第52話 アルスは、あんな子じゃない
あれから森の中を進んでいった私達。くまなく周りを見渡したんだけど、やはりアルスの姿はどこにも見当たらなかった。
それどころか……
「グオオオオオオ!!!」
「うわああああああ!!?」
また私達の前に巨大生物が現れた!
今度は虫なんかじゃなくてトカゲだ。四肢が太く強靭で、鱗も刺々しくなっている。それでいて鋭い牙を覗かせた口を開きながら、こっちに迫ってきている!
「ちょっと待って!! 速いアイツ!!」
私達が必死に逃げても、巨大トカゲがバタバタと忙しく走ってきた。
それに加えて、私達が走っているのは舗装されていない不安定な道。走るのも精一杯なのに、巨大トカゲは難なく突き進んでくる。
距離間が徐々に短くなってくるのが分かる。このままでは追い抜かれてしまう……!
「オオオオオン!!」
その時、トカゲの横からリジロが現れた。
飛び掛かりざまにトカゲの腹を噛み付く。固そうな鱗を持っていないから、そこから血があふれ出る。
「アイタタタタタ!! そこヤメテ!! 痛いから!!」
ただトカゲも反撃とばかりに、リジロの首を噛み付いてきた。
痛そうにするリジロだけど、台詞からしてそれほど大した攻撃じゃないらしい。
それからリジロがトカゲの首を掴んで、思いっきり地面に叩き付ける。
――ベキッ!!
固い物を無理やり折ったような音が響いてから、トカゲがぐったりと倒れた。
「……骨折ったんだ」
「だって噛み付キ痛かったシ」
そんな軽く言われましても……。
言動から想像付かないけど、リジロも十分凶暴な怪物なんだよね。こっちの生物とは比べ物にならないはず。
「トコロデ大丈夫かニンゲン?」
「う、うん……ありがとう。あの、私の事は瑛莉って言っても大丈夫だから」
「分かった、エリだな! ソレヨリもやっぱオレが付いてキテよかったゼ! もしいなかったらミンナお陀仏だったな!」
確かにリジロがいてよかったとは思う。
ただ彼、気付いてないのだろうか。頭のてっぺんに、さっき倒した巨大蜘蛛の脚が刺さってるんですけど。
これ、明らかに脳天行っちゃっているよね。多分植物だから脳みそがないかもしれないけど、かなり絵面が酷い。落ち武者かってくらいに酷い。
「ん? ドッタ?」
「……頭……」
「ん? ああ、脚が刺さってタカ。ヨイショっと」
ゴミを払う感覚で脚を抜き取った。痛くないのそれ?
まぁ、リジロは放っておいて。問題はさっき私達に襲い掛かってきた奴らだ。
蜘蛛といい、トカゲといい、さっきから巨大生物に遭遇してばっかりだ。しかも見慣れた生物が巨大化しているという。
この事例は前にもあった。
自然公園の虫、千葉の田舎のカナブン。どちらも共通するのはただ一つ。
「もしかしてアルスがやったの?」
「はい、その通りです。どうやってやったのかはお分かりですね?」
「……うん」
アルスの体液には、生物の巨大化と凶暴化を促す効果を持っている。
そしてそれが一体二体ではないという事は、あの子が意図的にやったという事。
──だからここを選んだんだ。
人のいる場所であんな事をして、どうなってしまうのかなんて想像するまでもない。それを防ぐ為にも、こういった人のいない自然の奥地を選んだ。
何が起こったのか、何でそんな行動したのか、未だ見当が付かない。でもアルスは、私達を巻き込まないようにしてこのような事を……。
「ともかく、ここら辺にアルスはいないみたいですね。もう一回しますか」
メロ君が立ち止まった後、おもむろに目をつぶった。
一体何をしているのか、私は不思議に思う。
「メロ君、どうし……」
「話し掛けないで下さい。今、感知魔法でアルスを捜している所でして……常時発動している訳じゃないから面倒なんですよ」
そうなのか。それなら黙って待つしかない。
結果が出るまで、私はメロ君を見守った。そうしたら彼の周りに、微かに光の粒子が舞ったような気がした。
恐らくこれが、これが異世界の魔力なんだ。
「……動き続けている。何かを探しているようにも見えますね……これは……」
どうやら動きを掴んだみたいだ。
ぶつぶつと小さく呟いている。
「案外これは近い……となると……沢口さん、ユウナさん! こっちです!」
「あっ、メロ君!」
彼が目を開けた途端、急に走り出してしまった。
これは面食らっている余裕もない。それに近くにアルスがいる……追っかけない理由なんかなかった。
ぬかるんだ地面を蹴って、草むらをかき分けて、
「オオオオオオオオオオオンンン!!!」
すると森中に、獣の咆哮が響き渡った。
「……アルス……?」
こんな咆哮を出せるなんて……あの子しかない。
さらにその時、樹木が激しく動いた。まるで風に煽られたみたいに木の葉が震えだす。一向に止む事がない。
そして私は見た。
樹木の間を、巨大な影が飛んでいるのを。
「しまった、行ってしまいました……!」
メロ君が叫ぶ。
巨大な影は、私達とは別方向に飛んでしまった。瞬きする頃にはほとんど見えなくなってしまう。
「逃がしはしません……リジロ、あの影を追いかけて下さい」
「瑛莉、早く!」
「……う、うん」
私が目で追っている間、メロ君達がリジロの背中に乗っていたようだ。
ユウナさんに言われて乗った後、リジロが一声を上げながら飛んだ。樹木の間をジグザグに飛行して、影が行ってしまった方向へと向かう。
「メロっち!! あいつどこイッタ!?」
