第57話 あなたを招待したい
アルスとしばらく話していたら、かなりの時間が経ってしまった。
そろそろ帰る頃合いだ。名残惜しいけどまた来ればいい。
「アルス、そろそろ私達……」
「うん、分かっている。いつも通りここで待っているから」
「次は私のおつまみとか持ってくるよ。じゃあねアルス」
さっきみたく、アルスが頭と尻尾を隠して寝てしまう。
私達はそのまま橋から離れた。夕焼けに眩しさを感じながら、アパートまでの道をただ歩く。
その途中、私はちゃんと言えなかった事に後悔の気持ちが湧いてきた。何故言葉が詰まってしまうのだろうか……無性にむしゃくしゃしてしまう。
「どうしたの、沢口ちゃん?」
「……いえ、何でもありません」
まだ森さんには伝えてなかったっけか。もし十年もいなくなると知ったら、この人もショック受けるのだろうか。
いや、受けない方がおかしいか。何せ十年と言えば、私が二十六歳辺りになる頃だ。
正直遠距離恋愛よりも酷いと思う。
その間にアルスの心境が変わってしまったり、あるいは私がそうなってしまうとか……いやそうはなりたくない。私にはアルスしかいないんだから。
ただやっぱり、どうしようもない不安が出てきてしまう。
「ん、あれって」
「えっ?」
うつむいていた顔を上げると、向こうの壁に誰かが寄り掛かっている。
よく目を凝らしてみると、それはメロ君だった。
「どうも沢口さん、森さん。今は大丈夫でしょうか?」
「えっと……確か名前……田中太郎君だっけ?」
「よく覚えてましたね……本名はメロなんですけど」
そういえば前に偽名言ってたなぁ……。
本当によく覚えてたもんだ。
「あっ、そうなの? まぁ私は大丈夫だけど……沢口ちゃんは?」
「……ええ、別にいいですけど。それとメロ君、さっきフイエスありがとうね」
「いえいえどうも。ほんの餞別なんですが」
それからメロ君がファミレスで話したいと伝えてきた。
すぐさま三人で近くのファミレスに移動。その窓際の席に座る事になった。
「えーと、サーロインステーキ一つ、ミネストローネ一つ、あとパフェ下さい」
「結構食べるんだね」
「ここの世界の食べ物は格別ですからねぇ。それはともかく沢口さん、あなたにお話があります」
森さんに楽しそうな顔をしたと思えば、水を飲んでいた私に振り向いてくる。
また何か言われそうだと警戒してしまった。前の残酷な発言と同じ感じじゃないかと。
「まず謝らせて下さい。本当にすいませんでした」
ただ変に身構えた私に対して、突然メロ君が頭を下げてきた。
「えっ……何でいきなり……」
「アルスの為とは言え、あなたに真実を隠していた。それに前に告げた発言で未だ混乱しているかと。改めて謝罪をさせて下さい」
「…………」
「許してくれとは言いませんし、恨んでも構いません。これはワタクシからの勝手なお詫びと思っても大丈夫です。……それで本題に入りますが」
メロ君の元にミネストローネがやってくる。
彼がそれをスプーンで飲んでから、
「沢口さん、あなたを異世界に招待したいのですが」
「……異世界?」
異世界って、あのファンタジーな異世界? というかメロ君達の故郷だよね?
何で私を異世界に?
「へっ? 沢口ちゃん、何の話してんの?」
「十年もアルスと別れなければならないのです。その前に思い出作りをするのは至極当然の事。しかしアルスが動く事もままらない今の状況では、とてもそのような事は出来ない。なのでその心配のない異世界に赴き、ぜひともアルスと……なんて思ったのですが」
「あの、だから異世界って……てか十年も別れるってどういう事?」
「森さんは初耳ですね? ワタクシはアルスと同じく異世界の出身者。そしてアルスはある目的の為、十年も世界を回る事になっているんです」
「……十年も世界を? 十年……」
さしもの森さんも唖然だ。
普通聞いたらそうなるよね。一週間とか一ヶ月とかそういう規模じゃないんだし。
「でも異世界にはモンスターがいるって……」
「その辺は縄張りのある地域に行かない限り、襲われる心配はないです。もちろん念の為にリジロの奴と同行させる予定ですが。
それとここまで言ってはなんですが、異世界に行くのは強制ではありません。この世界と違う所に行くなんて怖いと思うはず。なので返事は今すぐじゃなくて大丈夫です」
「お待たせしました、サーロインステーキです」
「おっ、来た来た」
置かれたステーキに、メロ君が嬉しそうにフォークとナイフを持つ。
私はというと、その話に対して困惑しか出なかった。異世界の話は何度も聞いたけど、まさか実際に招待されるなんて。
「……えっと、ジュースを入れてくる」
何となく、少しだけこの場を離れたかった。
ジュースは単なる方便だ。
「あっ、私も行く」
さらに私の後を、森さんが付いて来る。
ドリンクバーに向かっている間、メロ君の様子を見てみた。それはもう幸せそうな顔でステーキを頬張っている。
能天気な。
呆れたというか、羨ましいというか、形容しがたい複雑な印象が湧き上がってくる。そこに異世界を行くかという選択を突き付けられたんだから、たまったものじゃない。
悪い子じゃないのは分かっているけど、相変わらず何考えているのかよく分からない。私を心配しているのか、そうじゃないのか。
「ねぇ沢口ちゃん。メロ君だっけ……あの子の言った事って本当なの?」
「……はい、本当です。アルスは近い内に私達から離れるんです」
「……そうか」
森さんにしては珍しい、放心した表情だ。
