第6話 最初の疑問
というわけで彼女が秘密の優秀な校正校閲さんであるだけでなく最強のボディーガードであることがわかってしまった。
そしてその襲撃と銃撃戦のとんでもない事件で、当然まだぼくの足は震えていた。
あれ、コンビニはボコボコに壊されちゃったけど、警察と文化庁が処理するってできるの? そんなこと。スパイ映画じゃあるまいし。
それでもぼくは職場の文化会館にたどりついた。心の中はいろいろ疑問だらけでわきたっていたけど、それでも車を止めて2階の図書室の隣、事務室に行って、出勤簿に判子を押す。
この職場にはタイムカードなんてものはないので残業代は一切でない。図書室を閉館後に閉める作業にも時給は出ない。役所の方針がそうなのだ。ひどい話だがこれが官製ワーキングプアの現実だ。こうなるには経緯があるのだがそれはここでは省略する。
でもその御蔭でぼくは窓口業務の合間にスマホをいじって原稿書いたりできる。こんな最低時給を実質で下回る仕事に職務専念義務まで課せられてたまるか、と思う。引き継いだ業務をそのぶん手際良く済ませてるのでいいだろ、と思っていた。
「ええと」
窓口業務のカウンターに入ったぼくは、どこかに隠れているカルチャロイドの彼女に聞いた。カルチャロイドって毎回呼ぶのが面倒くさいので、前から心の中で『カルさん』と呼ぶことにしていた。でも実際そう呼んでしまったら『なれなれしい。キモッ!』とまたその言葉の刃で半殺しにされるのは必至なので、口に出さぬよう自粛している。
「なによ」
「なんでこうなったのか、まったくわかんないんだけど」
「なんでアナタに私のことを説明しなきゃいけないのよ。理由がないわ」
「だって」
「そもそもあなたが全ていけないのよ。少しは自覚したら?」
自覚も何も、ここまでの説明不足じゃ、無理じゃん……。
それにぼくがいけないって、なんで?
どう考えても思い当たるフシがない。
「でもさ」
「なに?」
彼女のイラッとした声に負けずに聞く。
「なんで文化庁なの?」
なんとか聞いた。
「知りたい?」
彼女がそう答えた。
「そりゃそうだよ」
「そうなら、黙って」
カルさんはやっぱり容赦ない。
「だって」
「だってもヘチマもないわ」
なんだそれ。
「君のことだって未だに全然わかんないよ。もう何年も一緒にいるのに」
「そうしてくれって私、頼んでないわ」
「じゃあさ、なんでぼくのスマホに君を呼び出すアプリが入ってたわけ?」
「さあ? それに答える必要を感じないわ」
「君の姿も。君は何に所属してその制服なの?」
「いちいち私のことを聞かないで。キモッ」
「最初から今まで、なにからなにまで疑問だらけだよ」
「それより発注された10万字小説どうするのよ」
「これじゃ、疑問だらけで手に付かないよ」
「自分の腕の無さを私のせいにしないで」
彼女は更に容赦ない。
「そうだ、このことを10万字で書けばいいんじゃないかな」
「書いたら承知しないわ。書いたのわかったら即座にコロスわよ!」
そのコロスの言葉にやたらすごみがあって、ぼくは震え上がった。
「でも」
「うるさいわね」
彼女はまだイライラしているようだ。どこにもその姿が見えないのにその棘棘したオーラだけは明瞭に感じられて仕方がない。
「でもさ、これ、結局この10万字小説のムチャブリとなにか関係があるんじゃないの?」
「さあね」
「文化庁ってことは、君の存在と能力と関係あるんでしょ?」
「黙らないと殴るわよ」
「たしかあの特殊部隊もなにか手がかりになりそうなこと言ってたような」
「グーで殴るわよ」
「それに」
とたんにぼくの頭がばんととんで、まぶたのなかで火花が5つ散った。
ほんとにカルさんにぶん殴られたのだ。
「痛いよ!」
「私がそうしたからそうでしょう」
カルさんはやっぱりイラついた声で答える。
「ただでさえ苛ついてるのに。姉さんがミスるなんてこれまでなかったから」
??
「姉さんって。君にお姉さんがいるの?」
彼女は舌打ちした。
「うるさいわね」
「そのお姉さんがミスしたから、特殊部隊がきたの? それも文化庁の秘密の」
「鈍くさいくせに今更なこと聞かないで」
「そうなんだ」
彼女はまた舌打ちした。でも図星だったようだ。
とはいえ、文化庁がそんな特殊部隊を持っているなんて、いくらなんでも荒唐無稽だ。
「ほんとにそうなの?」
「アナタがそう思いたければそう思えばいいわ」
彼女はさらに突き放す。
だがそのとき、彼女の横顔が見えた。
澄んだアメジストの瞳が、整った刃のように美しい頬の上で燃えるように輝いている。そして引き結んだ唇も薄いがきれいだ。そして長い髪も繊細に彼女の小さい顔を演出している……と、ぼくはすくない語彙力でこう表現するのが精一杯だった。
正直、ぼくのテレビや映画で見たことのあるどの女優よりも美しい。1000年に1度クラスの美人だ、ってスポーツ紙で話題になりそうだ。非現実的な美しさ。
ぼくはこれだけで、すっかり彼女に惚れかかった。
「なに見てんのよ」
彼女の冷たい声にその思いは一瞬で切って捨てられたが、それでもぼくの心に、その横顔はすっかり焼き付いてしまった。
「原稿やるよ。10万字の」
ぼくはスマホを取り出した。
「いちいちそんなこと宣言しなくていいわ」
だが、彼女は考えているようだった。
「……お姉さんのこと考えてるの?」
「だったらどうなの?」
「え、いや」
ぼくは彼女の不愉快そうな顔に、お姉さんと言ったときに走る悲痛な色を見た。
「ごめん」
「アナタに謝られても、我が姉にかけられてる嫌疑が晴れるわけがない」
「嫌疑って、お姉さん、今なにかの罪に問われてるの?」
「姉があんなことやるはずもないのに。……やっぱりなにかがおかしい」
「なにか陰謀でもあるのかな。文化庁絡みで」
そうぼくが類推で言うと、彼女の顔がこっちを向いた。
「わかったような口を利かないで。もう、イライラするわ!」
やっぱり彼女は絶好調に不機嫌なのだった。
でも、その顔にぼくは、これでカルさんの機嫌がよかったらどんなに素敵に見えるだろうか、と思った。
それがほんとうに、心から残念だった。
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