第38話 突き付けられた残酷な言葉
聞いた所によると、今日の森さんは有給休暇を取っていたらしい。
誠君には伝えるのを忘れていて、さらにそのままにしていたとか。つまる所、彼が知らなくて当然だったのだ。
それでベランダ近くで寝転んでいたら、私の部屋に入るアルスを発見。
それが何なのか確かめようと、ベランダを乗り越えて中を確認した……という訳だ。
「……それで、その植物って本当は何なの? どう見ても化け物っぽいけど」
「……えっと……」
私達は今、重い空間に伸し掛かられている状態にある。
私とユウナさん、そして森さんが互いに正座し、アルスの事で話し合っていた。ちなみにアルスは至近距離で悲鳴を上げたのに、未だ熟睡している。ある意味凄い。
口ごもる私に対して、じっと見つめる森さんの目。怖くて向き合う事すら出来ない。
「……あの……これはぬいぐるみ……こういうリアルな動きをするぬいぐるみでして……」
「沢口ちゃん、いくら何でもそれは嘘だって分かるよ。ちゃんと正直に言いなさい」
以前、私が適当に言ったデタラメ信じてたの、どこの誰でしたっけ……。
でももう、こういうのは通用しないって事か。私は観念してアルスの正体、アルスを買った経緯を森さんに話した。
「えっと、その異世界っていう地方からアルスを買ったという事?」
「違う違うそうじゃなくて……ああもうそれでいいや……。とにかく、この子とはビランテという店で会って、それから一緒に暮らしている感じで……」
「そういう事ね。うーん……」
頭をかきながら唸る森さん。
私は何も言えず、ただ森さんの言葉を待つしかない。
「難しいんだよね……。この子がペットかというと微妙だし、そもそも動物じゃなくて植物だし。でも、私に隠し事をしていたのは間違いないよね」
「…………」
「別に敷金没収とかそういうのは言わないわ。というかあれ冗談だし。かといって、このまま置くのもどうかとも思う」
「……それは何故です?」
黙っている私に代わって、ユウナさんが尋ねる。
正直よした方がいいと思ったけど、口が固く閉じられたように動かない。
「もしアルスを置く事にしたら『何であっちは許しているんだ? こっちもペット置いたっていいだろ』って言う人が増えるかもしれないの。いくら沢口ちゃんでも特別扱いは出来ない」
「ですが……」
「ユウナちゃんは黙ってて。それで沢口さん……そのビランテという所にアルスを返してきて」
――その言葉を聞いて、身体がピクリと震えたような気がした。
相変わらず目線は、森さんから背けたまま。
「それか実家に送るか。どちらにしてもペットNGのアパートに置く訳にはいかない。すぐじゃなくてもいいから、どっちかを選択して」
「…………」
「沢口さんには悪いと思っているけど、規則は規則なの。だから、それだけはよく覚えていて」
視線の隅で、森さんが移動しているのが見えた。
扉の音が閉まるのを聞いても、私は顔を上げる事はおろか動く事すら出来なかった。頭の中が空っぽになっているんだと我ながら思う。
「……瑛莉……」
「…………」
まだ寝ているアルスを見た。
ずっと一緒だと思っていたこの子と、離ればなれになる。……離ればなれ? 一体何の冗談なんだ?
正直に言うと認めたくない。でも森さんに隠していた事は否定出来ない。この場合、非があるのは私だって分かっている。
でも納得出来てない。何故という気持ちが出てくる。
もう、頭ぐちゃぐちゃで何も考えたくない。
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深夜になっても、私は全く寝付けなかった。
何か頭の中を、滅茶苦茶なのが渦巻くそんな気持ち。ユウナさんとアルスが寝ていても目が冴えてしまう。
一方で、これからどうしようかという冷静な考えもあった。
諦めに近い気持ちだ。本当は重大な事なんだけど、かえって冷めてしまったんだと思う。
――そうだ、実家に戻ろう。
朝日が窓を差し込んだ時、その結論に達した。
「……瑛莉、どうしたのです?」
起きた後、リュックに着替えや小道具を詰め込んだ。リュックは今までアルスを入れていた奴だ。
後から起きたユウナさんには、奇妙に見えたはずだ。全く相談もせずにやっているんだから。
「……これから実家に戻る」
「実家に……ですか? やはりアルス様を……」
「分かんない……でもそこに行った方がいいかもって思っている……何でか分からないけど」
「…………」
ユウナさんはそこから何も言わなかった。ただ一緒に、実家に向かう準備はしてくれている。
準備が終わった頃には、アルスが起き上がってあくびをした。私はその子の元に腰かける。
「おはようアルス」
「うん、おはよう」
アルスの返事。それを聞くだけでも本当に心地いい。自然と笑みが出てしまう。
