善かれと想って

菱河一色

第1話


 人が死にゆくとき、最後まで残るのは、聴覚、らしい。

 だから私は、いつも遺族に同じ言葉をかけることにしている。

「感謝を、伝えてあげてください」

 息を引き取っても、直後であればまだ意識はそこにある。貴方のその想いは、その人に届くのだ、と。

 ベッドから離れ、遺族達へ場所を譲る。

「お、お父ざん……」

 泣き崩れながら。死者の手を握りしめながら。遺された人々はそれぞれの別れの詩を紡ぐ。拙く、辿々しく。

 後のことは私の仕事ではない。踵を返し、嗚咽で満ちる病室を後にする。

 死に直面するとき、人は少なからず素直になれる、と私は思う。

 失って初めてその大切さに気付く、などはよく聞く話だし創作の分野では典型例だ。今まで反発していた子供達が親の死の間際に涙を流しながら謝ることも、理解し合ってこなかった夫婦が考えを伝えることも、よくあることで。

 馬鹿馬鹿しい。

 とても馬鹿馬鹿しい。

 そんな最期の最後まで正気になれないのは明らかにおかしい。それが大切なことだと分かっているならば尚更だ。

 意思の伝達がそんなに難しいことなのか。少し口を開くだけで済むことではないか。

 私達の手助けがなければ出てこない感謝など、所詮自己満足の範囲を抜け出さない。何十何百何千と聞いてきた私には、もう全てが空虚な風の音と同じに響いてしまう。

 だが、それで遺族が満足すればそれでいい。私達は何とも言えないが、死者が心安らかに天国へ旅立ったのだと信じてもらえれば、それでいい。病院側にクレームが来なければ十分。

 回診の時間だ。また、静かな廊下を歩いていく。

「ほら、泣き止んでください。私たちはまだ生きている人を相手にするんですから」

「ゔぅ……っ、」

 他の患者を不安にさせるでしょう、とは言わなかった。

 叱られた子供みたいにぼろぼろ号泣する新人看護師にも、情けない以上の感情は湧かなくなった。数年前までは、そんなことではやっていけないぞ、とも思っていたはずだが、もうどうでもいい。

 毎年毎年、優に百万人は死んでいるのだ。そのうちのたった一人ずつに対する感慨など、とうの昔にどこかへ消え去った。

 そりゃあ、惜しまれないよりも惜しまれる死の方が良いとは思う。だが、その惜しむ惜しまないは飽くまで遺族が決めることに過ぎない。死にゆく者には関係ないことであり、況してや特別な思い出も何も持ち合わせていない我々が惜しむのは、その両方に対しての侮辱にも等しい。

 だから。

 何も要らない。余計なものは何一つ。

 そこに求めるのは、単純な事実としての死、それだけ。


 私が死ぬ時は、どうか安らかに、楽に逝きたいものだ。


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