第2話
「家族の方が来るまでなんとか保たせてください、とのことです」
若い看護師は、病室に駆け込むなり私達にそう告げた。
「何分だ」
「早くて二時間だそうです」
ふざけるな。
暴言が口から出かかって、なんとか留める。いや、言ってもよかったか。
無茶な注文だろうが、これも仕事だ。訴えられては困る、やることはなっておかねばならない。
「手が空いてる医師を呼んでおいてくれ。蘇生処置に入る」
「はい」
電気ショックの準備を指示し、危篤状態に陥っている患者の服を脱がせる。痩せ細って骨が浮き出た弱々しい身体。これは、厳しくなりそうだ。
既に心停止、なんとか生命を繋ぎとめておいたとしても意識は戻らない可能性が高い。身体は痛々しくぼろぼろになり、意志疎通もままならない状態にしてまで、自分たちの勝手な都合で形だけ生かす意義は、果たして存在するのだろうか。
私はそうは思わない。感覚がとうに無くなっていたとしても。仮にそんな苦痛をエゴのみで味わわされる側に回ることなど、余程の変人でなければまず間違いなくお断り、に。決まっているだろうに。
それでも、今回のような、どうにか生かしておいてほしい、という要求は時折やってくる。自分たちが駆け付けるまでの時間を稼いでほしい、という旨の。
自分勝手、ここに極まれり、だな。
マウスピース越しの人口呼吸、胸骨圧迫を始める。
「……っ」
体重をかけて何回か押すと、割り箸を割るときのような乾いた音が幾度も響く。まだ、そんなに数はこなしていないが、この罪悪感には慣れない。
老齢の患者に対して心臓マッサージを施すと、いとも簡単に、肋骨が折れる。老化に伴い、密度が低下し脆くなっているのだ。それはもう、呆気なく、情けない音と共に砕けていく。
折れた骨は肺やそこらに容赦なく突き刺さり、苦痛を与え、出血させる。
もし意識があったならば、それは凄まじい痛み、地獄の苦しみであろうことは想像に難くない。やっているこちらの気分も悪くなるほどの痛々しさだ。
「離れてください、電気ショック、流します」
一時的に離れ、パドルを胸部に当てられる患者、いや、被害者の顔を改めて眺める。
ひっそりと、何の障害もなく、目立った苦痛もなく、逝けるはずだったその人は。今や他人の勝手な意思決定により、その死をも否定され、踏みにじられている。何故。どうして何もしていない人が、ここまで馬鹿にされなければならないのか。
わからない。
私――俺、には。わからない。
除細動器に依り人体が大きく跳ね、一時的に心臓が停止する。殺すためではない、行き返せるための一時的な措置。
また、続けて心臓マッサージと人口呼吸を繰り返しているうちに、他の医師が交代に来る。
「代わるよ」
「お願いします」
まだまだ若手のつもりだったが、思ったより体力は衰えているようだ。それでもまだ、ある方ではあるだろうが。
先輩が蘇生を試みている姿を見ていると、身体をぼろぼろにされながらも無理やりに生き還らされている患者を見ていると。私たちは一体、何のために頑張っているのだろうか、と、ふと虚しい気分になってしまう。
誰が望んだのかというと、それは遺族たちだ。
気持ちはわかる、彼らだって、この患者を直に看取りたいだけ、なのだろう。それは別に悪いことではない、普通の要望だ。
だけど。
ならば死期が近いこの人の側に、誰かしらが付いていてあげれば良かっただけの話ではないのか。前もって危険な状態であることは伝えてあるはずだ、だったらそれ相応の対応をしておくのが筋、ではないのか。
自分たちは何もしないのに、自分たちがいいことだけ享受するのは、図々しいと思わないのだろうか。
自分たちの勝手な都合で、尊厳ある死を冒涜していると、微塵も思わないのだろうか。
俺ならば。俺なら、絶対にそんなことはしないし、してほしくはない。
俺にだって。望む死を、俺にとって望ましい終わり方を選ぶ権利くらいは、あるはずだ。
誰にも邪魔されない選択を。
今度、妻と娘と話し合っておかなければ。
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