嫌なら見るな
中学12年生
第1話
嫌なら見るな。これは、昨今の世間ではよく聞く言葉ではないだろうか。そして、当然それに対する批判を耳にする機会もそう珍しいものでもない。
さて、それらの批判のうち、恐らく最もメジャーなものが「嫌なら見るな、なんて自分に都合の悪い情報を頭に入れたくない幼稚な者の詭弁だ!」というものだと思われる。そしてそこから、彼ら批判者は「嫌なら見るな」論者を、作品を無条件に崇拝する「信者」などと命名し、また、実際にそう呼ぶこともあるらしい。今回は、この類の批判の妥当性を検討してみたい。
まず、嫌なら見るなという主張の発言者が本当に幼稚な者なのかどうか。ひとまず仮定として、嫌なら見るなという主張の提唱者が、批判者の言う通り、自分に都合の悪い情報には目を瞑り、自分の価値観やそれに認められる作品等を絶対的な者として他者に押し付けようとする者だと考えてみよう。すると、幾つかの齟齬が浮き上がってくる。
1、そもそも本当に自分に都合の悪い情報を見たくないのであれば、鑑賞者の反応など最初から目に入れない説。
ほとんどのインターネット上の作品について、その該当作品とそれに対する反応というのは一度に目に入れることができるように設計されていない。例えば、youtubeにはコメント欄が動画の下の方にくっついているし、ニコニコ動画においてもコメントを非表示にできる。小説投稿サイトについても、同様の仕様が観察できる。
であるにも関わらず、「嫌なら見るな」提唱者はわざわざ「自分の見たくないものが書かれているかもしれない」ページを見に行っているのである。これは、批判者の言う人間像と明らかに矛盾する。
この矛盾を避けるためには、批判者は「彼ら嫌なら見るな論者は自分たちの価値観を絶対的なものと見なし、そうでない価値基準を積極的に攻撃しに行く人々である」と言わなければならない。では、これについてもその妥当性を検討してみよう。
2、彼らが自分たちのそれと異なる価値観を攻撃しに行くのであれば、なぜそもそもその作品を見ようとすら思わない人に対して「嫌でも見ろ!」と言わないのか?
今ここで問題になっている「嫌なら見るな」という言説は、ある作品を好きか嫌いかという基準で人々の価値観を分割した時、「嫌い」に割り振られた人々を攻撃しに行く意見であるということになっている。しかし、それには作品を見た上で嫌いだと思う人も含まれるが、それを見ようとすら思わない、つまり興味を最初から持たない人々も「好きではない」というカテゴリーとして、当然含まれているはずである。
しかし、「嫌なら見るな」はよく聞く一方、「嫌でも見ろ」はほとんど聞いたことがない。つまり、上記の「彼ら嫌なら見るな論者は自分たちの価値観を絶対的なものとみなし、そうでない価値基準を積極的に攻撃しに行く人々である」という主張は成立していない。したがって、やはりここでも批判者の意見は事実と矛盾する。
この矛盾を回避するために批判者は「彼ら嫌なら見るな論者は、ある作品を好きか嫌いかという価値基準で価値観を分割した時、嫌いに割り振られ、そして否定的意見を書き込んだ人を敵とみなすのである。したがって、そもそも好きでも嫌いでもない人は彼らのターゲットにはならない」と言わなければならない。つまり、嫌なら見るな論者はインターネット上の何らかの作品に対する否定的意見を封殺しようとする、ということである。次は、この主張の妥当性を検討してみよう。
3、そもそも批判者がある作品あるいは作者に粘着している説。
議論を円滑にするために、今俎上に上がっている「否定的主張」を3つに分類してみたい。1つは、なんの感情的敵対心もなしに否定的意見を書き残していくパターン。次に、批判者がひどい恨みを原動力として、ある作品の悪口を言うことを故意にしているパターン。最後に、作品の質的向上あるいは作者の技術向上を願った誰かが、心を痛めつつ否定的意見を述べているパターン、である。
2つ目の場合、この議論は最初から破綻する。なぜなら、ここで問題になっているのは、簡単に言えば「嫌なら見るな」提唱者の社会的精神の有無であるが、2つ目の場合ではまさしく精神的に成熟していないのは「嫌なら見るな」と指摘される方であり、逆に良識を持ち合わせているのは、「嫌なら見るな」論者であることになるからだ。だとすると、この文脈においてこの可能性は、最初に置いた仮定と大きな齟齬を生んでいるということになる。よって、この可能性はとりあえず棚上げしておいても良い。
