第82話 それなりの危機


「……ん? ああ、遊教か。

 山から戻ったのか」


 帰宅し、けぇ子達の熱烈な出迎えを受けた善右衛門が、居間へとやってくるなり、そんな声を上げる。


「おうおう、戻ったともさ。

 今日もお山にこれといった問題は無し、アイツも……うらもちゃんと大人しくしていたぜ」


 居間の方へ、善右衛門の方へと向き直り、足を組み直しながらそう言う遊教に、善右衛門はけぇ子が淹れてくれた茶をがぶりと飲んでから言葉を返す。


「……そうか。それは何よりだ。

 このまま、何も問題無いままであれば楽で良いのだがな……」


「何しろ相手が鬼だからな、絶対大丈夫だとは言わねぇ。言わねぇが……ま、アイツは大丈夫だろうよ。

 お外に出られて嬉しい、お外で遊べて嬉しい、食えるもんを探すのが採るのが楽しくて仕方がない。

 四歳か五歳の子供かと思うような有様で……母恋しと泣いているような様を見ても、アレが一人で何か大きなことをしでかすなんてことはありえねぇだろうよ。

 あるとしたら誰かが唆すとかになるが……それでもアレは約束を守るだろうな。

 何しろアイツが泣く理由は母恋しか人間怖しのどちらかだからな……おいぬ様の封印のこともあるし、まず大丈夫だろう」


「……そうか。

 山に仕掛けることになった鬼祓いの方はどうだ? 順調に進んでいるか?」


「おうよ、抜かりはねぇさ。

 拙僧が手ずから書いたありがたい経文と、柊やらでアイツの生活範囲を覆うのはほぼ終わっている。

 とはいえ、柊が育ってその効力を発揮するには、もう少しばかり……二年か三年の時が必要だが、ま、そのくらいは拙僧自身が見張ることで対処は出来るだろう。

 経文も当分は効果を発揮するだろうし、それでなんとかなるだろう。

 唯一の不安材料は飲み込んだ殺生石だが……本体が浄化された今、そこまで不安に思う必要はねぇと考えているよ」


 遊教がそう言って山の方へと視線をやると、その側へと足を進めた八房が、ちょこんと座って胸をぐいと張って「ふわん!」と声を上げる。


『自分の封印もあるから大丈夫だ』


 とでも言っているかのようなその態度に、遊教と善右衛門は小さく笑い、頷く。


「九尾の件が片付いて、鬼の件が片付いたとなれば……いよいよ俺の仕事も無くなってくるな。

 事件らしい事件もなく、沙汰を下す必要も無い。

 防火防犯も妖術があれば事もなし、平和なもんだ」


 頷いてから善右衛門がそんなことを呟くと、遊教は顎を撫で回しながら言葉を返す。


「……そんな風に安心して良いかはまだわからんぞ。

 数が増えれば問題は起きる、悪意がなくとも事故は起きる。

 しばらくの間は、新生活だなんだとそちらに気を取られて邪心も大人しくしているだろうが、追々、ここの生活に慣れてからどうなるかは……まだまだ分からんだろうな」


「……ある程度の事故は仕方ないとして、山神に厠神、八房まで居るここで悪事を働こうとするものなど、まずいないと思うがな……」


「いやぁ、分かんねぇぞぉ。

 拙僧らの仲間でも、神仏の御力を目にした者ですら悪事に手を出すことがあるくらいだからなぁ。

 神仏の威光だけじゃぁどうにもならんこともあるもんだ」


「……ああ、そうだな、確かにそうだな。

 何しろそう言っているお前自身が、あれこれと好き勝手なことをやらかしてくれたのだからな。

 いやはやまったく、説得力が違うな」


 善右衛門のその言葉を受けて「ぐぅむ」と唸った遊教は、何か言葉を返してやろうと悩み……居間で遊教達のやり取りを微笑ましげに眺めていたけぇ子とこまの方を見るなりにやりと、なんとも嫌な笑みを作り出す。


「そう言うお前はどうなんだ?

 お前が女遊びをしねぇことはよく知っているが、そうは言ってもたぎるもんがあるはずじゃねぇか。

 女遊びをしねぇ、妻もいねぇじゃ……いずれ不本意ながらの悪事に走るんじゃねぇかなぁ?

 そう考えると……だ、善右衛門、お前も二人目の妻を持つことを考えても良いんじゃねぇかなぁ?」


 遊教のその言葉に、善右衛門は「お前は一体何を言っているのだ」と訝しがり……更に一段深く訝しがる。


 遊教は後先を考えず行動することのある馬鹿な男ではあるが、かといって頭が悪いかというとそういう訳ではなく、学が無いかというとそういう訳でもない。


 相応に出来の良い頭を持っているし、僧侶をこなすだけの学もあるのがこの男、遊教だ。


(それが一体、この話の流れで、今のこの場でなんだってこんなことを?

 遊教にしてはらしくないというか、今の言葉を言ったとして、遊教に一体何の得があるというのだ?)


 善右衛門に仕返しするにしても嫌がらせするにしても、全く意味の無い言葉で……その狙いが分からずに善右衛門が困惑していると、そんな善右衛門の背後からなんとも嫌な、殺気にも似た何かが漂ってくる。


 それを受けて善右衛門がすぱっと振り返ると、そこには笑顔のけぇ子とこまの姿があり……二人が笑顔のまま、殺気に似た何かを放ったまま矢継ぎ早に言葉を投げかけてくる。


「善右衛門様! たぎっているのですか! 寂しいのですか! 伴侶が欲しいのですか!

 どうなんですか! 正直にお答えください!」


 と、けぇ子。


「そうですよねぇ、善右衛門様もオスなのですよねぇ、今までわたくしたち、控えめでおりましたが、間違っていたのですねぇ。

 これもまた刀自としての甲斐性なのですかねぇ」


 と、こま。


 そのあまりの勢いに気圧された善右衛門は、すぐさまに振り返り遊教に「一体何をしてくれたのだ」と問おうとする……が、つい先程までそこに居たはずの遊教の姿は何処にもなく、そうして善右衛門は、困惑しながら混乱しながら、けぇ子とこまの怒涛のごとくの勢いに立ち向かうことになるのだった。

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