第17話 再度プロマジンの街へ

 

 美しい仮説が醜い現実に殺されてしまうというのが科学の悲劇の最たるものだ。


 そんなどこかで誰かが言ったのであろう言葉が僕の頭に浮かんでいた。ルーチンワークの肉体労働をこなしながら、頭はゴムの性状について考える。いくつか試してみた僕の実験はことごとく失敗に終わっていたからだ。


 クロルを説得して鍋の湯煎でゴムの切れ端を加熱すると、やはり柔らかくなることが判明した。これは思った通りの結果だった。


「急激に熱するんじゃなくて、ゆっくりじわじわと加熱するのがコツなんだ。だから夏に暑い日が続くと柔らかくなってしまうというわけさ」


 鍋と僕の所有主である少女に向かって僕は得意げにそう言った。クロルはフムフムと説明を聞きながら、鍋にゴムの悪影響が残存しないかどうかに本当の関心があるように僕には見えた。


 金属製の調理具は貴重なのだろう。ひょっとしたら意外なほど高価なのかもしれない。しかし仮にゴムの成分が水に溶けだし鍋に吸着しようとしたとして、それを洗って取り除けないことはないように僕には思えた。ゴムの主成分は炭素と水素だ。これがたとえば臭いとして残ってしまうようならば、これまでの調理過程で様々な臭いが地層のように折り重なっている筈なのだ。


 そのような理論武装を心に施し行ったミッションだったが、結果は引き分けといったところだった。1勝1負だ。鍋に臭いが残ったりはしなかったという部分では勝ったといえるが、湯煎で柔らかくしたゴムをくっつけひとつの塊にするという試みはあえなく失敗に終わったのだ。


「これは駄目だね」とクロルは言った。


 十分柔らかくしたふたつのゴム片をぐいっとくっつけ冷ましてみたのだ。熱を帯びている間はあたかも元々ひとつであったように振る舞っていた彼らは熱が冷めると容易に離れた。付き合いたての時分には「ずっと一緒よ」なんて言ってた彼氏彼女が半年ともたずに別れてしまうようなドライさだ。僕は何とも言えずに押し黙る。


 溶けるような状態まで加熱する必要があるのだろうか? しかし表面がベタベタになるまで熱したゴム片たちを引き合わせてみたところで結局うまくはいかなかった。僕の両手がしばらくゴム臭くなっただけである。


 ふたつをひとつにできない時点で展開図のように作ったゴムシートを貼り合わせて球体にするという試みは完全に不可能だ。中をくり抜いて穴を塞ぐという手法も無理だろう。僕の計画は容易に暗礁に乗り上げた。


 もうひとつの試み、ゴム自体の性質を変化させるというのも遅々として進んでいない。こちらは何らかの化学反応を施しゴムの熱に対する安定性を向上させるという方向性自体は固まっているのだが、具体的に何をすれば良いのかというアイデアがまったくないのだ。


 僕の持っている化学の知識は受験のために覚え込んだものだけで、元々興味があったわけでもないし実験の授業や講義に積極的に取り組んできたわけでもない。そんなものを臨床に応用しようなどと考えている方が横着な態度なのかもしれない。


 ボールを改良しようという考えは保留にした方が無難なのかもしれない。時間があるときにあれこれ考えるのは構わないだろうけれど、限りある1日の時間を試行錯誤に費やすのは得られる見返りがあまりに少ない。明らかに貢献できる仕事がほかにあるのだからそちらに注力すべきだろう。


 宙に浮かんだゴールの作成はベスの村にとっても急務だった。


○○○


「こんな感じでどうだろう」


 支柱に繋いだバスケットを見上げ、パウは並んだ僕とマンバにそう訊いた。パウの指示でマルクが丸まったピエルナスをゴールへ投げ入れると、底の開いた籠をボールが潜り抜け、その連続した接触により籠の側面が音色を奏でる。確かにュートの成功を祝福しているように感じられた。


「すごい。なんというか、すごく豪華だ」

「鈴はありあわせのものだけどな。ゴールを通らず直接ぶつかった場合はこんなメロディにならないから、シュートの成功・失敗が音でわかるというわけだ」


 速く、ループの低いシュートがリングを通らず直接ゴールネットをかすめる場面を僕は頭に思い浮かべる。慣れていなければパッと見ゴールをしているように見えるものだが、音でそれが判別できるというならそれは素晴らしい工夫だろう。


