第2話、いい人という称号

 うつ病で弱っているので人が沢山いる雑踏を、抜けるだけでも一苦労です。普段なんでもない事でも、今の僕には大きなストレスとなり、精神に負担を掛けるのです。

 

 シゲちゃんとの待ち合わせ場所の”E”というのは某大型家電量販店で、この地方で最も大きな駅の側に在ります。

 老若男女どころか最近は外国からの来日者も沢山いるので、色々な人種が行き交う駅構内を通過しただけなのに、必要以上に神経を使い吐き気がしたの堪らずトイレに駆け込んでから、待ち合わせ場所に行きました。

 しかしシゲちゃんはいませんでしたが、待ち合わせの時間が2分ほど過ぎた頃、彼はあらわれました。

 

 ただでさえ目立つ赤いシャツを着ているのに、真夏に長袖のシャツを身に付けているから余計に浮いて見えます。

 隣を歩いているサラリーマンは半袖のカッターシャツなのに、暑そうに額に吹き出る汗をハンカチで拭っているのに、シゲちゃんの浅黒い肌の上には汗一粒さえもかいていません。

 そして何故か狼狽した顔でトボトボとこっちに歩いてくるのが見えました。

 

 シゲちゃんは僕がいることに気づくと、足を動かす速度を上げて歩みより、僕の背中に手を回して抱きついてきたのです。

「どうしたの?シゲちゃん」

「マサト君、会いたかった。今まで辛くて死ぬかと思った」

「話を聞くから居酒屋に行こう」

「うん」

 近くの居酒屋に行きました。この時、選んだ居酒屋はシゲちゃんと初めて飲んだ店でもあります。


 まだ早い時間でしたので、お客さんは僕達しかおらず、生ビールと刺身の盛り合わせとサラダと揚げ物を適当に注文しました。

 まず乾杯してから生ビールを飲み「いったい何があったの?」と僕は事情を尋ねました。


「バイトをクビになった!」

「え!?マジで!」

「まあ、なんと言うか、クビになりそうだったからこっちから辞めてやった」

 シゲちゃんの顔はさっきと変わらず狼狽しています。

 どこか頼りない表情のままでしたが、口調だけは語気を強めて言います。


「だって、俺をシフトに週二回くらいしか入れてくれないんだよ!前はたくさん入れてくれたのに、俺が店にどれだけ貢献してやってるのか、経営者はわかっていないね」

 僕はシゲちゃんの話をビールを飲みながら、黙って聞いていました。

「あ、でも、すぐに新しいバイト見つけられるから、大丈夫だよ」

「ところで、シゲちゃん。スマホはどしたの?」 

「ああ、スマホね。この前、キャバクラで飲んでてさ。帰りのタクシーで落としちゃったみたいなんだよね。スマホは使えないようにしておいたから、悪用される事はないから安心して!いやね、俺の友達が200万円手に入れてさ!その、お金で毎晩、飲んでいたんだよ。むこうがキャバクラ行こうって誘ってくるからさ、俺もキャバクラは嫌いじゃないし、友達の誘いは断れないから、色々な店に行ったね。1週間くらい経ったらいう訳さ、この金で店でもやろうって言ってきたから、聞いたんだよ!あといくら残ってるのって、そうしたら50万っていうのさ、それだけのはした金でなにが出来るのさって!」

 アルコールが回ってきたのか、シゲちゃんはペラペラと話します。


 その時、見えてしまいました。

 

 シゲちゃんも酔って油断したのか、長袖の下に隠していた自傷の痕を覗かせていたのです。

 それに気づかずシゲちゃんは、生ビールを飲みながら笑っております。 

 シゲちゃんの腕には、数本の傷痕が残っていたのです。彼は饒舌で雄弁の裏で、悲しみ苦しんでいたのです。


 僕達二人は傷口を舐め合っている惨めな犬なのでしょう。類は友を呼ぶという言葉があるように、お互い闇の深い者同士が引き寄せあったのでしょう。


「そのお金はどこから出たの?宝くじでも当てたの?」

「いや、違うんだよ。ちょっと危ないお金みたいなんだよ。大きな声でいないけど」


 色々言いたいことはありました。

 そもそも連日キャバクラで遊んだ挙げ句、僕の名義で契約したスマホを紛失しているのに、同情を誘うような狼狽した態度を見せるだけで、謝罪の言葉は今だ聞いていません。

 それに怪しいお金なた使わないように言うのが、本当の友達だと思います。

 

