第50話 行商人


 けぇ子との話に花が咲いてしまった為に、いつもより少し遅く朝餉を終えた善右衛門は、今日も今日とて八房を連れての散歩に出かけていた。


 八房は夏の日差しに負けること無くなんとも元気で、元気過ぎる程に善右衛門の周囲を駆け回っている。


 そうしながら時折、街道に作られた水の流れる割竹の道へと近付いて、そこから飛ぶ飛沫を全身で浴び、流れ出る水を飲み、また駆け回る八房。


 そんな八房を眺めながら善右衛門が、


「無理について来なくても良いのだぞ?

 屋敷の縁側で涼んでいても良いし、乳母の元で休んでいても良い。

 夏は暑いものとはいえ、無理をしてまで暑さを味わう必要は無いんだ。

 特にお前はそんな毛皮を着込んでしまっているんだ、無理をするな」


 と、そんな言葉を口にすると、八房はふるふると首を振り、体を振り、


「ひゃわん! ひゃわわん!」


 と、元気に吼える。


 その態度、その表情、その声からなんとなく八房の言わんとしていることを理解した善右衛門は、しばしの間考え込んでからその足を最近狸達が始めた飴屋へと向ける。


 飴屋の玄関先には、大きく横に広い台があり、その上には色とりどりの飴を並べたいくつもの箱が見やすいようにと斜めに置かれている。


 その台の前には狸姿の店主がいて、その腹を大きく膨らませながらぽんぽこぽこぽこと腹鼓を打って、客寄せの歌を歌っている。


「今日も甘い飴ができたわいな。

 甘くて辛くて酸つぱくて、泣く子にゃ飴と申します。

 一口なめりゃ力も湧くでん、大の大人にもおすすめしやさっ」

 

 狸の腹鼓の音頭に合わせて、その首と尻尾を軽快に振る八房。


 そんな八房のことを微笑ましげに眺めた善右衛門は、袖の中の銭を握り込み、歌が一区切りした機に、飴屋に声をかける。


「塩飴をくれ。

 一つはそのまま、一つは砕いて木皿に乗せてやってくれ、八房用だ」


 そう言って善右衛門が銭を握った手を狸の方へと差し出すと、すかさず狸がそこの下に手皿を差し出し、開かれた善右衛門の手から落ちた銭をその皿でもって受け止める。


 そうしてから狸は、まずは善右衛門に塩飴を一つ、そして注文の通りに砕いて木皿に乗せた塩飴を八房へと差し出して「お買い上げありがとーごぜぇやす!」と大きな声を上げる。


 すかさず八房は皿の上の塩飴をさりさりと舐め、その様子を見ながら善右衛門も塩飴を口の中へと放り込む。


 炎天下の中で働く者達の為に作られたその塩飴は、僅かな甘さと強烈なしょっぱさの塊となっていて、なんとも心地良く口の中を夏の味に染め上げていく。


 そうやって塩飴を堪能しながら善右衛門は、ふと気になったことを言葉にする。


「……ふと気になったのだが、飴はともかく塩はどうやって手に入れているのだ?

 まさか塩問屋から買い付けているのか?」


「いえいえ、まさかまさか、塩やら何やらは行商人から買ってるんでございますよ。

 塩に大豆に米に麦に、元の材料がなけりゃいくら妖術があっても作れるもんも作れませんで」


「……行商人が来ているのか? ここに?

 それも妖怪の類か?」


「おや、善右衛門様はまだご覧になったこと無かったのですかい?

 ……ははぁ、そういえば彼らが来るのは町の先っぽの方までで奥までは入ってきやせんから、そのせいですかねぇ?

 当然ここに来る以上は彼らもまた妖怪変化でございますよ。

 行商人は基本的に馬や牛の方々がやってくださってますねぇ。何しろ彼ら、健脚なもんですから」


 飴屋狸が語った所によると、馬や牛の妖怪変化は今こうしている間も日の本中を駆け回っているらしい。


 人前を通る時は人の姿で、妖怪達の前を通る時は耳と尻尾を残した姿で、荷物を素早く引きたい時には馬や牛の元の姿で。


 そうやって荷車をその強い脚でもって引きながら各地の品々を日の本中に巡らせている馬や牛の行商人はすっかりと江戸の世に溶け込んで、江戸の世に欠かせぬ存在になっているとかで、一部その正体に気づいている人間達も、悪さをしないのであればと見て見ぬ振りをしてくれているらしい。


「凄まじい距離を一日で駆ける飛脚の話とかご存知ねぇですか?

 人には不可能な速さで駆ける飛脚や行商人がいたら、まず間違いなく馬や牛の妖怪変化でございやしょう。

 中には江戸から京都まで二日で駆けてみせた者もいたとかで、他にも何年か前に手紙を咥えて走る馬頭人間とかって噂になっておりやしたね。

 彼らは真面目で働きもんですから、ついつい仕事に夢中になって、そんな失敗も演じちまうようですねぇ」


 そんなまさかの話を聞かされた善右衛門は「流石にもう慣れた」とそんなことを呟いて、驚くことなく動揺することなく、静かに塩飴を舐め続けるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る