第3話、何故僕は裏切られる
目的のガールズバーがまだ開店一時間前だったので近くにある、適当な居酒屋に入りました。
多くの飲食店が軒を連ね、お互いがお互いを潰し合っているような地区なので、同じような建物と似たような店は何軒もあり、もう一度、同じ店に行けと言われても、目的を達成出来る自信のない、背景のようなお店でした。
店内な簡単な仕切りでテーブルを囲ってあり、漫画喫茶のような個室になっています。
人目を気にせず仲間内で宴を楽しめる造りになっていますが、頭より上の天井付近は筒抜けになっているので会話はわかってしまいます。
実際、隣の個室から若い女性数名の話し声が聞こえています。
料理のクオリティーは決して高くありませんでした。
特にカプレーゼなんか、モッツァレラチーズを使わずクリームチーズをトマトの輪切りに挟んで皿にのせたような代物で、シゲちゃんはそのカプレーゼ擬きを一口食べて、怪訝な顔をしながら「不味い!」と言いました。
”僕の支払いなのに……”とムッとしながら、そのカプレーゼを食べると、本当に美味しくなかったのは強く印象に残っております。
仕切りの向こう側の女性客達の話し声が段々大きくなってきました。
いい感じにお酒が回り、盛り上がってきたのでしょう。しかし話の内容は客がどうの、書き記すのを戸惑うような卑猥なものばかりでした。
聞き耳を立てていた、僕もシゲちゃんもすぐに風俗嬢だと察しがつました。シゲちゃんはニヤリと笑って「話しかけてこようか」と言いました。
しかし僕自身、恥ずかしい話なのですが風俗関係の女性と関わって痛い思いをしたことがあるのです。
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僕はうつ病が発覚する前の事、僕には好きな人がいました。
シゲちゃんの同僚の女の子です。
実はシゲちゃんの店に通っていたのは、シゲちゃんと話す事も目的でしたが、その子、仮に恵子としておきましょう……恵子と会うのも楽しみの一つだったのです。
細身で特別手を加えているわけでもない黒髪は、肩の所で切り揃えられた清楚な女の子です。
僕は恵子のように清楚な女性がタイプでして、尚且つ漫画や小説の趣味が不思議なほど一致して、とても話が弾み僕はすぐに恋に落ちました。
まだうつ病を発症しておらず元気も活力もありましたから、思いきって連絡先を聞くと、すんなりと教えてくれました。調子に乗って食事に誘いますと、これもあっさり受け入れてくれて、まさに心が天に昇るような思いでした。
それから日付と店を決めて、心待にしていた当日の事です。
『違う会社の面接が入ったから今日は無理です』というメッセージがが届きました。
心のなかで枝のような物が折れるような、派手で鋭利な音が聞こえました。
それでも諦めきれない僕は、違う日に約束を取り付けました。しかし会う直前で断りの連絡が入りました。明らかに恵子は僕に気が無いのは今思うと明白なのです。
しかし僕は今、恋は盲目の状態ですので、断れれば断られる程、彼女への思いは膨張していきしていきます。
四六時中恵子の事を考えて、心の中をガン細胞のように恋心が占拠して、自分に耐えられなくなり、僕は堪らずシゲちゃんにすがる思いで相談しました。
「よしわかった。俺に任せろ、マサト君にはスマホの恩義がある。取り合えず3人で飲む機会を作る!」
シゲちゃんは勇ましく言ってくれました。
病的な恋心に苛まれた僕にとって、まさに地獄に仏をみたような心持ちでした。
暫くすると、ついに『飲みに行こう!』とシゲちゃんに誘われ、そこには恵子がいるもんだと期待しながら、待ち合わせ場所に向かいますとシゲちゃんしかいませんでした。
店に入りまず最初に恵子の話をすると、急に困った顔をシゲちゃんは作ります。
「あの子ねえ、やめた方がいいよ」
シゲちゃんは先日の勇ましさとは逆の態度を取ったのです。
「実は俺、あの子から告白された事があるんだよ。でも俺、恵子は妹みたいにしか見えないからさ、断ったんだよね。そうしたら”付き合ってくれないと死んでやる!”って喚き散らして大変だったんだ。あの子は間違いなく病んでるね、メンヘラだよ。マサト君とは釣り合わない!」
