第42話 離れたくない

「いやぁ、こっち来る前に誠の奴が『下手に手を出したら往復ビンタされるよ』って言ってたの。それでどんなもんかなぁとアルスに頼んだら快感になっちゃって」


「知りませんよそんな……」


 今、小さい頃に遊んでいた公園にいる。森さんと一緒に。


 私がベンチ、森さんがブランコに座っている間、アルスが砂場で山を作っていた。あまりこの時間帯は人がいないし、もし来たとしても咄嗟に物影に隠れる事が出来るらしい。


 さっき、森さんがアルスのビンタを食らっていたので頬真っ赤だ。自分からそうしたと言え、その光景を見せられたお母さんとお兄ちゃんがドン引きしていたもんだ。


 というか何でそれを試そうとしたし。やはり姉弟だからなのか? ドMなのか?


「そういえば、どうやって私の住所が?」


「アパートに引っ越した時、私に山峡市から来ましたって言ってたじゃない? それでこっちに来て、しきりに沢口さんの家を探し回ったっていう訳。ちょっと人に聞いたりで大変だったかな」


「……ああ、確か言いましたね」


 引っ越しの時、大家の森さんに挨拶していた。

 その時にどこから来たとか言われたけど、まさかその事を覚えていたとは思ってもみなかった。


「私の大事な住人だもん。覚えてなきゃ大家失格よ」


「…………」


 大事な住人……。

 それなのに、私は最初からアルスの事を話さず、嘘を吐きながら隠してきた。どっちが正しいなんて言うまでもない。


「森さん、ごめんなさい……私……」


「いやちょっと待って。その、私も悪かった。言い過ぎたと思う」


「いえ、そんな……」


「いやいや、こっちがそんなだよ。まだ私、あの子の事をよく知らないんだからさ」


 森さんがブランコから立ち上がって、アルスを見た。

 未だアルスは砂場で遊んでいる。


「私、こっちに来るまでずっと考えていた。自分は本当に正しい事をしたのかなって。規則は規則なんだけど、それを有無言わさず押し付けてよかったのかなって」


「…………」


 森さんも、色々と考えていたのだろうか。

 私が家にいる間、ずっと。

 

「沢口ちゃんにとって、アルスはどんな存在? それだけ教えてくれないかな」


「……アルスは……」


 私も砂遊びをしているアルスを見た。

 私にとってのアルス。それはもう決まっている。


「アルスは、私の──あつっ!」


 突然、服の所に熱いのが掛かった。

 何だろうと思ったら、私の足元に黒いカスが落ちていた。しかもその隣を、小太りの男の人が歩きタバコしている。


 今までいなかったから、多分後ろにある出入り口から来たのだろうか。


 にしても、あの人の燃えカスが当たった? いや、そもそも私達に気にせず燃えカスを落としたのか?


「ちょっとあなた!! この子にタバコが掛かったじゃない!!」


「んあ? ああ、はいはい」


 森さんが突っかかるけど、男の人が軽くあしらう。

 ああ、この人はあれなんだ。謝る訳がない。


「あの森さん、私は別に大丈夫ですので……」


「いや、よくないよ沢口ちゃん! 謝りなさいあなた!! というか歩きたばこはしないで下さい!!」


「うるせぇな、こっちは好きで吸っているんだ!! 女の癖にガタガタ言うんじゃねぇよったく!!」


「あっ! 何逃げようとしているんですか!? 警察呼びますよ!!」


「あーあ!! うるさいうるさ……ぶぼっっ!!」


 男の人が耳を塞いでいた時、その人が急に吹っ飛ばされた。

 顔面にもろ地面に当たった後、痛そうに悶絶している。そこにゆっくりと近付く……


「エリに謝れ……」


 男の人に蹴りを入れたアルス。

 明らかに普通とは違って、低くて凄みのある声を出していた。


「えっ、何これ!? タバコ吸い過ぎて幻覚見ちゃった!?」


「エリに謝れよ」


「うわっ!? こわっ!! マジやべぇ!!?」


 男の人が立ち上がって逃げようとした。するとアルスが口を開けて、大きな声を上げる。


 ――ゴオオオオオオオオオ!!


 以前、巨大カナブンにやった咆哮だった。

 男の人がまともに喰らって、また吹っ飛ばされる。


「アウチ!! ……何だ……身体中がグワングワンして……オ゛エエエエエエエエエ……」


「……謝れ」


「オエエエ……ちょ、ちょっと待――」


「謝れカス」


「すいませんすいません……本当にすいません……」


 男の人が土下座で、何度も何度も謝罪をした。

 服が焦げたとかじゃないので私は許す事にした。それからふらふら公園を離れた後、アルスが私の所に向かってくる。


「大丈夫エリ? どこか痛い所あるか?」


「……ううん、大丈夫だよ。ありがとう……」


 私はアルスを抱き締めた。その子の頬にもキスを与えた。

 本当に優しい子……。未だポカンとしているようだけど、別に構いやしない。


「森さん」


「……はい」


 さっきの光景とかがあって無理もないけど、森さんが呆然としていた。

 私はその人へと見上げて、まっすぐ目を見て、


「私にとってアルスは、大事なです。離れたくない。だから私……この子と一緒に離れるなんてしたくありません。

 だからどうか……」


「…………」


 森さんは黙っていた。

 黙ったまま、アルスをまじまじと見て、







 そして微笑んだ。


「アパートに帰ろう、沢口ちゃん、。君達の帰りを皆が待っているよ」


「……はい!」


 気が付くと、私もまた微笑んでいた。




 -------------




 アパートに向かう間、森さんがある事を教えてくれた。

 

