第74話 行脚は続く



 でっぷりとした腹の小男、化け猪の清兵衛がその手を振り上げると……その手の先に、小振りな雲がぷかりと出現する。


 薄黒く、いかにも雨雲といった様子のそれは、ふわりふわりと浮かびながらその大きさを増していって……人の頭程の大きさとなったその瞬間、その中央辺りからしとりと雫が垂れ落ちる。


 更にしとりしとりと、雫が垂れ落ち続けて……清兵衛の手の平にちょっとした水たまりを作り出す。


 そうして清兵衛はゆっくりとその手を下ろし、一口にも満たない、あっという間に乾いてしまいそうなそれを善右衛門に見せて、良い笑顔を浮かべる。


「へぇへぇへぇへぇ、これこの通り。

 わいらは水……殊更雨と雨雲を操ることに長けております。

 まー、そうは言っても一人ではこの程度の雫を作り出すのが精一杯、あんまり役には立ちませんが、一族総出となりますれば、ちょっとした雨乞いや、雨避けは出来ますな。

 ……まー、そう期待されても困る力ですんで、飯屋の方にご期待頂ければと思います」


 そう言って清兵衛は、手を口へと近付けて作り出した水たまりをくいと飲み干す。


 そんな光景をじぃっと見つめていた善右衛門は、軽く言ってのけてはいるが、かなり凄いことなのではないかと感嘆し、その旨と飯屋の件を人別改帳へと熊の時と同じように書き記す。


「その力は勿論のこと、飯屋があれば特に独り者は重宝することだろう。

 そしてけぇ子達のように、飯炊きに尽力している者にとっても良い息抜き場となるはずだ。

 旅人が来るのかは今の段階では何とも言えないが……他の山の目達に飯を振る舞うといのも一つだろう。

 よろしく頼むぞ」


 書き終えるなり善右衛門がそう言うと、清兵衛は良い笑顔となって「ありがとうございます! ありがとうございます!」と何度も何度も激しいおじぎをする。


 そのあまりの激しさに一体何事だろうかと善右衛門が訝しがっていると、清兵衛がおじぎを止めて居住まいを正してから大きな声を上げる。


「へぇへぇへぇへぇ!

 他の山の目達にまで気を使って頂いて本当にありがたいです!

 一層に励まさせて頂きます!!」


 善右衛門がなんとなしに口にした山の目達に振る舞えとの一言が、余程に琴線に触れたらしい。

 またも深いおじぎをする清兵衛に対し、善右衛門は「励んでくれたらそれで良い」との声をかけてから頭を上げさせて、その目をしっかりと見てからその場を後にする。


 最後に向かうのは、みみずくの妖怪変化達が住まう一画で……そこへと辿り着くと、みみずくの耳を頭に乗せた人々が忙しない様子で小道を行き来していた。


 みみずく達曰く、あの耳は耳ではなく、耳のように見える羽であるらしいのだが、分かりやすさを優先し、あのように生やしているらしい。


 素早く忙しなく、小道を行き交う人々へと善右衛門が声をかけようとすると、近くの屋敷の戸ががらりと空いて、一人の女声が姿を見せる。


 短い黒髪の上に、みみずく耳をちょこんと乗せた、みみずくの柄そっくりの着物を着た女性……彼等の長である千代であった。


 千代は善右衛門の姿を見て、その手にある人別改帳と墨壺を見て……軽く頭を下げてから、すすすと善右衛門の前へとやってくる。


「ようこそ、ようこそ、いらっしゃいました!

 拙達の話を聞きにいらしてくださったのですね! 嬉しく思います!!

 拙達は何しろみみずくですから、空を舞い飛ぶことが出来ます!

 それに関連して風を操る妖術も大の得意です!

 風を操った上で空を舞い飛んだならそれはもう速いこと速いこと、どんな鳥でも追いつけない程で!

 そういった関係から空からの偵察や文などの運搬出来ます! ちょっとした荷物であればそれもいけます!

 また狩りなんかも得意ですし、木の実や山菜、薬草などの収集も任せてください!

 人の姿の際は、主に町の中を行き来しての連絡役や、皆様のお手伝い、それと善右衛門様の小間使いになれたらなーなんて思わないでもないです!!」


 他のみみずく達と同様の忙しなさでそう言った千代は、きらきらと輝く目でもって善右衛門のことをじっと見つめてくる。


 その目はまさに上空から獲物を狙わんとするみみずくの目で……そこから放たれる鋭い威圧感に善右衛門は言い知れない恐怖を覚え、小さく怯み後ずさる。


 そんな善右衛門を追いかけるように千代が足を前へと進めてきて、善右衛門が更に後ずさり……と、そんなことをしていると、善右衛門の足元で今の今まで静かに大人しくしていた八房が「ひゃわん!」と一吠えする。


 その一吠えにどんな意味が込められていたのか……千代は途端に冷や汗をかき、一歩二歩と後ずさる。


 そんな八房と千代の様子に善右衛門は、


「……八房。

 一体全体、千代になんと言ったのだ?」


 と、尋ねるが、八房はとぼけた顔で首を傾げるのみで……善右衛門が同じことを千代に尋ねてみても、千代もまたとぼけた顔で首を傾げるのみ。


 そうして微妙な空気となってしまった一帯で、善右衛門もまた首を傾げながら人別改帳に今しがた耳にした情報を書き込むのだった。

 

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