どうして2人は最初期待させるような素振りを見せて、あとから突き落とすような仕打ちをするのでしょうか。
駄目なら最初から駄目って言ってくれた方が遥かに誠意があります。誰だって傷つくなら浅い内に治した方がいいはずです。
なんでスマホの契約も人に頼り、銀行口座も、保険証も、車も、そもそも免許証も、ちゃんとした職にもついておらず、お酒ばかり飲んで、肌の血色は悪く、女遊びばかり、挙げ句のはてに自傷の痕がある男がモテて、ちゃんとした会社に勤めて、安定した収入もあり、お酒は飲むが嗜む程度、女遊びも博打もしない、ましてや借金もなく、貯金もあり、各種身分証明書も揃っている僕がはじかれるのか現実を疑いました。
もしかして僕には魅力という上部の問題ではなく、DNAになにか重大な欠損があって、それを敏感に感じ取った女性が、僕の子種を欲しがらないのではという、訳のわからない結論に至りました。
男として、いいえ、最早、人として気力を失いつつある日の事です。
それはちょうど年明けたばかりの寒い時分でした。たまたまいつもと違うバーに入りました。
バーカウンターに立つ人が全員饒舌という事はなく、寡黙なマスターを前にして、1人でチビチビとスコッチで唇を濡らしておりますと、1人の女性が2、3席僕から空けてを座ったのです。
長い髪は金色に染まってカールが掛かり、白いコートにデニムのスカートにストッキング、耳たぶはピアスが飾られております。
所謂ギャルと言うタイプの女性で、恵子とは真逆の人間でした。思い返すと恵子と比べるあたり、まだ恵子の事を諦め切れていなかったのでしょう。
「ねえ、仕事疲れたよ。ご飯食べたい。あ、やっぱり、お酒。カンパリオレンジ頂戴、マスターも今度、店に来てよ。サービスしてあげる」
「僕には奥さんと子供がりるからね。家庭を崩壊させる訳にはいかない」
「ええ、いいじゃん!」
二人が仲良さげに世間話をしている所をみると、彼女はこの店の常連という事が伺えます。そんな二人のやり取りを横目で見ていましたが、別世界の出来事のように思えて、黙ってスコッチを飲んでいました。
すると彼女の方から「お兄さんも一緒に飲もうよ」と声を掛けてきたのです。
その女性、名前は菜奈と言い、素朴な女性を好む僕にとって菜奈はタイプではなかったですが、女性の方から声をかけられたのも初めてで、悪い気はせず拒む理由もないので、空いている席を詰めて隣に座り二人で杯を交わしていました。
「ねえ、私、何しているように見える?」
「うーん、OLには見えないね。キャバ嬢?」
「近いけど違う、実は風俗嬢なの」
「本当に!?」
「本当だよ。ほら」
菜奈はスマホで働いている店のサイトの自分のプロフィールを見せてくれました。源氏名は”ユユ”と言い、実年齢は24歳ですが、店での年齢は20歳になっていました。
「マサト君は一体何人の女を泣かせてきたの?」
「いいや、いつも僕が泣かされてばかりだよ」
「本当に!?実は私のタイプなの、カラオケだとEXILEとか歌う?」
「流行りの流行りの歌とはあまり知らない」
僕はいつもカラオケで初音ミクを歌いますが、なんとなく恥ずかしかったし、菜奈は知らなさそうなので伏せておきました。
その時、菜奈は男らしいとか、イケメンとかやたらと僕を誉めてきたのです。まさにカラカラに乾いた砂漠に雨が降り潤っていくような思いでした。
そんな風に盃を交わし、終電間際になったのでお店を出ようとすると「今度、私を指名してよ。その方がお給料高くなるから。実は私、お金に困ってるの……」と菜奈は悲しそうな顔で言いました。
なんとなく放っておけなかった僕は、次の週、早速菜奈が働く店に電話で菜奈を指名しました。
「本当に来てくれたんだ!嬉しい、ありがとう。君は”頼れる男だね!”」
”頼れる男”と言われて、僕は気分を良くしました。そのあとは風俗店のサービスを受けました。
「ねえ、わたし来週誕生日なの。何か買ってよ!」
すっかり気分を良くした僕は二つ返事でOKし、菜奈と連絡先を交換して、次の週、今度は街で菜奈と会いました。
出会ったばかりなので菜奈の趣味はわかりませんので、好きな物を買ってあげる事になりました。
しかし要求された物は高級なショッキングピンクのバッグと、オプションでバッグに付ける猫の飾りで合計30万円。