 しかし”いい人”の称号が惜しい僕は、だんだん温くなってきた美味しくない生ビールを飲んでから「そうだったの」なんてどうでもいい事を言ってこの場を取り繕います。

 正論を言えない自分が段々嫌になってきてビールを飲んでいるのに、全然酔う事が出来ません。


「この後、そいつが働いている居酒屋に行こう。すぐそこだから」

 シゲちゃんの提案に同意して、また暫く飲んでいました。

「やっぱりキャバクラに行こう!」

 シゲちゃんは自分から言い出した提案を急に変えたのです。


「え、友達のところは?」

「いやさ、あいつ音信不通なんだよね」

 2転、3転するシゲちゃんの話に、訳がわからなくなりました。それに犯罪の臭いを感じずにはいられません。

「もしかしたら、行きつけの店に何処にいったか手がかりがあるかもしれないからさ」

 

 なんてシゲちゃんは言いますが、キャバクラで遊びたいだけという魂胆は見えております。

 しかし一週間連続でキャバクラに通って150万円も使って、まだ遊び足りないのでしょうか。でも僕はキャバクラというジャンルの店があまり好きではないのです。

 

 ただ単に僕はキャバクラという店が性に合わないし、嫌な思い出があるからです。

 

 シゲちゃんは現在無職なので財布の中で冷たい風が吹いているのは、中身を見なくてもわかります。

 故に今日の飲み代は僕が支払う訳で、僕が首を縦に振らないとシゲちゃんはキャバクラに行けません。

 益々舌の回りが良くというか、必死になってきました。


「マサト君は女の子と話すのが苦手みたいだからさ、いい経験になると思うんだよ!確かに慣れない事だから、最初は怖いかもしれない、辛いかもしれない。それは俺もよくわかる!けどね人間、痛いところを通らないと成長できないんだよ!なあ、いいだろう。もし気に入った子がいたら、デートの話を取り付けてあげよう。絶対楽しいって!」

 絶対楽しめないのは僕の性質上よくわかっておりますので、首を横に振りました。

「じゃあ、ガールズバーに行こう!そこもそいつ(200万円の友達)とよく行ったんだよ!もしかしたら手掛かりがあるかもしれない。俺はあいつの事が心配なんだ!友達だからね!それにキャバクラよりも安いし、お酒を飲ませる必要もない!女の子の質は若干、落ちるけど地味で大人しい子が多いよ。大学生のアルバイトが多いね。お高く止まっていないというか、何回か通えばデートにも誘えるんじゃないかな!?なあ、行きたくなっただろう!女の子を誘う練習だと思えば、かなり安いと思うよ。緊張してるの?大丈夫、俺がリードするから、」


 別にあまり期待はしていませんでした。それにやたらと女の子と口説く練習のような事を強調してきますが、うつ病で辛いから大人しくしているだけで、気になる女の子に声を掛けれないほど弱くありません。


「なあ、ガールズバーくらい良いだろう!」

 よっぽど女の子がいる店で飲みたいようです。シゲちゃんには彼女がいいるんだからその子を呼んで、お酌してもらえば良いじゃないか、と思いました。


 しかし僕は”いい人”なので反論は喉よりこっちに出しません。


 結局、ガールズバーは承諾して、店を引き上げてタクシーに乗ってガールズバーに向かいます。その途中、タクシーの中で「やっぱりヘルスに行かないか?」と言ってきましたが拒否しました。

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 シゲちゃんと出会ったのは3年半前の冬でした。その時はまだ、うつ病の症状はでていませんでした。

 その日は仕事が早く終わり、独身で一人で暮らしていて、しかも恋人もおりません。

 

 たとえ夜、飲みに行って朝に帰宅しても咎める人のいないので”一晩中飲んで朝帰ってやろう”と中身のない決意をして、街へ遊びに行きました。

 

 たくさん軒を連ねる飲み屋の中から雑居ビルの三階にあるバーに、まるで吸い寄せられるように入っていきました。そこのバーテンダーをしていたのがシゲちゃんだったのです。

 

 彼と懇意になるのに時間はあまり必要ありませんでした。

 最初にバーカウンターに座っていた先客の方と、お酒を飲みながらしゃべっておりますと、その二人の間に入ってきたのがシゲちゃんでした。

 

 僕と先客の方と面白がってシゲちゃんにビールを飲ませ、三人でかなり遅く閉店時間までバカ騒ぎをしました。

 ちなみにその先客の方とは縁が深くなかったのか、それ以来顔を合わせる事はなかったのですが、饒舌で話の上手いシゲちゃんに会うために、そのバーに通うようになりました。

 

 シゲちゃんに着いているお客さんは僕だけじゃなく、他にも何人もいまいた。店にはよくシゲちゃんに会いに来るお客さんは、たくさんいたので、貢献していたのは事実でした。

 お調子者で口達者、お客さんを楽しませ、気持ちよくお金を使わせるのが得意な、彼にとってバーカウンターに立つのはある意味、天性の才能と思っております。

 

 ある夜なんか遅めにシゲちゃんの店に行きますと既に席が埋まっている事がありました。

 仕方なく退店しようとしますと、シゲちゃんは僕の背中を捕まえて、倉庫からわざわざ椅子を一つ持ってきて、お客さんも席を積めてくれて僕の座るスペースを、作ってくれたのです。

