成長記録 六日目

第24話 沢口瑛莉の憂鬱

 それからの日々は重苦しい物だった。


「……行ってくるね、ユウナさん」


「ええ、お気を付けて……」


 朝食を食べた私は玄関に向かおうとした。

 ユウナさんの方はそう言い返した。ただペットボトルの水を飲んでいたアルスは、挨拶するどころかそっぽ向いている。


 私はその子を見ていたけど、時間が時間なので部屋を後にした。




 ――そんな私を待っていたのは五時間に及ぶ授業。


 あともう少しで期末試験、勉強しなければ赤点確定だ。だからどの授業もちゃんと聞かなきゃとは思っていた。


「ではこの問題を……沢口さん」


「…………」


「沢口さん?」


「……えっ? あっ、えっと……すいませんどこですか?」


「はぁ……ちゃんと聞いて下さいね。問題は……」


 何でだろう、先生の説明が全く聞き取れない。


 まるで頭の中がからっぽになったみたいだ。勉強にも集中出来ない。

 真っ白な頭の中、授業が進んで。気が付いた時には下校時間になってしまった。


 改めてノートを見たけど、ほとんどが真っ白だ。まるで頭の中みたいだと、何だが自分で自分を笑いたくなる。


 ともかく家に帰ろうとしているクラスメイトの中、私は惰性的にカバンを用意した。


「沢口さん、大丈夫なの?」


 教科書をしまっている時、誠君が前に出てきた。

 こんな私を見かねたか心配そうな表情をしている。


「……うん……何とか……」


「本当? 三日もそんな感じに見えるけど……何かあったとか?」


「…………」


 誠君にはあの時の事は言っていない。多分彼からすれば、私がいきなり元気をなくしたとかそんな風に見えるだろう。


 あまり言いたくなかったけど、そろそろ説明すべきかもしれない。


 これ以上黙っていたら余計な迷惑を掛けてしまう。それに彼だってアルスの友達なんだ、無関係という訳じゃない。


「この間アルスと喧嘩しちゃって……それから全然話し合ってない」


「えっ、アルスと? 何でまた……」


「ちょっと色々とあって……。何度も声を掛けようとしたんだけど、中々話しかけずらくて……」


 あの日……喧嘩が起こってしまったあの日。それを境にアルスは何も言わなくなった。

 私があげていたミネラルウォーターだって、アルスが自分一人で飲むようになった。散歩もユウナさんと行くようになったし、風呂にだって一緒に入っていない。


 それに私が話しかけようとしても、あの子は聞かない振りをする。一瞬イラついた事もあったけど、それでも怒鳴るのを必死に抑え込んだ。

 私にアルスを怒る資格なんてないんだ。


「全部私が悪いの。本当は謝んないといけないんだけど、勇気が出てこない……」


「……それなら僕が仲介しようか? あの子なら僕の言う事聞くと思うし」


「ううん、大丈夫。これは私達の問題だから……ありがとう誠君」


 そう言って誠君から離れた。多分逃げるような感じをしながら。

 学校から出るんだけど、何だが足が重くなった気がしてくる。どう見てもこれは気持ちの問題、アルスと仲直りしないと収まらないと思う。


 かと言ってすぐに出来るかというと、難しい。


 どう仲直りすればいいのか全く分からない。もし下手な事をしてさらに悪化したらと思うと……恐怖が出てくる。


「……アルスの水、変えないと」


 そんな独り言を寂しく呟く。


 私はおもむろに行きつけのスーパーに寄った。最初に向かったのは、アルス用のミネラルウォーター置き場。

 あの子だって人間と同じなんだから、味に飽きたりとかするはずだ。そろそろ中身を変えないといけない。


 それで喜んでくれたらいいけど、今はどうなんだろう。


 何も言ってくれないのかも。あるいはいらないと言われるかも。そんな悪い考えばかりがよぎってしまう。


 どうしたらいい……どう行動すればいい……どうしたら……


「……あっ」


 考えている内に目頭が熱くなってきた。もしやと思って手で触れたら、やっぱり涙が出ている。

 人がいるのに何しているんだろう私……。誰かに見られる前に拭かないと。


「あれ、沢口ちゃんじゃない」


 涙を拭っている時、声を掛けられた。振り返ると森さんがそこにいた。

 買い物かごを持っているから、つまりそういう事なんだろう。やけに缶ビールが多いけど今は気にしないでおく。


「何か目が赤いよ? もしかしてさっきまで泣いてた?」


「いえ……そんな事は……」


「もしかして生理が来なくて困っているとか? それか男に良いよう遊ばれて捨てられたとか」


「本当はここでするべきじゃないんですけどぶん殴りたいと思いました」


 相変わらず解釈がぶっ飛んでいるわ……。

 というかこの人、下ネタ好きだろ絶対。


「ごめんごめん、冗談だって。でも今じゃなくてもいいから私に相談するんだよ? 抱え込んでいたらストレスになるしね」


「……はい、ありがとうございます」


 その抱え込んだ事を森さんに言える訳もない。

 罪悪感が出てるけど、今はこらえるべきだ。

 