次に、1つ目の場合を考えてみよう。ここで「嫌なら見るな」と言われるのは、その作品に対してほとんどなんの思い入れもない人の言わば悪口であり、それがいかなる形であれ作者の目の届かない場所へ押しやられるのは、社会的にどのような評価が下される現象であろうか。
往々にして、創作行為というものには、多大なモチベーションとその維持が要求される。そして、このサイトの存在からも十分に推測できるように、今創作という行為をしているのはごく少数のプロのみではない。つまり、日々多くの作品が提出され、また誰の目にも届かずに埋もれて行く。そして、大抵埋もれた作品群の中には名作が一部混じっていることも一般的である。さらに、当然のことだが、あらゆる鑑賞者にとって自分好みの作品が見つかることは望ましいことであるのは間違いない。
だとするならば、ある特定の作品にただの悪口を付ける時間があるならば、次の作品の鑑賞へと行動を移した方が、そして自分好みの作品を応援したほうが作者にとっても鑑賞者にとってもはるかに合理的であると言える。つまり「嫌なら見るな」が成立する。以上より、1つ目の可能性もここでは除外して良い。
それでは、最後の可能性を検討してみよう。なるほど、確かにこの場合においては「嫌なら見るな」論者の社会性が問われている。なぜなら、ここで「嫌なら見るな」と言われる意見は、長期的には作者にとっても有益である可能性を十分に内包しているし、批判者も全面的に「その作品を見るのが嫌」と言っているわけではないから、俗的な「嫌だから見ない」が適応できるような状況でもない。
一旦、ここまでの議論をまとめよう。「嫌なら見るな」論者は端的に言えば、自分の好む物に対する否定的意見が目に入ることを拒絶しているのであり、その行為の社会的妥当性が問われるのは、その「否定的意見」がその作者や作品の為を思って書かれた場合に限る。
しかし、ここまで来ても実は「嫌なら見るな」論者の精神的幼稚性は言えていない。確かに、社会的に妥当な批判を無視したり軽視することは一般的に褒められた行為ではないだろう。けれども、彼ら「嫌なら見るな」論者が、もし「作品に対する意見」を当該作品と同様に消費しているとすれば、その限りではない。「嫌なら見るな」論者が鑑賞者の好意的反応すらも消費しているとすれば、彼らの精神的幼稚性を叫ぶ主張は妥当ではないのだ。
確かに、現実世界を振り返ってみれば、一般人がSNS等で自分と同様の価値観の下に発信されたメッセージに共感を覚えたり、逆にただの一般人の感想が例えばyoutubeのコメントでちょっとしたポエムになっていたり(決してそれを馬鹿にする文脈ではない)、特定の文字を使って芸術的なコメントを送っていたりする光景は日常的に観察できる。
つまり彼ら「嫌なら見るな」論者の世界観とは、まさしく一億総クリエイター社会であり、あらゆる意見や感想すら消費の対象、言い換えれば発信者の「作品」なのである。だとすれば、「嫌なら見るな」に付随しがちな「ならお前がやれ!」という意見に関しても説明がつく。それは言い換えれば、あなたが自分好みの作品を作って発表すれば良いでしょう? という世界観なのだ。
そしてその認識は、誰でも(私のような文盲でも!)こうして自分の論考をそれ専用のサイトに投稿することが出来、市場には本来の作品を改変した二次創作やMAD動画が出回り、共感を得られればどんな内容でも数千人にリツイートされる現代において、決して異常者の知覚ではない。
その認識の上で、もし「嫌なら見るな」論者が、上記の消費行動をしている時としていない時でスイッチを切り替えており、作品につく好意的反応すらも消費するというスイッチがオフになっている時、自分に対する批判を受け止めているのであれば、決して彼らの精神的幼稚性は糾弾されない。どんな社会的に成功しているビジネスマンでもキャバクラにいって承認欲求を満たし、そしてその時に限り現実世界を忘れることを望むように、ただ彼ら「嫌なら見るな」論者は好意的反応を消費している時に、水を差されたくないだけなのである。
以上より、少なくとも彼ら「嫌なら見るな」論者が、上記の消費行動をしていない日常生活において、自分に都合の悪い情報をシャットダウンしているという根拠が提出されない限り、彼らの幼稚性は全く言えない。そしてそれは、特に「嫌なら見るな」が書き込まれるインターネット上のやり取りにおいて、ほとんど不可能である。よって、「嫌なら見るな論者は精神的に成熟していない」等の主張は、少なくともこの文脈に沿っている限り棄却できる。
嫌なら見るな 中学12年生 @juuninennsei
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