第19話 アラン

 


 それは体育館というより競技場というべき建物だった。


 建設途中なのだろう、石造りで屋根が設置されていない剥き出しの造りは僕にコロッセオを連想させる。あるいは闘技場と呼んだ方が適当かもしれない。


 かつてマンバの参加した、球師になるための選考会が行われた会場も同じような造りだった。違うのはその規模だ。こっちがメインアリーナならあちらがサブアリーナといった風情で、この建造物を知った後ではあの会場は練習場にしか見えないだろうと思われた。


「かつてピエルナスは神事のようなものだった。今でもその名残はあるが、だいぶ競技としての性格が強い。私たちは競技としての面白さを追求しながら、しかし神を感じられるようなデザインをどうにか作れないかと思っている」


 ティムは僕たちに建設現場を案内しながらそう言った。電気のない世界で屋根付きの競技場はどれほど暗いことだろう。窓を非常に広く取り、一部はステンドグラス状にしておごそかな雰囲気を演出するつもりらしい。残りはロウソクの炎でも明かりとするのだろうか?


「暗さには対策が必要でしょうが、天候に開催が左右されないというのは素晴らしいですね」


 明るい表情でパウはそう言い、マルクは職人のような渋い表情で建物を睨んだ。


「屋内に観客をひしめかせるなら暑さ対策も必要となりそうですね。風の影響を受けてもいいなら、窓というより側面や、あるいは天井を吹き抜けのような形にした方がいいのでは?」


「天井を吹き抜けにしたら屋根を付ける意味がないのではないか、マルク?」


「いいえティム様。屋根は客席にさえ付ければ良いのです。これでたとえば雨天時も観客に害はありません」


「球師が濡れようと関係ないと?」


「かえって客は喜ぶかもしれません。雨に濡れながら必死で戦う男たちの姿は感動を呼ぶことでしょう」


「確かに吹き抜けなら明るさも確保できるな。面白い考えだ。しかし、床も張るのだ。おそらく濡れたら滑りやすくなりすぎて、とても試合にはならないだろう」


「は、下は土や芝ではありませんでしたか、それなら雨は厳しいですね。失礼をいたしました」


「いや、いい。これからも何か思いついたら言ってくれ」


 マルクは深く頷き、それを見たティムは満足そうに微笑んだ。昨夜のディスカッションでマルクとティムはある程度打ち解けられたらしく、人見知りの強そうな大男が自主的に意見を述べられるようになっている。


 会話自体はパウの方が上手なのかもしれないが、議論で鋭い意見を述べるのはマルクの方なのかもしれない。村の幹部としてはなかなか良いコンビかもしれないな、と意見を出し終わったマルクに代わって世間話を続けるパウを見ながら僕は思った。


「床は今から張るところだ。もう準備は整っている。柱を用意して、君たちに借りたゴールを設置してみるとしよう」


「ひょっとして今日中に試してみるのですか?」


「もちろんそうだ、ピエルナスのための工夫は球師に検分させなければ良いも悪いもわからないだろう。従来の方式のピエルナスを行った後、数名コアとなるメンバーを選んでこの籠式のピエルナスを試させるつもりだ」


「マンバはコア・メンバーに含まれますか?」


「もちろんだ。彼はこのゴールを作成したベスの村出身者で、既にいくらか慣れているだろう? 経験者の意見は貴重だ」


 ティムの合図で床用の木材が競技場へと運び込まれていく。それを眺めながら、新しい様式のピエルナスのコア・メンバーのひとりに兄が選ばれた少女は満足そうに頷いていた。


「ところでこの籠式のピエルナスだが、もし採用することになったら何か特別な名を付けたいか? 通るかどうかはわからないが、発案者である村の意見は聞いておこう」


「発案者は村というよりこの男でございます。ミノレ、何か希望はあるか?」


 村長代理の金髪の男は僕に話題を振ってきた。これは社交辞令のようなもので、固辞するのが大人としての正しい振る舞いなのかもしれないなと僕は思った。そういう命名権は村の長か、あるいは村の帰属先である街の責任者にふさわしいものである筈だ。さらに、手のピエルナスが特別な名前を冠していない以上、籠のピエルナスも特別な呼称は付けない方がいいのかもしれない。


