第2話

 2


 一月の故郷は寒い。

 それは二時間前までいた東京も同じなのだが、やはり故郷の寒さは身体が覚えているらしい。

 無人の改札をくぐって駅舎を出ると、狭いロータリーの路肩に薄く雪が積もっていた。

 珍しい。

 寒さは厳しいものの、この街は滅多に雪は降らない。前回積もったのは、俺がまだ幼稚園の頃だ。


 真新しい雪を踏み慣らすように歩いていくと、ロータリーの先、一人の女性が路線バスを降りてきた。


 その瞬間、目の前の景色が変わった。


 この辺鄙へんぴな田舎町には、まったくもって不釣り合いな、美少女。

 身長はあまり高くなく、洗練されていながらも幼く見える表情からすると、十代半ばだろうか。


 新雪のような、真っ白なハーフコートに茶色のブーツが映える。腰まで伸びた黒髪は艶やかで、頭の天辺にはコートと同じ真っ白なキャスケットが乗っかっている。

 手には小さなバッグだけ。

 地元の子だろうか?

 もしそうなら、凄い世の中になったもんだ。

 こんな田舎町に、あんな天使の様な美少女が住むなんて。

 少女は、バスが去ったロータリーで、両手を大きく広げて身体を伸ばした。

 瞬間、その少女から広がる色彩は周囲の風景をセピア色に変えた。

 いや、正しくは元から茶色と白色くらいしか無いのだが、その中に一人の少女が立っているだけで、どこか古い映画のワンシーンのような懐かしさが漂う。


 きょろきょろと辺りを見回した少女は、ジャンプして真っ白な雪に両足で着地する。

 雪うさぎか。

 滅多に積もらないとはいえ、そんな子供じみた真似をする彼女に、思わず噴き出してしまった。


「……なに笑ってるんですか?」


 鈴の音のような声で呟きながらこちらを睨む彼女は、やはり映画の一コマのようで、これから何かしらの物語が始まりそうな予感を抱かせる。

 まあ、そんな事は俺に限っては絶対に無いと言い切れるけれど。


「あ、ああ、すみません」


 あくまで通りすがりの他人を強調しつつ、謝罪と共に頭を下げて横をすり抜ける。彼女の横を通り過ぎる瞬間、遠い笑い声が聞こえた。

 理由の分からない笑い声に憮然としつつ、実家へ向かう道を歩き始めた。


 地元の土を踏むのは、一年と十ヶ月振りだ。

 今回、帰郷を決めたのは成人式に出るからでは無い。成人式なんか出るつもりは毛頭無い。

 頭に浮かんだ疑問を解消する為だ。

 問題は、疑問の源となるあの時の彼女が来ているかだ。

 中学三年生の半ばで転校した彼女が、現在どこに住んでいるかなど分からない。

 そもそも、嫌な記憶で埋め尽くされたこの街での成人式に出るとは考え辛い。

 だが、手掛かりはそこしか無いのだ。

 家に帰れば、当時の連絡網くらい残っているかも知れない。

 歩きながら思考を巡らせていると、背中越しに鈴の音が響いた。


「成人式、出るのですか?」


 不意の声に振り返ると、さっきの白いキャスケットとコートの少女が立っていた。


 ……あれ?

 俺のことを知っている、のか。

 いやいや、そんな筈は無い。

 地元の学生だったのは、六年も前。

 しかも、存在感が薄かった俺を覚えている奴なんて、地元にいる訳がない。

 そもそも何故この少女は俺に着いてくるのだ。

 その前に、この少女は誰だ。

 また疑問が増える。

 足を止めて、どう対処するべきか悩んでいると、


「成人式……来てください、ね」


 更に少女の鈴の音は響く。

 あ、これは間違いなく俺を認識している言い方だ。

 一体誰だろう。

 こんな美少女が小さな街にいたら、風の噂くらいは耳に入る筈だ。

 というか、この少女も成人式に出る年齢なのか。

 もう一度顔を確認しようと、意を決して振り返る。

 彼女の姿は、もう小さくなっていた。

 疑問がひとつ、増えてしまった。



 歩きながら考える。

 さっきの少女は、誰だろう。いや、成人式に出るということは、成人だ。

 少女は失礼だろうか。

 いや、美少女だから少女でいいや。

 さて。

 白いキャスケットの少女の正体を確かめる為には、成人式に出るしか無くなった。

 しかし、本当に可愛かったな。

 東京でも見た事が無いくらいに、可愛かったな。


 整った顔立ちをしていたのもあるけれど、なんかこう、懐かしさを感じさせる、不思議な少女だった。


 そういえば。

 あの時に転校した彼女は、どんな感じになっているのだろうか。

 昔のままの純朴な少女だろうか。それとも、がらりと変わって垢抜けてしまっているだろうか。


 いやいや、もう彼女も二十歳。

 今まで色んな経験を積んできているに違いない。きっと、男性との交際なども経験しているだろうし、もしかしたら結婚も。

 ──やめよう。

 あれ以来勉強しかして来なかった自分が虚しくなる。


 空を見上げると、駅に着いた時には西に浮かんでいた黒い雲が、もう頭上まで流れてきていた。


 雪が降るかも知れない。


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