 マンバは自分のピエルナスを球形に弾ませ、手に馴染ませるように軽くハンドリングを行った後、ふわりとゴールへ投げ入れた。シャラランとシュートの成功が祝福され、浅黒い肌の男はニヤリと笑う。


「いいんじゃないか。少なくともただの籠よりずっといい」


 ピエルナスは開いた底から自由落下し、マンバはそれを拾い上げた。


 僕はマンバのシューティングがずいぶんと滑らかになっていることに驚いた。シュートタッチが柔らかいのだ。この短期間に、木工職人としての仕事もこなしながら、この男はいったいどれだけの修練を積んでいるのだろう?


「結局柱は木製なんだね。これってどうやって固定してるの?」

「マルク、固定の仕方が知りたいってよ」


 パウがゴールのところにいるマルクに声をかけると、熊のような見てくれの巨漢がこちらにゆっくりと近づいてきた。パウもマルクも同じくらいの長身だが、明らかに弟の方が太い筋肉を伴っている。彼ら兄弟の間で肉体労働担当なのかもしれない。


「まっすぐ高い支柱で頭に籠を置いてるからな、ちゃんと固定しないとすぐに倒れる。最初は岩石で足場を固めようと思ってたんだが、用途を考えるとあまり硬いものを足場に置くのは危険だからな、結局埋め込み式にした」


 ある程度の深さまで硬い地面に穴を掘り、そこに返しのようなものを作って支柱の基礎部分を突き刺しているらしい。その基礎部分に嵌めるようにして柱を掲げ、その柱にまた籠を付ける。組み立て式ということは前回聞いて知っていた。


 しかし、なかなか考えられた造りをしている。柱部分を挿げ替えれば容易に高さを調節できるし、籠部分だけを改良することもできるというわけだ。


「木製なのは金がかかるからだ。だから使い方によっては柱が折れることはあるかもしれない.。しかし固定はちゃんと考えてしてるから、基礎から倒れたりはしないと思うぜ」


 マルクは誇らしげにそう言った。「大体の形がこれでいいならしばらくこれでプレイしてみて、改めて依頼されたら金属製での作成も考慮するつもりだ。もっとも、その場合はうちじゃなくて街が作ることになると思うけどな」


「いいだろう。うちでの活動の報告はいつするんだ、マンバ?」

「決められてはいないが、そのうちピエルナスの試合があるからな、そのとき時間を取ってもらえるんじゃないかと思っている。成人式より前だろう」

「球師招集の連絡時に呼び出されていなかったら俺から確認しておこう。球師のお前と発案者のミノレ、そして責任者の俺が行くことになるだろう」

「おれとこいつが行くならクロルを連れて行ってもいいだろうか? きっと死ぬほど騒ぐと思う」

「クロルか。――まあいいだろう」


 肩をすくめてパウは許可した。クロルは成人式に向けた何かを街でするのかもしれないし、あるいは成人式自体が街に出向いて行われるのかもしれない。だとしたら見ておくべきものもあることだろう。


 しかし、と僕は考える。このゴールを作成するのにもっとも大きく関わっているのはマルクであるように僕には見える。マンバは球師としての練習に自由時間のほとんどを費やしている様子だし、パウは支柱の固定の仕方も訊かなければわかっていなかった。


「どうした、何か意見でもあるのか?」


 そんな僕の様子に気づいたのか、マンバが僕にそう言った。「あるなら言え、発案者」


「ええと、そうだな。クロルを連れて行くくらいなら、むしろマルクを連れて行くべきだと思ってた」

「ほう。何故だ」鋭い視線でパウが訊く。

「だって実際に工夫を凝らしてゴールを作ったのはたぶんほとんどマルクなんだろ? だったらその本人がいた方が、訊かれた質問に答えやすいんじゃないかと思う」

「もちろん設計や意匠は十分理解して向かうつもりだが?」

「必要ないなら別にいいけど、報告を受けて理屈を把握してるのと、現場を知っているのとでは返答の内容が結構違ったりするんだよね。こちらが準備した質問とは全然違うところを訊かれたりして、そもそも質問の意図が想像つかなくなったりするかもしれない。まあ大丈夫ならいいんだけどさ」