でも一瞬にして笑みが消えてしまったようで、それに気付いたアルスが不思議そうな顔をした。
「どうしたエリ……? 何か悲しい事でもあった?」
「ううん、何でもない。それよりも今から実家に行くけどいい? 前に行った事があるでしょ」
「あそこ? 行く」
「よかった……じゃあ行こっか」
私達はすぐに出る準備を進めた。
アルスは昨日みたく、屋根から飛び移って移動。私達も外に出るけど、何故か周りを見てしまった。
多分、森さんとバッタリ会うのを恐れているのかもしれない。
何て思いつつもその人がいないのを確認し、階段から降りた。
「おお沢口ちゃん、ユウナちゃん、おはよう」
いきなり声を掛けられてびっくりした。
振り向いてみると、ダンベルでジャグリングしている長谷田さんがいた。相変わらずダンベルでそれは怖いけど。
「長谷田さんでしたか……おはようございます」
「おう。それよりも、こんな朝早くからお出かけか?」
「え、ええ……夏休みですので実家に帰ろうかと」
「そうか。……あと俺の気のせいならいいけどさ、何か悪い事でもあったか?」
何でその事を……長谷田さんに言い当てられて動揺してしまう。
「どうして……」
「ん、そりゃあ分かるんだよ。俺も長い事を生きているからさ、こう人の雰囲気とかオーラのような物? そういうのが薄々伝わってくるんだ。もし何かあるなら俺が相談するぞ?」
「……いえ、そんな大した事ではないです。本当に大丈夫ですから……それじゃ」
これで大丈夫なんて嘘を言っているようなものだ。逃げるように長谷田さんから離れる。
それから電車で実家に向かった。窓からでは見えないけど、アルスは電車を追うように屋根の上を走っているらしい。
惰性的に、呆然と、頭の中が真っ白になっていた為か、気が付くと実家の呼び鈴を押していた。
「はぁい。あら瑛莉ちゃん、お帰り! ……あれ、連絡って確かしてたっけ?」
「……お母さん……」
お母さんの姿を見た途端、どっと重い物が込み上げてくる。
目頭も熱くなってくる。いつしかお母さんに向かって、胸に抱き付いてきた。
「え、瑛莉ちゃん……?」
「……あああ……あああああああ……うああああああああ……」
泣いた。アルスとユウナさんがいるのに泣きわめいた。
お母さんが最初戸惑っていたけど、それでも私達を居間を上がらせてくれた。それから人目はばからずわんわん泣いた。
泣いて泣いて、泣き止んだ頃には顔がぐちゃぐちゃになっていたのが分かった。どれくらい時間経ったのか正直分からない。
「……大丈夫瑛莉ちゃん?」
「……うん、多分……」
「本当に大丈夫? それとお友達さん……ユウナちゃんという子が教えてくれたわ。アルスをアパートに置けなくなるかもしれないって。だからここに来たのね」
「……うん……」
私が泣いている間、ユウナさんが説明してくれたみたいだ。
お母さんがハンカチを差し出したので、それで涙や鼻水を拭う。ぐちゃぐちゃになった顔がだいぶマシになったはず。
「瑛莉ちゃん。もしよかったら、しばらくいても大丈夫だからね?」
「いいの……?」
「うん、まだ夏休みなんでしょう? それにここはあなたのお家でもあるんだから、楽にしていいのよ。アルスちゃんもユウナちゃんもよかったら一緒に」
「うん、分かった」
「ありがとうございます。何かお手伝いがありましたら何なりと」
「いいのよ、そんな」
そうだよね。ここは自分の家なんだから遠慮なんて必要ないんだ。
ここで頭を冷やして、それからこれからの事を考えないと。
「ふぁわああ……眠いわ~」
「あっ、ハル。その様子じゃあ、まだ寝ていんたでしょ? さすが寝過ぎじゃない?」
足音が聞こえたと思ったら、悠お兄ちゃんがやって来た。
やっぱり自分の部屋にいたらしい。
「別にいいじゃん、夏休みなんだし……って瑛莉じゃん。それにアルスと……その子は?」
「お初にお目にかかります。私はユウナ、アルス様と同様の世界から来た者です」
「ああ、そういう事。まぁ、狭い所だけどゆっくりして……ゴホッゴホッ!」
「? もしかして風邪で……?」
「あ、ああ……夏風邪ひいたっぽくて……別に大したもんじゃないと思うけど」
「そうでしょうか……少し失礼します」
夏風邪引いたらしいお兄ちゃんに、ユウナさんが近付く。
するとどういう事か、ユウナさんがお兄ちゃんとおでこ同士くっつけ合う。
「…………………」
「……熱からして、確かに軽微の風邪ですね。しかし油断は出来ないのですぐに薬を――」
「……あっ、ちょっと待ってて」
「えっ?」
何故かお兄ちゃんが居間を出た。
それからバタンと音がしたので、多分トイレに行ったんだろう。
『沈まれ……沈まれ……俺の物……』
何か言ってますよ、あの童貞。
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