第3話
3
二年振りの実家での夜、奇妙な夢を見た。
突然、名も知らぬアイドルに告白される夢だ。
その光景は非常に明瞭なのだが、何故か相手の女性の顔だけが見えない。
それなのにアイドルと解るのは、さすが夢の中というべきか。
まだ日の出前の布団に包まって、さっきまでの夢を振り返る。
こんな荒唐無稽な夢でも、夢はその時の精神状態を映す鏡である。何より俺は、そんな夢を見た、現在の自分の精神状態を知りたかった。
ひと通り重要と思えるキーワードを脳内で整理した後、寝ぼけた目を擦って眼鏡をかけて、すぐにスマートフォンで夢診断にかかる。
ふすまが開く音がした。
「あんた、起きてるの? モチはいくつ?」
母親の疲れたような声音が、容赦なく夢の記憶を削り取ってゆく。
「あー、三つ」
きっと雑煮にするのだろうと思い、市販のパックの切り餅の大きさを想定して、適当に答える。
と、今は夢診断だ。
「本当に三つでいいの?」
また母親の声が思考を遮る。
「あー」
生返事をひとつ、スマートフォンに目を戻すと、とたとたと足音が消え、再び聞こえてきた。
「あんた、モチの大きさも確認してないのに。ほら、これ三つ食べれるの?」
母親が差し出した箱は、もろ箱と呼ばれる木で出来た長方形の箱。もち米一升分のモチを延ばして保存する為の箱だ。
そこには、葉書の半分くらいに切り分けられた四角いモチが、ずらりと並んでいた。
「……どしたの、これ」
「あんたが成人式に帰ってくるっていったら、本家が持ってけって」
本家が毎年モチをつくのは知っていた。だが本家の次男坊である父親が他界してからは、そのモチが食卓に上ることは無かった。
「こんなに貰うつもりは無かったんだけどね。義兄さんが、あんたが来るなら持ってけ、って。あと、これ」
前掛けのポケットから出したのは祝儀袋。熨斗には「祝成人」と記されていた。
受け取って中身を見る。
「……なんでこんなにあるんだよ」
内袋の中から出てきたのは、顔の向きを揃えた学問のススメの著者の肖像の群れ。その数、十枚。
「あんたに何もしてやれなかったからって、義兄さんと義姉さんがね」
まったく、田舎って。
本家だって、決して楽な暮らしをしている訳では無いのに。
俺は五人の福沢さんを抜き取り、残りの五枚を内袋に戻す。
「ほら、お返しの分」
大概この手の祝儀の返礼は、半分が相場だった筈。
その返礼分を渡した上で、手元の五枚の福沢さんのうち、四枚を母親に差し出す。
「あと、俺はこんなに要らない。電車賃の一万でいい」
「でも、あんたの成人祝いなんだし」
「大丈夫。俺は俺でバイトしてるから」
この押し問答、いつだか電話でもしたっけな。バイト始めたから仕送りの額は半分で良いと言ったら、そこから「でも」が数十回続いたっけ。
「でも、あんただって卒業したら奨学金の返済が始まるんだろ」
「ウチの大学のは授業料減免制度だから、返済の必要は無いんだよ」
その代わりに、ある程度の成績を維持しなければならないのだが。
「……そうかい、じゃあ、とりあえず預かっておくよ」
どうやら今回も俺が勝ったようだ。てかダメ息子にばっかり金使ってないで、冬物の服の一着でも買えよ。
あんたまだ四十三だろ。
そんなんじゃ、再婚相手も見つからないぞ。
ぶつぶつ言いながら去った母親の足音が止んだのを確認して、手元に皺のない一万円札を置き、眺める。
思えば、母親には苦労の掛け通しだ。
俺が小学生の頃に父親が他界し、それから本家の鉄工所の事務をしながら俺を育ててくれたのが母親だ。
その母親に、東京の大学に行きたいと告げた時の顔は今でも忘れられない。
俺はあらかじめ学費が安く済む大学を探していた。その中にあったのが、俺が通う大学だ。
近くのアパートは安いし、入学試験で良い点数が取れれば授業料は減免。さらに給付型の奨学金制度を利用すれば、年間数十万円で大学に通える。
だが、それでもうちにとっては大金だ。母親の事務員の給料だけでは大変なことくらい、俺でも分かる。
俺が生きるということは、それだけで母親に苦労を掛け続けているのも同じなのだ。
そんな苦労を顔に出さない母親は、俺を見てにやりと笑う。
「あんた、だんだんお父さんに似てきたね」
そうなのか。
てかまだいたのかよ。てか父親なんて覚えてないし。
小さな頃、父親と話した記憶はある。だけどそれはほんの少しで、あとはスーツの背中しか覚えていない。
「よく覚えてないし、分からん」
「ほら、そういうところもそっくり」
だから知らないってば。
何だか揚げ足を取られた気分になって、ふいと顔を背ける。
「背丈もお父さんより高くなったし、これで良い彼女でも出来てくれれば、安心なんだけどねぇ……」
それを言うな母上よ。
ご期待に添えず残念だけれど、きっと俺は独りで生きてゆくよ。
中学時代に、人間の醜い部分を嫌という程、体験してきたからね。
人間は、群れで生きる動物だ。
そしてその群れは、異端を許さず、排他する習性を持つ。
何なら群れがまとまる為に異端者を積極的に作り上げては、攻撃対象に定めてしまうのだ。
中学時代の俺や、転校した彼女が良い例だろう。
俺は無口だからという理由で、彼女は皆より身長が高く大人びているという理由で。
──ただそれだけの理由でいじめられていたのだ。
もっといえば。
攻撃理由なんて、後からどうとでもこじ付けられる。気が合わない、気に食わない、生まれた場所が違う、なんか変。
要は、群れを維持する為の敵を作り出せれば、理由なんて何でも良いのだ。
ならば、俺が導き出す答えはひとつ。
群れなければいい。
完全な「個」として群れを遠巻きに観察し、対処しながら生きてゆく。
俺には、それしかない。
苦しい経験の末にそう決意した俺を、誰にも否定させない。
否定する資格を持つ者は、俺の知り得る限り、俺と同等以上の経験をしたであろう、転校していった彼女くらいなものだ。
そして彼女は、きっと俺の考えを否定しない。俺よりも壮絶な体験をした彼女ならば、尚更に孤独を重んじる筈だ。
俺は独りで生きる。
誰にも影響せず、誰にも期待せず。
そして、世話になった人々に恩を返しながら、細々と生きていきたい。
ていうか、あんたが再婚して幸せになれよ、母さん。
雑煮のモチは、一個で充分だった。
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