それだけでなく更に親指くらいはあるであろう大きな真珠を惜しげもなく使った、ネックレス10万円。
計40万円の支払いをカード分割でなんとか支払い、大変覚悟のいる買い物でした。
しかし「こんな我が儘言うのは誕生日だけ」と菜奈は言い、プレゼントの品々を見てとても嬉しそうに笑う、彼女を見ると”覚悟したかいはあった”と無理矢理自分を納得させました。
そして夜は予約していたイタリアンのレストランに行き、僕はそこで菜奈の闇をディナーの席で聞かされたのです。
そう、菜奈もまた、深い悲しみを抱えていたのです。
やはり類は友を呼ぶといいいますか、後にうつ病を患う僕と、悲しみを背負う菜奈は奇妙な引力で寄せ付け合ったのでしょう。
菜奈は食事の席で男に騙され借金を背負ってしまい、更にはその男の子を身ごもり堕胎したと、その費用と借金を返済するため、風俗店で働く事を余儀なくされた事を語りました。
そしてそのショックで過食と拒食を繰り返して、時々、言い知れぬ不安に襲われ死にたくなり、心療内科とカウンセリングに通っている事。
この話を聞いて僕はたった1回、この夜に出会った女性を救ってやらなければという、強い義務感が沸々わき出てきてきました。
そしてレストランを出た後、一夜を共にし、僕は菜奈を幸せにしようと本気で考えていました。
影と影が寄り添っても、闇が濃くなるだけです。実際、この恋も長くは続かなかったのです。
菜奈は大変な浪費家だったのです。
借金返済に当てるお金がどうしても足りないからと、菜奈が言うので彼女の口座に現金20万円を振り込み、貯金箱の天井まで貯まった500円貯金、約10万円分を紙幣にして渡ました。
それでもまだお金が足りないと言う上に、元気を出すためと、高級料理店に連れていって欲しいとせがまれました。
『我が儘は誕生日だけ』という言葉とは反対に、デートの度に高い衣類やアクセサリーを要求され買い与えました。
菜奈の為、そして二人の幸せの為と自分に言い聞かせ、要求に全部答えていたら、出会って3ヶ月後には、汗水垂らし働いて貯めた貯金はあっと言う間に無くなりました。
そして5月の事です。
6月支払われるボーナスも菜奈の借金返済の為に使うと約束していました。
それなのに「次のデートでいくらくれるの?」と電話の向こうで、さも僕がお金を渡すのが親が我が子に、食事を与えるのと同じくらい、当たり前の事のように言ってきたのです。
だんだん僕は菜奈と援助交際をしているような気になってきました。
僕はただ、菜奈と楽しく過ごしたいだけなのに、菜奈とのデートが楽しみな筈なのに、どこか気分は重たかったのを覚えています。
「今月は難しい」
僕は菜奈に言いました。
実際、もう彼女にお金を渡す事はすでに難しい状況にあったのです。
「ふうん、じゃあ、マサト君とは会えない。今度のデートは無しね。私、仕事いく!」
「君の気持ちはよくわかる。大変だし辛いかもしれないけど一緒に頑張ろうよ」
そう僕は言いました。
「辛いとか大変とか言ってるけど、本当は甲斐性がないだけでしょう。男らしくない!なんて女々しいの!もう会いたくない!」
ああ、僕のしていた事はなんだったんでしょうか。何の為に、そして誰の為に苦心して、働いて貯めたお金を散財してまで、高いブランドの衣類やアクセサリーを買い、お金を渡しました。
その結果、甲斐性がない、女々しいと言われ、受話器の向こうから菜奈のすすり泣く声が聞こえてきます。
菜奈の不幸、騙されて作った借金、堕胎、過食と拒食、不安と絶望。
今まで信じてきたけど、もはや僕の同情を誘うための詭弁だったんじゃいかと思うと、疑いの念が湧いてきます。
いいえ、それすらも通り越し、もはや菜奈の事なんてどうでもよくなってきました。
「じゃあ、別れよう。さよなら」
そう一言、告げて電話を切ったとき、僕は背負っていた重荷を下ろした、安堵感を覚えたのです。
しかしその一ヶ月ご菜奈からメッセージが送られてきました。菜奈のアカウントをブロックすれば良よかったのですが、アプリの機能を理解していなかったので連絡は入ります。
”久しぶり、元気してる?”
僕は返信せずにいると、
”マサト君、なんだか辛そうだったか、あえて私の方から離れてみたの、どう調子は良くなった?”