 しかし僕は大人ではなかった。そのため少年ミノレとして、もっともふさわしいと思う呼び名を伝える。


「バスケットボールと呼ぶのが良いと思います」


 驚いたような顔を見せた後、ティムは「バスケットボールか、なるほど」とその響きを吟味するようにあご髭を手の平で強く擦った。


○○○


 今回の集まりは強化合宿のようなものらしい。


 年に1度行われる国を挙げた大会には各領地ごとに作られたチームが集い、血で血を洗うような激しい争いが繰り広げられるのだそうだ。当然そこには共通したルールのようなものが存在し、そのルールの下に行われた競争の結果がその後行われる領主会議の発言権にも関わってくることになる。ただのスポーツというには影響が大きすぎることが僕でもわかった。


「それで、この国共通のルールって何なの?」


 観客席に並んで座った僕はパウにそう訊いた。選考会のときと同じ座席だ。向かいが来賓席のようになっており、そこにはトランキライザーとその従者たちが座っている。


 公衆の面前だ。クロルが気安く振った手に応える動きはさすがに大きなものではなかった。


「俺たちが普段しているピエルナスが今年の共通ルールのものだ」


 ベスの村の者の中でもっとも世間に通じているであろう村長代理の男はそう言った。今年の、という言い草が僕の気にかかる。


「今年の? ルールって毎年変わるんだ?」


「必ず毎年変わるとは限らないがな。ルールの調整は領主会議で行われる。そこではどの領主も発言権は同様にあるとされてはいるが、まあ大会の成績が良い者の声が大きくなるのは当然だろう。あとは領地間の力関係とかもな。だいぶ前だと、足でやるピエルナスが共通ルールだった時代もある筈だ」


「へええ。革命的な変化だね」


「他人事だな? そんな革命的な変化を再びもたらそうとしているプロマジンの、その発案者なんだぞお前は」


「あいにく記憶がないんだよね。しかも僕は子どもで責任能力がない」


「都合のいい話だな」


 わざとらしく肩をすくめた僕は呆れ顔のパウと顔を見合わせ笑った。


 じきに練習がはじまった。体を温めるための準備運動が施され、ドリブルやパス、シュートの練習が行われる。そこまで技術レベルが高くないのに僕は気づいた。


「言っちゃなんだけど、そんなにレベルが高くはないね。ひょっとしたらこの中でマンバが一番上手くても不思議じゃないくらいだ」


「マンバが優れているのは確かだな。ほかのレベルは何とも言えない」


「立場があると難しいかもね。でもそうか、レベルが高かったら定期的に選考会をやる必要なんてないもんね」


「うるさいな、黙って見てろよ」


「はあい」と僕は言った。


 実際マンバのプレイは秀でていた。ひとつひとつの動作の精度が違う。その上、練習に参加している者たちの中でもっとも熱心に取り組んでるのだ。立派なものだと僕は思う。


 同時に羨ましさのような感情が僕の中に湧き上がる。今のマンバはおそらく努力自体が喜びとなっているのだろう。あらゆるエネルギーを総動員してひとつの事柄に取り組める対象は、誰にでも簡単に与えられるものではないのだ。


 時刻を知らせる鐘が鳴る。ぼんやりその音を聞いていると、サブアリーナの規模の客席に続々と観衆が入って来ているのに僕は気づいた。


「なになに? 何かはじまるの?」


「鐘が鳴った後の練習は試合形式のものになる。純粋なピエルナス好きたちや、自分の投資の出来を確認したい大人たちが集まるのさ」


「投資?」


「球師の給料は税金から出ている。ピエルナスの大会の結果は領主会議にも影響を及ぼす。当然領主会議で話すのはピエルナスのルールについてだけではないからな、興味のある納税者が熱心に見るのは不思議なことではないだろう?」


