第53話 自然生態系の神獣
いつしか私は無性に叫んでいた。
リジロに迫っていたアルスが足を止めるには、十分な理由だった。
「瑛莉っ!?」
当然と言うべきか、ユウナさんが驚愕する。
私は一歩前に出て、アルスに自身の姿を見せるようにした。後ろからユウナさんの制止の声が聞こえてくる。だけど決して退く事はない。
「……グウウウウウ……」
振り向いてきたアルス。鎌首をもたげながら低い唸り声を上げている。
明らかに威嚇している。メロ君の言った事が本当なら、多分私だって分かっていないはず。
でも、今はそれでいい。この言葉を伝える事が出来るなら……それで。
「アルス、あなたは闘争本能に負けるほど弱い子だった? 見境なく敵を作って暴れ回る怪物だった?」
アルスが理解出来ているかなんて分からない。
それでも、この言葉を投げかけるしか方法がない。
「メロ君から聞いたよ? あなたは異世界の生態系を守る神獣だって。きっと元の世界では立派で……人から慕われていたんだろうなぁと思うよ」
――そう言った時、アルスの尻尾が迫ってきた。
ユウナさんの息を呑む声が聞こえてくる。でも私は一切動じなかった。
その尻尾が、私の目の前に突き刺さったからだ。尻尾が明らかに私に向いてなかった上に、殺意の一片すら感じられなかった。恐らく威嚇の意味合いが強かったはず。
そうして尻尾を引き抜いた後、私を睨んでくる。「早くここから消えろ」と言われているようにも思えた。
だけど私もまた、アルスを見つめる。後ろに下がる理由も消える理由もない。そうして互いに膠着していると、アルスの方からにじり寄ってくる。
唸り声をまだ発しながらゆっくり、ゆっくりと。
「そんな神獣が、今の凶暴な怪物だなんて……笑わせないで!!」
「グルルル……………………」
ある物を取り出した時、アルスの唸り声が止んだ。同時に足が止まる。
私が見せたのは、あの子自身が折ってくれた折り鶴。
「これを見て! これ、あなたが折ってくれた物なんだよ!? あなたは見境なく暴れ回る怪物なんかじゃない。誰よりも優しくて……誇りある子だった! じゃなきゃ、こんな素晴らしいのを折れるはずがない!!」
この折り鶴は、私とアルスとの大事な思い出その物だ。だからこそこの場で見せたかった。
そうして私は立て続けに叫ぶ。アルスに……
「さぁ、神獣としての姿を見せて! 今のあなたなら出来るはず!!
私にその力を見せて! アルス!!」
アルスに本当の力を見せてもらうんだから。
「ウギギ……フゥ! やっと出れタ!!」
直後、リジロが絡まった木を砕いて脱出した。
するとアルスがそれに気付き、長い尻尾を突き出していった。それをかわすリジロ。
「ヒャ!? 危ナっ!?」
リジロがさらに距離を置こうとする。そこにアルスが飛び掛かり、前脚を振るった。
その前脚がリジロの腹に当たった。当たったんだ。それまで当たってなかった攻撃がついに。
攻撃でよろめいたリジロが、さらにアルスから離れる。その後を追うアルス……そして私達。
アルスは本当の猛獣のように、樹木の中を駆け巡った。スピードが速過ぎて、そのまま見失ってしまうほどだった。
それでも私は必死に走って走って、後ろの二人を置いていく勢いで走った。
アルスの強さをこの目で確かめないといけないんだ。それが私の義務……今やらなきゃいけない事なんだ。
「オオオオオオオンン!!」
目の前に、苔に囲まれた川が見えてくる。
リジロがくるりと振り返り、翼を羽ばたかせた。突風で周りの岩が浮き、アルスに向かう。
まるで砲弾のような岩。でもアルスは頭を振るい、次々と壊していく。散らばっていく無数の礫。
さらに飛んでいるリジロへと尻尾を伸ばしていく。再び回避したリジロだけど、尻尾が彼を追うように曲がり、さらに伸びる。
それがリジロの脚に絡み付いたのは、一瞬の事だった。
「ナッ!? うおおおおおお!!」
リジロが引きずり降ろされ、川に落下。水しぶきが跳ね上がる。
そうして倒れている隙に、アルスが馬乗りになった。しきりに口元を震わせながら。
「こ、これはマズいのでは!?」
ユウナさんがメロ君に言った。どう見てもそれは、リジロにトドメを刺そうとする行為だ。
しかしメロ君は動じる事なく、俄然とした態度を取る。
「……いや、大丈夫です」
「えっ……?」
その言葉の意味は、私にも分かっていた。
馬乗りになってからアルスは動いていなかった。リジロが恐る恐る抜け出しても、何も反応してこない。
その代わり顔にある目元。それが剥がれ落ちるのが見えた。
ボトボトと地面に落ちて、その奥が露わになる。
まるで太陽のように輝く
「完全に我を取り戻したようです。
あれこそがアルスの真の姿。我が世界の自然生態系の体現者、誇り高き神獣たる姿です」
――ああ、確かに神獣だ。
金色の瞳を持ったアルスを見て、私はそんな事を思う。メロ君の言った事は全くの誇張表現なんかじゃない。
私は一歩、一歩とアルスに近付く。アルスもそれに気付いて、こちらに振り返ってくる。
「……エリ……」
唸り声じゃないちゃんとした言葉。若干野太くなっているけど、それでも私の知っているアルスに違いなかった。
