第7話

 7


 女子との接近戦を回避しようとした俺は、通行人の存在を利用しようとした。


「やめろって、人が見て……えっ」

「あら、何してるの」

「母さ、ん……っ!?」

「え、お母、様!?」


 振り返った先には、駅前のスーパーマーケットの袋を提げた母親がにやにやしながら立っていた。


「あらあら、お邪魔だったかしら」


 邪魔では無いけれど、タイミングは最悪だよ、母さん。


「そちらのお嬢さんは?」

「あ、いや、えっと……」


 あ、そういえばこいつの名前、まだ確認してなかったな。てか俺は名前も思い出せない相手とイチャコラしてたのかよ、奇しくも母親の前で。

 てか、イチャコラじゃないんだよ。決して。断じて。


「お、お母さまでしょうかっ」

「はい、あたしはこれの母親ですよ」


 これって、ひどい扱いだな。まあいいけれど。


「あの、息子さんと仲良く、いや……まだ仲良しでは無いのですが、これから仲良くさせて頂きたいのですが」


 え。何を突拍子も無いことを言っちゃってるのでしょうか。こらそこの母親っ、邪推するんじゃない。


「あら、いいお嬢さんじゃないの。清楚な感じだし礼儀正しいし、おまけに可愛いし美人だし」

「母さん」

「うちの息子ったらね、浮いた話ひとつ無かったものですから……母親としては少々心配してましたの」

「母さんっ」

「もしお嬢さんさえ良かったら、うちの息子と仲良くしてやってくださいな」

「母さん?」

「ところでお嬢さん、お名前は「母さんっ」あらあら、怖い息子だこと。じゃあね、今度うちにいらしてね」


 うわぁ、俺の意思そっちのけで自宅に招待しちゃったよ。まあいいや、どうせ明日には東京に戻るんだ。いくらでも有耶無耶に出来る。


「は、はいっ、今晩にでもっ」

「え、今晩?」

「はい、今晩」


 名前も思い出せない女子に、神速で退路を断たれた。

 てか話まとまるの早えな、おい。


 * * *


 結局、三人で実家へ帰宅する事になった。

 俺と、母親。そして、なぜかキャスケットの美少女がいる。

 夕食が出来るまで居間に座っとけと言われた俺は、のんびりとこたつでテレビを見ている。

 嘘だ。超ドキドキハラハラである。


 高校時代、テレビを見る間も惜しんで勉強に明け暮れた俺に、恋人が出来る筈は無かった。

 故に、こんなふうに女子を実家に招くなんて、初めてなのだ。


 台所では、母親と、名前を聞きそびれたままの彼女が、きゃいきゃいと料理を作っている。


 そういえば、のんびりテレビを見るのなんて久しぶりだ。


 松ノ内を過ぎたとはいえ、テレビは正月の名残りの特番を放映している。

 今流れているのは、特番によくありがちな「懐かしの芸能人特集」とかいう、陳腐な番組だ。

 別に見たい番組がある訳でも無く、ただ流れる画面をぼうっと眺めていると、耳に覚えのあるメロディが聞こえてきた。


 確かこの曲は、三年前に突然引退したアイドルが、最後にリリースした曲だ。

 アイドルの曲には珍しく、後ろ向きな歌詞の中に少しだけ散りばめられた前向きな言葉が印象的だった。


 高校時代。特に大学を目指して受験勉強の最中は、テレビなんて見なかった。

 だけど、AMラジオから流れるこの曲に、幾度となく力を貰ったのを覚えている。

 曲名は、なんだっけ。

 確か名前は……なんとかメイ。愛称は「メイプル」だっけか。

 奇しくも東京のアパートと同じ名前だ。そんなのまったくの偶然に決まっているけど。


「あ、懐かしい」


 料理を運んできた彼女が、テレビを見て呟いた。


「へぇ、女の子も女性のアイドル知ってるのか」


 まあ、デビューからすぐにチャートの常連になった売れっ子アイドルらしいから、曲しか知らない俺の方が少数派か。

 あ、テレビに名前のテロップ出た。

 そうだ、西山メイだ。


「はい。それ、私ですから」


 ……は?


「だから、それ、私です」

「いや、ここに西山メイって……」

「それ芸名です」


 いや、だって。

 似てるといえば似てるけど、なんか違うじゃん。

 あ、メイクか。でも名前も違うし。

 ん?

 メイ。

 メイプル。

 ……あ、思い出した。


「──山西、楓……か」

「ん、呼びました?」


 キッチンの扉から彼女がぴょこんと顔を出した。

 ちくしょう、可愛いなおい。


「あ、それと」

「なんだ、まだ何か隠し玉があるのかよ」

「そんなんじゃありませんよ」


 彼女──山西楓は母親と顔を見合わせて笑っている。


「あんたが住んでるアパートね、楓ちゃんの家が大家さんなんだって」

「そういうこと、みたいです」


 こんな偶然って、ありか。


「楓ちゃん。これからも息子をよろしくね」

「はいっ、お任せください。お母様」


 おい。

 ついさっき名前が判明した山西よ。キミに何を任せられるというのかね。

 あと母さん、こっち見て笑うな。

 はあ、もう、しんどい。


「お茶どうぞ」

「あ、どうも……っておいっ」

「なんでしょう」


 楚々と差し出された湯呑みは、ついさっき名前が判明した山西が運んできた。山西はいつの間にかエプロンをつけており、これまたごく自然に俺の横に正座している。


「──なんでそんなにウチに馴染んでるんだよ」

「ふふ、わかりません」


 笑って済ますな。

 極上の笑顔さえ見せりゃ済むとでも思ってるのかね。

 まあ、大体は済むかも知れないけど。


「ねぇねぇ、それ本当なの?」

「ぜーったい、内緒ですよ」


 台所から母と山西の元気な声が響く。内緒もなにも、聞こえてるぞー。


「あのねぇ、楓ちゃんの初恋の相手、聞きたい?」


 なんだその斜め上な質問は。


「ダメっ、お母さま!」

「えー、どぉしてぇ?」

「じ、自分で伝えますからっ」


 ──なんか盛り上がってるなぁ。


「だから、待っててくださいね。京介くん」


 し、下の名前で突然呼ぶのは卑怯だと思うのですけど。

 あと母さん。小豆を出すな煮始めるな、赤飯の準備をするなっ。



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