「何というか、この国はピエルナスを中心に回ってるんだね」


「そうだよ。だからこそ、そこにベスの村が食い込めるというならあらゆる努力は惜しまない」


「パウとマルクが熱心にバスケットゴールを作ったり、こうして一緒に街まで来たりする理由がわかってすっきりしたよ」


「それはよかった」とパウは言った。


 どうやら明確にチームのようなものが決まっているわけではないらしい。10人余りいる球師たちから4人2組の計8人がピックアップされ、片方の4人が目立つ赤い布を腰に巻いた。チームを判別するためのものだろう。


「あれは誰だ? 見ない顔だな、街の者ではないのか?」


 増えた観客のひとりが赤い布を巻いたマンバを指さしている。あれはベスの村のマンバですよと教えてやりたい衝動が僕の中に湧いてくる。街の者ではありませんが、おそらくあなたの応援する選手たちのほとんどより実力がありますよ、と。


「上手いのかな? 早速アランに付くらしい」

「守備だけ頑張ってくれってやつなのかもしれないな」


 彼らの記憶にその名を刻むのはマンバの仕事だ。僕がやることではない。僕はそれより彼らの言った、アランという名が気になっていた。


 守備側のチームに配属され、バスケで言うところのトップの位置で守備に当たるマンバと対峙している小柄な男のことだろう。確かにこれまでの練習の中でもその技術の高さは見て取れていた。


「アランって聞いたことがある気がするんだけど、有名な選手なの?」


 小声でパウにそう訊くと、「たぶんプロマジンで一番有名な球師だよ」と村長代理は簡潔に答えた。僕はどこでその名前を聞いたのだろうと記憶を辿る。ピエルナスの話題を日常会話に挙げる相手といったらまず思い当たるのはマンバだ。彼から聞いた名前だろうか?


 その答えはすぐにわかった。


 おそらくメンバーの中でも1・2を争う小さな体に似つかわしくない、だらりと長い腕をしたアランはゆっくりとボールをついていた。一定のリズムで弾む深緑のアルマジロはどことなく上機嫌そうな印象さえ僕に与える。


「いくぞ」とでも宣言したのだろうか? アランのドリブルのリズムは変わっていないが、マンバの雰囲気に緊張感が増していくのが僕にはわかった。


 スピードの急激な上昇に対応できるよう足を地面に擦りつけるようにして警戒度を挙げている。重心をやや下げ、アランを睨みつけるようにして対峙する。


 アランは右手1本でゆっくりとついていたボールを左手へと渡し、低い位置で右手と左手の間を行き来させた。異常といえるほどに腕が長いのでほとんど地に這うような位置でのドリブルとなっている。


 ゆっくりとしたスピード。マンバの反応を確かめるように、アランは丁寧なボール使いをしている。足が動いた。


「クロスオーバー!」


 その技を見た瞬間、僕は思わず身を乗り出していた。全身を使った理想的なクロスオーバーだ。左から行くように見せ、切り返して右から抜けるというだけのものだが、できる奴がやれば必殺技となり得る技術だ。わかっていた筈のマンバはたった一度の切り返しで簡単に付いていけなくなっていた。


 体勢の崩れた状態で1歩分の距離を離されれば、それはディフェンスとして何の役にも立たなくなることを意味する。アランは余裕たっぷりといった様子でピエルナスを右手に掲げ、とても丁寧にシュートした。優雅とさえいえそうな挙動だが、おそらくヘルプ・ディフェンスが決して間に合わないタイミングを熟知しているのだろうと思われた。


 クロスオーバーと呼ばれる技術の骨子をマンバに教えたのは僕だ。その際彼から名前を聞いていたのを僕は思い出していた。


 アラン。誰に原理を教わるでもなく、自分ひとりの才能とひらめきで必殺技を手に入れていたその男は、観客を煽って賞賛の波にその身を委ね続けていた。


 

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