安堵の思いがしてきた。全身から力が抜けて崩れてしまいそうだった。だけどその時、アルスの大きな身体がぐらりと倒れる。
まさか病気とかなんじゃ……心配が襲ってくるの感じて、私は振動に耐えてすぐに向かった。
「アルス、大丈夫!?」
「……疲れた。そっとして」
「…………」
そういえば、朝から巨大生物と戦っていたんだよね。
それは確かに疲れる。というかアルスって……。
「……フッ、フフフ」
「どうしたんだ……?」
「フフ……ううん、何でもない」
本当にアルス、姿が変わっても中身が変わんないんだね。
安心した……安心過ぎて、涙がこぼれてしまいそうだった。
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あの後、私はこれまでの整理をした。
まずアルスは異世界の自然生態系を担う神獣。その証拠に、さっきのように植物を操る能力を持っている。
アルスは成長するにつれて、徐々に闘争本能が芽生えていく。それに支配された状態で人気のない自然の奥地に移動。周囲の生物を巨大化させて戦う。
そんな本能をコントロールするのが、眷属のリジロ。
彼の手助けがあって、初めて力のコントロールと自我を取り戻す。金色の瞳はそのコントロールの証らしい。
「沢口さん、もしよかったらこれを見て下さい」
メロ君が一冊の本を渡してきた。
それはアルスの経歴を記した報告書……らしい。これまでの事を元の世界で報告するつもり為の物、そして私がビランテのバイトをしていた時に探していた物だと、彼が付け加えて説明した。
私は中身を見てみた。異世界の文字なので全然読めないけど、確かにこれまでのアルスのイラストが載っていた。
幼少期の幼い姿、成長して大きくなった姿、四足歩行の姿。そして今の姿。
きっと文章には、細かくアルスの詳細が記されているはずだ。もし私が文字を読めたら、一発でアルスの正体が分かったはず。
「……ありがとう。それと……ごめんね」
「ん、何故急に謝るのです?」
「だってメロ君、今まで隠し事していたから……アルスがらみでとんでもない事をするんじゃないかって……」
そう言いながらアルスを見る私。
余程疲れているせいか、あれからぐったりと地面について眠っている。
「まぁ、前に企業秘密だって言いましたからね。それに全部言ったら混乱する可能性もありましたので」
「うん、その通りだと思う。ユウナさんも……少し疑ってごめんなさい」
「いえ、そんな……」
ユウナさん、そんな申し訳ない顔をしないで。
ちょっと頭を使って考えれば分かっていた事なんだ。アルスの成長、二人からの特別扱い……様々な要素があった。
さすがに生態系の神獣というのは予想つかなかったけど。あの姿を目にすると納得も出来る。
「話を戻しましょうか。今のアルスは長きに渡る戦闘から休眠状態に入っております。なのでアルスの容態と精神が落ち着くまでキャンプする事にします」
「キャンプ? もしかしてそのカバンって」
「ええ、三人分の寝袋や携帯食料も入っています。水浴は滝つぼでしておくといいでしょう」
実は私達は、巨大魚がいた滝つぼに戻っている。魚はというと放っておくと厄介なので、リジロが丸ごと食べてしまった。
なるほど、水は綺麗だし入れない事もない。冷たいだろうけど、汗や汚れが酷いから我慢だ。
「てな訳で汗かいた事ですし、全員で水浴を……」
「いやいや、ちょっと待って? 何で私達と一緒に入ろうとしてんの?」
「そりゃあもちろん、あなた方の柔肌な裸をこの目で見たい――」
「リジロ、家に帰ったら甘いお菓子あげるからさ。メロ君を遠くの所にやってくれる?」
「お菓子!? ヨッシャ分かった!!」
「えっ、沢口さんちょっと待……あれーーーーーーーー……」
リジロがメロ君を掴んで、森の中に向かった。
よし、これで変態はいなくなった。ご丁寧にタオルも用意されているから一安心。
「とは思ったけど、水浴初めてだしなぁ……」
「そんな難しい事ではないです。私達の世界ではありふれた事ですし、冷たい事以外は今までのお風呂と変わりありませんわ」
「まぁ、それもそうだね。異世界流のを試してみるかな」
ユウナさんが脱いでいるんだし、私もやってみるか。
先に服を脱いで……あっ、引っかかってしまった。上手く脱げない。
「あっ」
その服がぐいと身体が外れた。
私がやったんじゃない。起きてきたアルスが口でやったんだ。
「大丈夫か、エリ?」
「……うん、ありがとう。今は動いて大丈夫なの?」
「多少は……僕もその水浴をしようと思って」
「そうか……もちろんだよ、一緒に入ろう」
アルスの身体がだらけになっている。それは早くに入って流さないと。
と、そんな風に身体を眺めている内に、アルスの瞳が目に入った。
さっきも思っていたけど、本当に綺麗な金色をしている。何だが、吸い込まれそうな、そんな魅力的な色。
「ところでエリ、話があるんだけど……エリ?」
「……あっ、何でもない。えっと、話って何?」
アルスから話があるなんて、何だが珍しい。
私が尋ねると、その子は真剣な眼差しで答えた。
「この後にやる事があるから、僕と一緒に来てほしいんだ」
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