 感激しながら話を聞きますと、シゲちゃんの高校時代の同級生が集まったそうです。

 

 僕という全然関係のない人間を、同窓会のような席に招き入れてくれたのが嬉しくて。その夜は大いに盛り上がりました。

 二日酔いなど気にしない勢いで、皆でテキーラをショットグラスで一気飲みしたり、店が閉店した後はカラオケに行き、朝まで遊んだのです。

 

 シゲちゃんは大勢の友人に囲まれていて恋人までいます。


 カリスマ性と言いますか、人を引き付ける魅力を持っているのでしょう。僕もその魅力に引き寄せられた人間の一人なのです。しばらくするとプライベートでも、二人で飲むようになりました。


 しかし懇意になると煌めくような人間性に綻びが見はじめたのです。

 

 その疑問をある日、シゲちゃんの店に立ち寄った時に尋ねました。


 それは連絡が異様に遅い時がある点です。基本的にLINEでやり取りしていましたが、返信が異様に遅く、時は返信が2、3日遅れるというのは決して珍しくなかったのです。

 

 僕はあまり既読無視とか、そいう事にあまり物を言いたくない性分ですが、少し気になったので質問しました。

 

 シゲちゃんが言うには、Wi-Fiが繋がっている所じゃないとネットに接続出来ないとの事でした。

 シゲちゃんは電話会社と契約が切れた、スマートフォンを使っていたのです。なんでも保険証、免許証等の身分証明書を持ってなくて新規契約が出来ないとシゲちゃんは説明しました。


「スマホどころか、病院にも行けないよ!」

 なんてシゲちゃん笑って言います。

”シゲちゃんにもこんな短所があるんだ”

 そう思っているとシゲちゃんは「マサト君の名義で、スマホを作ってくれない?」と言ってきました。

 頼まれ事を断れない性分の僕は、ほぼ条件反射で承諾してしまいます。

「マジで!?やった、マサト君はいい人だ!」


”いい人”なんて甘美な響きなんでしょう。

 

 僕が最も欲していた”いい人”という称号を、シゲちゃんは与えてくれたのです。

 

 それに気を良くした僕は、次の週、携帯ショップにシゲちゃんのスマホを選びにいきました。

 スマホを決めて、書類に自分の名前と住所を書いて、支払い先のシゲちゃんの口座番号を尋ねますと「ああ、俺、銀行口座を持ってないんだよ」と言ったのです。

 

 流石におかしいと思いました。

 

 よくよく考えればバーテンダーを名乗っていますが、20代半ばにして学生でもなくただのフリーターです。印鑑を押すのを躊躇いました。


 本当に契約を結んでいいのか印鑑を押すのに戸惑いました。しかし折角”いい人”の称号を手に入れたので、僕は自分の口座番号を書いて印鑑を押し、二台になったスマホを手にいれると、すぐにシゲちゃんに渡しました。


「ありがとうマサト君、よし今度、お礼に旅行に連れていってあげるよ。なんなら女の子も2、3人連れてくるから。お金は大丈夫、全部俺が払うって、本気だせば月に40万は稼げるからさ!」


 結局シゲちゃんは本気を一度も出した事はありませんでした。

 

 それからしばらくするとに体調と情緒がおかしくなり、心療内科でうつ病と診断されたのです。




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【うつ病が治らない人の共通点】


 精神科医でYouTuberの樺沢紫苑先生の動画が、うつ病改善の参考になると思ったので、簡単にまとめてみました。


 うつ病の治療はちゃんと治療すれば大体一年程で治りますが、2、3年と続くと事もあり、遅延すればするほど治りににくくなります。

 

 再発の可能性はあるものの90%は治る病気でありますが、逆に言えば10%は遅延します。 


 様々なうつ病の患者を見てきた樺沢先生曰く、うつ病の治らない人は3つの共通点があるそうです。


1、お酒を飲んでいる人。

 飲酒は脳の神経バランスを崩すので、うつ病の人には良くありません。また、毎日飲んでいる人は、うつ病ではなくアルコール依存症が疑われます。


2、昼まで寝ている人

 脳科学的にいえばうつ病はセロトニンという脳内物質が欠乏する病気です。体がセロトニンを作るには、朝日を浴びる事です。午後からはは作られないので、12時以降の日光ではダメです。朝の10時前には起きて、朝日を浴びるのが効果的です。


3、運動不足の人

 運動療法は薬物療法と同等の効果があり、運動と薬の治療を同時に行うとより効果的です。一日散歩程度の運動でいいので、辛いのはわかりますが一念発起して運動するといいでしょう。


以上、簡単にまとめただけなので、興味がある人は樺沢先生の動画をご覧ください。



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