 ルールにあったペット規制の見直し。


 今回から全ペット禁止から、猫やインコなど近所迷惑にならないペットはOKという事になった。そうする事で、アパートの入居者を増やすという方針だとか。


 それでアルスは近所迷惑にならないと判断され、一緒に暮らしても大丈夫だと言ってくれた。


 嬉しく思いつつも、私とアルスを特別扱いしているんじゃないかと気が引けてしまった。

 だけど森さんは「どうせこのままじゃあ反感持たれてたし、アルスがいてもいなくても絶対にしてた」と付け加えてくれた。


 それが本当かは分からないけど、何となくホっとした気持ちになった。これで正式に、アルスと一緒に暮らせれる。


 色々としがらみが消えた気がして、胸を撫で下ろす。


「それでね、沢口ちゃん達にとってのサプライズがあるんだ」


「サプライズですか?」


「フフン、アパートに帰ってからお楽しみなのさ」


 ユウナさんが聞くと、嬉しそうに鼻を鳴らす。何かアパートでやる予定だろうか?

 何て思いながら歩き続けると、アパートが見えてきた。ただ煙がもくもくと立っている。


 最初は火事かと思っていたけど、敷地内に入ると意味が分かった。


「あっ、お帰り」


「遅かったじゃないか! まだ肉あるから早く座りな!」


 サプライズって、バーベキューの事だったんだ。


 二台ほどのバーベキューコンロの上に、肉やソーセージや野菜が焼かれている。

 さらに折り畳みテーブルには誠君と長谷田さん、そしてアパートの方々が座って食べていた。


 まるで私達を待ってたかのように。


「沢口ちゃん、アルス呼んでいいよ」


「えっ?」


「もう伝えてあるから大丈夫。皆、あの子を受け入れてくれるって」


「……じゃあ、アルス。出てきていいよ」


 私が言うと、アルスが忍者っぽく着地した。

 誠君はともかく長谷田さん方が少しどよめいている。


「こんにちは、アルスです」

 

「お、おう……いやぁ、大家さんから話は聞いていたけど随分植物だなぁ」


「まぁ、僕は植物だし」


「ハハハ、そうかそうか! とりあえずこっちに来な! 肉とかいっぱいあるぞ!」


 長谷田さんの元へと、ひょこひょこ向かうアルス。

 私達もテーブルに向かった所、誠君が紙コップのジュースを用意してくれた。無言で微笑んでいたりもしてくれている。


 森さんもビールを持ち、それを高く上げた。


「じゃあ、アパートのルール改正及びアルス歓迎を記念して、乾杯!!」


「「「乾杯!!」」」


 ……そうか、アルスの為にバーベキューを開いたんだ。


 皆と同じようにしながらも私は思った。と同時に、何かが込み上げてくるような感触を覚えてくる。

 長谷田さん方に勧められて肉を食べるアルス。そのアルスを受け入れて楽しんでいる皆さん。このアパート内に響き渡る笑い。


「うん、美味しい。あとキャベツもちょうだい」


「はいよ。この長谷田五郎が用意した物だからな、たっぷり食べてくれよ」


「分かった、しわくちゃな人間」


「しわくちゃって……しわくちゃっておま……」


 ――嬉しい。


 嬉しくて、何だが目頭が熱くなってしまう。

 こんなにも優しい空間があったなんて。


「瑛莉、どうかしましたか?」


「……ううん、何でもない。ほら、ユウナさんも食べなよ。お肉美味しいからさ」


 零れかけた涙を拭って、私は微笑む。

 今はバーベキューなんだ、感傷に浸っている場合じゃない。アルスも楽しんでいるんだから、私もそうしなきゃ。


「よぉーし大家さん! 野球拳しようか!!」


「おっ、長谷田さんが相手かぁ!! じゃあジャンケン……と見せかけて服脱がし!!」


「おおん!? 卑怯だぞ!? おおおおおんん!!」


 森さん、野球拳やない!! ただのセクハラや!!

 というか外でやるなよ!!?




 -------------




「よっと」


 とうとうこの日がやって来たようだ。


 事務所に巨大な植木鉢を置いて、これでもかとくらいに大量の培養土を入れる。そして肥料も加えておく。これで準備完了だ。


 植物を育てるにはデカすぎると、他の人は思うだろう。だけどこれで十分だ。


「さてと……」


 ワタクシはポケットからある物を取り出した。褐色をした樹皮の欠片かけらだ。

 これを育てるには、植木鉢をこの大きさにしなければならない。そして、何としてもそれをやり遂げなければならない。


 その樹皮を植木鉢に入れて、土を被せる。後はこれが育つのを待つまでだ。


「早く出てきてほしいですねぇ」


 本当に楽しみでならない。笑みが零れそうだ。




 アルスにとって必要な相手が、ここから生まれてくるのがね……。


《メロside》

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