「ところでさ、次の土日って空いている?」


「土日ですか? 何かあるんですっけ?」


「うん。長谷田はせださんが友人の誕生日パーティする為に田舎行くって。それで人数が足りないから、私達や沢口ちゃんも行かないかとか何とか」


「へぇ、長谷田さんが」


 長谷田さんは同じアパートに住んでいる男の方だ。

 誕生日パーティかぁ……私あんまりそういった大人数は苦手な方だけどなぁ。


「ちなみに山に山菜いっぱいあるから、それ取っていいらしいよ。めっちゃ美味いんだって」


「……山菜」


 そういえばアルスが山菜食べれるって、前にメロ君言ってた気がする。


 ……これはあの子の為に行けという事なんだろうか。今は喧嘩しているけど、山菜を見せたら何かが変わるかもしれない。


「ちょっと考えます……。返事は後に」


「ん、分かった。一応長谷田さんには伝えておくね」


「はい、お願いします」


 とりあえず行くかどうかは保留にした。

 私は森さんと別れて、買い物の会計を済ませる。早く帰ってごはんの支度をしようと外に出たら、ふと足を止めてしまった。


「メロ君……」


 噂すれば何とか。スーパーの出入り口でメロ君が立っていた。

 まるで私を待っていたかのように。


「どうも沢口さん。ユウナさんから聞きましたよ、アルスと喧嘩したって」


「……まぁ、うん……」


 やっぱりこの子も知っていたか。販売者なんだから当然と言えば当然か。

 私は思わず目を逸らしてしまうんだけど、メロ君の方は真っすぐこちらを見てきている。何だが気まずい。


「……聞くのもあれだけど、アルスの機嫌を治す方法ってあるのかな?」


「アルスは子供みたいなもんですからねぇ、そんな簡単に機嫌は治せません。時間経てば次第に収まってきますよ、きっと」


「そうかなぁ……」


「そういうもんですよ。なんせアルスはあなたの事を慕っているんですし、逆もしかり。ともかくアルスを信じてやって下さいな」


「…………」


 信じるか……今の私にそれが出来るかどうか。

 そもそも慕っているとは言うけど、本当に私でよかったのだろうか。もっと他に私の代わりがいる気がする。


「ところで沢口さん、ユウナさんと一緒に暮らしているんですよね?」


「ん? そうだけど……」


「って事は胸を触りまくり……ああいや何でもないです。決して羨ましいとかそんな事思ってませんよ、限りなくございません」


「思いっきり嫉妬しているじゃん……」


 そういえば胸の大きな女性が好きとか言ってたっけ。

 もしユウナさんがビランテに泊まってたら……危なかっただろうなぁ(貞操的な意味で)。


 


 ------------- 




 あれから考えた私だったんだけど、なんやかんやとパーティーに参加する事になった。


 こことは違う風景をアルスに見させて、それから美味しい物を食べさせたい。ハッキリ言えばご機嫌取りなんだろうけど、それでもアルスにはそうさせたかった。


 何でも一泊するという事なので替えの服を用意した。それと田舎は虫が酷いと思うから、虫除けスプレーとかも常備。


 もちろんユウナさんも連れて行く予定だ。一緒に住むんだから、そろそろ森さんに紹介しなければならない。同居人を追加する事にも手続きがある。


 そうして時が経って、その日がやって来た。


「おはようございます」


 アパート前に集合という事なので、アルスとユウナさんと一緒に向かった。

 そこには森さん姉弟、そしてあの人がいた。


「おはよう沢口ちゃん! 今日もいい天気だな!」


 長谷田五郎はせだごろうさん。今回の中心になっている年配の方だ。

 白髪の短髪、しわのあるけど元気そうな顔つき。もう六十近くなるらしいけど、背筋はピンと張っていて身体つきもいいと若々しい。


 本人いわく、ほぼ毎日ウォーキングやランニングで身体作りをしているからとか。


「にしても今日の沢口ちゃん、可愛いと来た! その服似合っているぞ!」


「は、はぁ……さすがに普段着はあれかなと思ったんですが」


「そうかそうか。で、そちらの女の子は?」


 長谷田さんがユウナさんに気付いた。

 森さんも会うの初めてなので「誰だっけ?」と首を傾げている。


「初めまして、ユウナです。つい先日、瑛莉とご一緒させていただいております」


「ほう、礼儀正しいとは最近の若いもんより偉いじゃないか。なぁ、大家さん」


「そうですねぇ。沢口ちゃん、見た感じ外国人っぽいけどいつ知り合ったの?」


「ああ、実家で会いましたよ。ユウナさんホームステイですので、私と一緒に暮らす事になりまして。学校も同じだからここの方が近いですし」


 そう言われるだろうと思い、あらかじめ用意した嘘を口にした。

 森さんは何言ってもコロッと信じちゃうし、特に不自然な点もないと思う。


「ふーん、ホームステイって事はアメリカの子かな? ドゥーユゥーライクゥ、スゥシィ?」


「……えっ? それはどういう……」


「あっ、まだ寿司の事分からないか。ごめんごめん」


 それ以前に英語の発音がアレでしたよ森さん。

 私が無言の突っ込みをした時、そばに誠君が近寄ってくる。


(……学校にあの人っていたっけ?)


(ううん、嘘だよ。本当はアルスと同じ異世界出身。アルスみたいなモンスターの医者なんだって)


(なるほど、そういう事。それよりもアルスのリュック、あの人が持ってるんだな)


(……うん)


 誠君の言う通り、アルスはユウナさんが持っている。

 仲直りしないと持つに持てない。理由があるとすればそれなんだろう。


「仲直り、出来るといいね」


「……そう……だね」


 ただ私は相槌を打つように頷くしかない。

 

 それから私達がとんでもない目に遭う事を、この時まで分からなかった。

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