多額のお金を使わせておいて、たった一回、財布の紐を固く縛っただけで甲斐性なしだの、女々しいだの言っておいて、実はあなたの為の行動なのと言っております。
しかし今月支払われたボーナスを狙っている、そんな気もしていました。それに暴言を吐いておいて、謝るという事を知らない人を信用する気にもなれません。
”もうすぐ夏だよね。海や山に行って元気だそうよ。お祭りにも行きたい。浴衣とか着て”
どうせその水着や浴衣も僕に払わせる気なんでしょう。しかもお高い品を、そう腹の中で考えている、自分がいて、女の子に誘われて嬉しくないのは初めてでした。
”お金は?”と僕は返信しました。
”厳しいよ。やっぱりマサト君に助けて欲しいな”
お金をちらつかせると簡単に尻尾をみせる辺り甘いようです。
そのメッセージはそのまま放置して、以来連絡は送っておりません。
そういえば僕は、菜奈に「愛している」と言っても彼女は「私も」と言うだけで、ちゃんと『I love you』のような言葉は一切、菜奈の口から聞いておりません。
菜奈はマサトという人間ではなく、僕の財布に恋をしていたのでしょうか?
でも初めて会った日、何故彼女から話しかけてきたのかわかりません。もしかしてただ寄生しやすかっただけなのでしょう。
それからです。不眠や気分の落ち込み等、うつ病の症状が出始めたのは。
その一連の話をしたらシゲちゃんは、ヘラヘラ笑って「変な奴に騙されるなよ」と言うだけでした。
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うつ病が発症する仕組みと、どのような初期症状がでるのか?
私達の脳の中では様々な神経伝達物質が行き交い喜怒哀楽だけでなく、空腹感や眠気、性欲などの欲求を引き起こすと共に、過度な摂食や睡眠を防ぐ為に、欲求の抑制も同時に行っています。
その神経伝達物質の中でも精神の安定と睡眠を司る『セロトニン』という物質が、何らかの原因で不足する事により、不安や不眠といった典型的なうつ病の症状が出る訳です。
抗うつ剤は脳内のセロトニンの量を増やすので、うつ病に対して効果があるのです。
うつ病が発症する原因というのは主にストレスです。「心が弱い人がストレスに負けて、うつ病になる」と思われがちですが、ストレスというのは「身体と心にかかる刺激と負荷」意味なのです。
働き過ぎや、死別、離婚など悲しい事、辛い、ネガティブな出来事だけでなく、結婚や昇進、出産など、ポジティブな人生の転機でさえ「心と身体に刺激と負荷(ストレス)」となり、うつ病を発症する事があります。(省いていますが作中内の出来事だけでなく、うつ病を発症する前に職場内で人事異動があり、それにあたり私が責任者クラスへ昇格するという事がありました)。
精神的な初期症状として意欲の低下、喜びや興味が湧かない、虚しさ、悪い方へばかり考える、自分を責める、会話や本の内容が入ってこない等があります。
また身体にも異常が表れ睡眠障害、疲労感、食欲の変化、吐き気、女性は月経異常が起きます。
特に睡眠障害はうつ病患者に多く見られる症状の一つで、実際私も睡眠障害が出ました。
普通に寝れていたのがいつの間にか眠れなくなってしまい、ベッドで横にはなっているのですが、全く寝ていない状態で出勤する事もありました。
睡眠障害=不眠と思われがちですが、症状には4種類あります。
1、なかなか寝付けない(入眠障害)
2、夜中に何度も目が覚める(中途覚醒)
3、いつもより早く起きてしまう(早朝覚醒)
4、眠りが浅くなる(熟睡障害)
また、人によっては「過眠」といって必要以上に眠ってしまう症状も現れる人もいます。
人間長く生きていれば不安に苛まれたり、イライラしたり、眠れない夜や、中途半端な時間やいつもより早く起きてしまう日もあります。
しかし脳の神経伝達物質が正常に機能していれば本来、心の状態や睡眠への異常はすぐに元に戻ります。
上記のような状態や症状が一ヶ月以上続く場合、うつ病を発症している場合があるので、相談した方がいいでしょう。
余談
別の部署ですが会社でうつ病を発症し一ヶ月以上休んでいる人がいます。
その方はその部署の責任者をしていますが、どちらかと言うと、気の弱い私とは反対の性格をしていて、所謂「俺様タイプ」の人でした。
思った事は率直に発言し、仕事もバリバリこなして部下を統率し、毎日10キロのランニングを習慣として、ルックスもよく独身なのでプレイボーイな一面もあります。
周囲の人だけでなく本人も「俺はうつ病とは無関係だ!」と言っていました。
正直、部署が違うのでどのような状況下にあったか、私にはわかりません。
聞く話によると、ある時期を境に人との会話の内容が理解出来なくなり、周囲の人の勧めにより、病院へ行くと重度のうつ病と診断が出て、休職を余儀無くされたそうです。
私のように「気が弱いタイプの人」だけでなく、「気の強いタイプの人」もうつ病になる可能性は十分にあるのです。
「自分は大丈夫」という油断によって、うつ病の症状に気づかないのかもしれません。
慢心が一番怖いのです。
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