それから黙ってジュースを入れる森さんに、私も黙ってしまう。私の番が来てもなお沈黙のまま。
でも何だが窮屈を感じてきて、だからか私は森さんに質問してみた。
「森さんだったら……異世界に行きますか?」
「確か別世界の事だよね? まぁ、行くかな……美味しい物とか珍しいお酒とかいっぱいありそうだし」
「やっぱりお酒ですか……正直いきなりで戸惑ってますけどね」
異世界と言っても未知の世界なんだ。何が起こってもおかしくはないと思う。
正直気が引けるし、あの時断ろうとか一瞬考えたりもした。
「……でも……」
でもメロ君の言う通り、今のアルスではこの世界で動きづらい。それに十年という長い時間の中、アルスと別れなければいけない。十年だよ。
こんな時に何もしないなんて、どう考えてもおかしい。
「戻りましょう、森さん」
「えっ、うん……」
どうあっても選択は一つしかないじゃないか。私はジュースを片手に席に戻った。
メロ君の方はステーキを食べ終えて、パフェを美味しそうに頬張っている。それでこっちに気付いた途端、口角を上げてきた。
「おや、その表情。何を考えているのか手に取るように分かりますね」
「…………」
さすがメロ君だよ。私の考えを見抜くなんて。
相変わらず人の心を読むのが得意なんだね。
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そして三日後。その日がやって来た。
「皆さん、今日はお集りいただきありがとうございます」
私達は、いつもの川の土手に集合していた。
メンバーは私とアルス、ユウナさん、森さん、誠君、そしてメロ君。森さんは未成年しかない私達の保護者として同行する事になっている。
もちろんユウナさんと誠君にも、異世界の事は伝えてある。
ユウナさんは自分の世界に帰るような物だからか、それはもうすんなりと受け入れてくれた。
『私も元の世界に戻ってみます。アルス様と離れる前に何かしてあげたいですしね……』
誠君は聞いた途端、呆気に取られていた。
ただ少し悩んだ後、自分も付いていくとは言った。アルスの友達なんだから行く義務があるんだと。
『本当に大丈夫? 別に強制じゃないけど……』
『こういう場合は皆で行った方がいいじゃん。それにさ……僕だってアルスと別れるのはキツいんだから……』
『…………』
『だから最後の最後で忘れられない思い出を作りたくて……そう考えると異世界ってのはすごくいい方法じゃないかな。姉さんはどうする?』
『……正直期待半分不安半分なんだけど、誠と同じ考えだね。アルスが楽しめるならそれでいいかな』
『森さん……誠君……ありがとう二人とも』
普段は冷静なんだけど、やっぱり誠君も気が気じゃなかったんだ。
『いいのよ。それに異世界のお酒が楽しみだしねー』
『結局姉さんはそっちかい』
二人の好意には本当嬉しかった。頭が上がらない。
こういう事があって、私は皆と一緒に行く事になったのだ。アルスとの思い出を作る為に。
「質問でーす。念の為にお金持ってきたんだけど、日本円って通用する?」
「もし通用したら、それはそれでおかしいですけどね。ともかく日帰りなのでそこまで長居はしないと思いますが、お察しの通りこちらの世界と私の世界とは価値観などが異なります。なるべく私の言う通りに行動して下さい」
価値観が異なるか……。でもアルスを見れば一目瞭然か。
それでメロ君の説明が終わると、彼が誠君の腕を握り始めた。
「異世界に行く為には、皆の手を繋げればなりません。それで私がいいと言うまで目を開けてはなりません」
「そんな事が出来るの?」
「建物は無理ですが、人間が相手ならこうする事が可能ですね。ただし途中で手を離さない事。離すと置いてかれる可能性がありますので」
確か、ビランテは人に頼んで転移させてもらったとか言ってたもんね。
「とか言っちゃって、目をつぶっている間に沢口ちゃん達のパンツ見るんじゃないのぉ?」
「森さん、さすがにそれは……」
いくらメロ君がやりそうだからって今それを……
って、メロ君がショックを受けている的な顔をしている!? まさか本当にする気だったの!?
「……メ、メロ君?」
「それ言ってしまったらバレちゃうじゃないですか……。マジで絶好のチャンスだったのに……」
「っと言ってますが、どう思いますユウナさん?」
「……破廉恥ですね……」
ユウナさんの目が死んでるがな……。
以前された屈辱的な事、絶対に根に持ってそう。
「しょうがない、それは次にしましょう」
「それって今後もやるつもりって事に……」
「はいはい。黙って手を繋いで、すぐに目をつぶって下さい。ほら、皆さんも」
さっきの事を言われたら閉じにくいんですが。
でもそれしか方法がないから、仕方なく言う通りにした。右手でユウナさん、左手でアルス。アルスは体表に触れるだけでいいと言ったので、その身体に手を置いた。
「いよいよだな、エリ」
「うん……」
アルスに対して頷いた。そして覚悟を決めて、ギュッと目を閉じる。
視界が黒を中心とした変な色で埋め尽くされて、何も見えなくなる。
「では行きますよ。……3……2……1……」
――パチン!
耳元に聞こえてきたのは、指を鳴らした音。
「……もういいですよ。開けてみて下さい」
次にメロ君の声。
私は躊躇を覚えながらも、そっと目を開けた。
そこにあったのは……。
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