かとこちらを見た。

 そんな視線を一身に受けながら、俺ことミロス・シャーザーは苦笑いを浮かべつつ、今なお怒鳴り散らしている客に話しかける。


「お客様、いかがなさいましたでしょうか……?」

「どうしたもこうしたも、ねぇだろうがよ! 虫だよ、虫! このボロ酒場は、客にこんな粗末な料理を提供しようってのか!? ふざけんじゃねぇ!!」

「あー、それは申し訳ないです。でも当店は衛生面には気を遣っていまして……」

「それでも、入ってた事実は変えられねぇんだよ! 聞いてんのか!?」

「あー、ははは……」


 すると、そんな感じであった。

 どうやら提供した料理に、異物が混入していたとかなんとか。しかし見たところ、料理に入っているのはこの地方には群生していないはずのそれだ。

 ということは、この客は適当に嘘をでっち上げてタダ飯を喰らおうとしている。

 つまりはそういうことだった。


「申し訳ございませんが、本日は酒代も無料と致しますので……」

「あぁん!? それで済むと思ってんのか!?」

「……どうしろと?」


 そう思って、穏便に済ませようとしたところ。

 大柄なその客は真っ赤なその顔に、嫌らしい笑みを浮かべて言った。


「奥に、なかなか可愛い嬢ちゃんがいるじゃねぇか。一晩だけあの子を俺らに貸してくれたら、それでこの話はなかったことにしてやるよ」

「…………は? それって、つまり――」


 ――ミナを慰み物にする、ってことか?


 俺は男の視線を追った。

 するとそこには、木製のお盆で顔を隠した少女の姿。

 腰まで伸びた栗色のウェーブのかかった髪。蒼の瞳に端正な顔立ち。小柄ながらも、成熟しているように思われるその身体を、給仕服によって包み込んでいた。


 彼女の名前はミナ・アーデルフェルト。

 俺の雇い主であり、同居人だった。『この世界』にやってきて、行き場を失くしていた俺のことを拾ってくれた恩人であり、守ると誓った存在。


 そんな女の子を差し出せと、下衆な要求をしてきた男。

 その恥知らずな言動に、俺は瞬時に頭が沸騰した。


「お客様――少し、こちらを向いて下さいますか?」

「ああん? なんだ、なにか――うっぷ!?」


 だから思わず、手に持っていたコップの水を赤ら顔にぶっかける。


「……どうだよ。これで、少しくらい酔いは醒めたか?」

「てめぇ、客に向かって!」


 顔を拭いながら、男はこちらに敵意をむき出しにしてきた。

 どうやら注意は俺へと向いたらしい。ミナに手で逃げるように指示を出してから、俺は拳を構える。――さて。普通だったら、ここから獅子奮迅の活躍、というところなのだが。残念ながら、俺の物語にはそのような要素はまるでなく……。


「この――『ND』風情が、活きがってんじゃねぇぞ!?」

「がはっ……!?」



 男が拳を振り下ろした瞬間に、俺の視界は暗転した。

 そうなのである。俺にはあいにく、戦闘能力は欠片もない。

 俺は一人の女の子を守ることすらできないぐらい、弱いのだった……。



◆◇◆



 『ND』――ノー・データ。

 それはすなわち、戦闘能力を組み込まれなかった俺のような『NPC』を示す言葉。戦う手段のない俺たちは生前、世界の命運とやらに巻き込まれて死ぬしかなかった。村を焼かれたり、魔物に襲われたり、その他諸々。


 あぁ――説明が遅くなったけど、ここは死後の世界だ。

 しかもゲームキャラたちの、という一風変わったものになるのだが。その点については今後、追々にでも話をしていくとしようか。


 そんなわけで、俺たちは全員仲良く死んだ身だ。

 そのためこれ以上死ぬことはなく、先ほどのように無理なこともできるわけだけど。ダメージはどう足掻いても消し切ることはできないらしい。


「…………いてて!?」


 なので、このように。

 目が覚めると決まって激痛に襲われる。

 いいや。正確に言えば激痛をもってして、意識を取り戻すのだ。


「ミロスくん、大丈夫!?」

「あー、ミナか。ごめんな、またやられちまった」


 俺が目を覚ますと、そこは酒場の二階にある自室だった。

 ベッドと、その他には簡単な家具しかない殺風景な一室だ。少しいつもと違う点があるとするならば、ミナという小さな花が咲いていた、というくらいか。

 日も昇りかけている。どうやら彼女は夜通しで看病してくれていたらしい。

 そのことを謝罪すると、ミナはまた首を左右に振った。


「それはいいよ。でも、もう無茶はしないで……ね?」

「あー、うん。分かった分かった」

「ぶー、分かってないよ、絶対!」


 そして、懇願されるが俺は生返事をするのだ。

 何故なら気になることは他に、たくさんあったのだから。


「ところで、あの客はどうなった?」


 それは、俺を一撃で沈めたあの男がどうなったのか、ということ。

 訊くとミナは「あ、えっとね!」と、小さく声を上げた。


「他のお客様の中に、騎士団の方がいてね? その人が対応してくれたよ!」

「へぇ、こんな場末の酒場に騎士団か。珍しいけど、助かったな」

「勇気ある青年だ、って。ミロスくん褒められてたよ?」

「はは、勇気ある……か」


 勇気というか、死なないと分かってるからできる無茶というか……。

 俺はその言葉に苦笑いをせずにはいられなかった。


「それでね、その人がミロスくんに興味をもったらしくてね! 今度また、お話したいから酒場にやってくるって言ってたよ!!」

「マジで……? 話って、なんだよ」

「さぁ……?」


 俺が聞き返すと、ミナは頭の上に疑問符を浮かべる。

 そうなると会話は八方ふさがり。とりあえず、今は別のことを考えるとしよう。


「それじゃ、ミナは寝てな。休んだ分、開店準備は俺がするから」

「ん、分かったぁ。ふわぁ~っ! それじゃ、お休み!」

「おう!」


 そこで、ミナと別れる。

 彼女が自分の部屋へと戻っていくのを確認してから、俺は一階に降りた。

 あの騒動以降にミナ一人で後片付けをしたのだろうか。あらかた片付いてはいた。それでも念入りに、床へとモップ掛けをして、テーブルの位置を修正する。



 朝の酒場というのは、本当に殺風景だ。

 俺は大きく背伸びをして、そして――。



「すまない。ミロスという青年は、いるか?」



 大あくびをかまそうとした、その時だった。

 玄関から、そんな女性の声がしたのは。


「え、俺ですけど……?」


 そっちを見てから、キョトンとした声で答える俺。

 するとそんなこちらに、その女性は大きく頷いてこう告げた。



「ミロス・シャーザー。キミを我が騎士団にスカウトしたい」――と。



 それは、あまりにも突然な申し出で。

 俺は呆気に取られて、こう答えることしかできなかった。



「…………はい?」



 明け方の酒場にて。

 俺の運命の歯車はゆっくりと動き始めるのだった。


 

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