「感知魔法は常時発動出来ないと言ったでしょう!? この距離なら匂いを嗅げれると思いますが!」
「オットそうだっタ。すっかり忘れてタ!」
アルスの時みたく息を吸い込んだ後、急に咆哮転換をする。その方向を飛んでいくと、次第に水が流れるような音が聞こえてきた。
森を潜り抜けると、その音の正体が分かってくる。開けた場所に流れる一つの滝だ。
森の中で落ちながら、ザアアと激しい音を出している。それに滝つぼや川には木の葉が常に流れていた。
でも私が見ているのはそんなのじゃない。見ているのは、滝つぼの近くにいる『それ』。
それは顔を滝つぼに突っ込んでいた。水を飲む音が微かに聞こえてくる。
巨大な身体をしていた。今のリジロとほぼ同じで、体表が植物のツタのようで。
そしてそれは、この森に溶けるような緑色をしていた。
「……アルス」
間違いない、あの子だ。あの子がそこにいる。
前脚がゾウのような太い物に変わっていても、尻尾に棘が生えていても、姿がまるっきり変わっていても、あの子はアルスなんだ。
リジロはアルスから離れた距離に降り立った。でも私は、夢中になって足を踏み出して。
やっと会えた……会えて……
「沢口さん、今は近付いては駄目です!!」
「……!」
ふらりと向かった私に、メロ君が言ってきた。
そしてその時、滝つぼから湧き上がる大きな水しぶき。
飛び散ってきた水に顔を伏せた途端、何か巨大な物が出てきた。
「ギャアアアアアア!!」
首長竜みたいな怪物だ。
全身には白銀の鱗。頭部は魚のような形。その怪物が鋭い牙で、アルスの首元に噛み付いている。
アルスが離そうと抵抗していた。吠えながら大きく暴れ、怪物を執拗に地面に叩き付けていく。
「やはり滝つぼの魚を巨大化させましたか。リジロ、いよいよ出番です」
「ま、待って!! まずはアルスに……!!」
「無駄です。あそこに近付いたらどうなるのか言うまでもない」
メロ君が冷徹に言い返す。さらに首を軽く動かして、私にアルスを見るよう促す。
私はアルスを改めて見た。今なお巨大魚を振りほどこうと、身体を激しく暴れ回している。その都度響き渡る振動、立ち込める粉塵。
まるでその姿は、凶暴な獣その物。吠える咆哮にも、理性というのが感じられない。
「今のアルスは、闘争本能で理性のタガが外れています。その本能で周りの生物を異形化させて、ああやって殺し合いをしているんです」
……殺し合いって……。
私は全く理解出来なかった。だってアルスはつい最近、私と文化祭を回ったばっかりなんだ。
まだ別の生物だと言われた方が納得出来る。あれはアルスと似た別物だと。
でもやっぱり、あの子はアルスなんだ。
そのアルスが殺し合いをしているなんて、受け入れられない。
「オイ、アルスぅ!!」
リジロが、アルスと魚に向かって飛び上がる。
大きな翼を一気に羽ばたかせると、突風が吹き荒れる。アルス達はその突風で吹っ飛ばされた。
アルスは地面に転がって、魚の化け物は滝近くの岩に激突。頭から血を流して力尽きる。
「グルルルルルル……」
起き上がったアルスが顔を持ち上げてきた。
滝つぼに突っ込んでいたので、見るのはこれが初めてだ。その顔は以前よりも獰猛的で、周りには鬣か角のような物が生えている。それに何か違和感がある。
そうだ……目元だ。
目元に相当する場所に、何か
「オオオオオオオ!!!」
咆哮を上げながらリジロへと駆ける。
リジロは翼を羽ばたかせて、アルスに激突。お互いに身体を当てた事で、生じる衝撃波。
周りの草木が震える中、アルスの口がリジロの首元に向かう。気付いたリジロがアルスを持ち上げ、放り投げる。
転がるアルス。でも再び立ち上がって飛び掛かる。
リジロは翼をアルスへと振るい、叩き付ける。のけぞるアルスに対してまたもう一発。怯んだ隙に背後に回り込み、距離を取る。
戦っているというより、あしらっているみたいに見える。さっきの巨大生物のように倒そうという敵意が、明らかに持ってない。
「リジロは何を……?」
「今のアルスは闘争本能を制御しきれていない。なので眷属のリジロがあえて相手する必要がある。
そうして次第に本能の感覚を覚えていき、理性も同時に取り戻していく。前に彼をけしかけたのはその為なんですよ」
そういう事なんだ……だからリジロが今の状況で必要なんだ。
アルスが前足で何度も叩き潰そうとするも、その都度攻撃を避けていくリジロ。そして急に飛び上がり、空高く舞い上がった。
「オリャアアアアア!!」
アルス目掛けて急降下。
背中に蹴りを入れて、その身体を倒れ込ませた。うめき声を出すアルスに対して、リジロが旋回しつつまた距離を取る。
「どうシタ! それでも神獣ナノカあんた! オレを捕マエル事ぐらい簡単なはずダ!!」
「オオオオアアアアアアア!!」
また咆哮が響く。さらに前足を地面に叩き付ける。
そこの草木がうねったのを見えた途端、みるみる内に急成長した。一気に太いツタのような木が出来たのだ。
その太い木がリジロに絡み付き、彼を捕縛してしまった。
「ウオオ!? 何じゃコリャ!! ぬ、抜けない!!」
リジロが必死に足掻いている。だけど、そう簡単には振りほどけないみたいだ。
その間にもアルスがまた迫っていく。獰猛な咆哮をして、牙を剥いて、明らかな敵意を見せて。
アルスは、あんな子じゃない。
アルスは……もっと……
「──アルス!!」
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