 自分の実務経験から話が合わずに困った事例を思い浮かべながら、僕はパウにそう言った。特に現場レベルの知識がない担当者に問い合わせた場合、こちらの状況が正確に把握されず、わかる者に繋いでくれればゼロ秒で答えが返ってくる内容の質問をたらい回しにされることは決して珍しいことではない。しかしおそらく僕たちは、お偉い様方の質問に対して逃げることを許されはしないのだ。


 自分で言った通り、責任者は村長の長男であるパウなのだろう。僕には何も責任はない。現場担当と言えるマルクを連れて行くべきだとは思うけれど、彼らの今後の予定を僕は知らないことだし、実際にそれが可能かどうかはわからない。訊かれたから思っていたことを言っただけだ。


「確かにそうかもしれないな」


 職人として何か思い当たる経験があるのかもしれないマンバはそう言った。「どうする村長代理?」


 パウはしばらく考えた後、「連れて行くことにしよう。マルクはスケジュールの調整を」と絞り出すようにして言った。


○○○


「馬車だ!」


 僕とクロルは同時に興奮の声を上げた。


 幌付きの豪勢なものではないが、それは確かに馬車だった。荷馬車に分類されるのかもしれない。人力では引けない大きさの台車が1頭の馬に繋がっている。その台車にはこの村で作成した鈴付きで底の抜けた大振りの籠が乗せられていた。


 僕が荷台のバスケットを見ているのに気づいたパウはニヤリと笑った。


「基礎部分を掘り起こすのは大変で今後に響くし、柱自体は単純なただの木だからな。持って行って見せるのはこの籠だけでいいだろう」

「あたし馬車ってはじめて! ねえパウ、これ、あたしたちも乗って行けるの?」

「そのつもりだよ、クロル。もっとも街道までは歩いて行かなければならないが」


 僕はプロマジンの街までの経路を頭に浮かべる。舗装を施された主要道路に出るまでの道路は確かに貧弱なものだった。その乗り心地を想像するに、歩いて行く方が疲労を考慮しなければかえって快適かもしれない。


「手綱はマルクとマンバが交代で取るように。それでは出発するとしよう」


 馬車の操縦をしなければならないマルクだけが荷台の御者席のようなところに乗り込み、僕らは馬車を囲むようにして歩いて進んだ。荷物を荷台に置けるため手ぶらで歩くことができる。パウが用意してくれたドライフルーツのようなものを手に摘み、おしゃべりで過ごす歩行はとても楽しい時間となった。


 やがて街道へと差し掛かる。僕らは荷台へ乗り込み、馬が僕らを引いて歩き出す。カポリカポリと滑らかに進むものだと思っていたら、予想外の揺れの大きさが僕らを襲った。


「馬車ってこんなに揺れるんだ?」

「道が平らじゃないからな。これでもずいぶん良くなった方なんだぜ?」

「大きくなったら御者をやってみるといい。村を出たところの土の道はこんなもんじゃないからな」


 大人たちはそれぞれ経験を積んでいるらしく、僕らを笑ってそう言った。僕と同じくはじめて馬車に乗るクロルは辟易としている。発言が如実に減った。馬車に酔っているのかもしれない。ある程度の乗り物を経験している僕より揺れには弱いことだろう。


 木製のタイヤでサスペンションなく動くので、路面状態がダイレクトに反映されるのだ。僕たちの体は頭が急激に揺れないように自然と調節して動いてくれる。かえってその恩恵を実感しながらの移動となった。


「これじゃあ自分で歩くのとどっちが楽だかわからないな」

「慣れればそれなりに楽になるさ。せいぜい吐かないように気をつけるんだな」


 平気な顔をした金髪の男は肩をすくめてそう言った。


 結局のところ、プロマジンの街に到着するまでの間に僕の体が馬車移動に順応することはなかった。歪に渡された橋を渡り、やがて街の門に辿りつく。荷馬車自体に通行証が備え付けられているのか顔パスなのか、門番に咎められることなくスムースに門をくぐることができた。


 僕にとって2度目のプロマジンの街である。パウが僕らを見渡し今後の予定を説明していく。


「領主案件でのお招きという形になっているから今夜の宿は用意され、晩餐に招待されている。馬車を置いたら到着の報告をし、挨拶に伺おう。マンバは明日が大事だから適当なタイミングで中座できるようにするつもりだ。ゆっくりと休んでくれ」

「それは助かる」

「晩餐に招待って、俺たち領主様の食事に同席するのか?」

「ひょっとしたら領主様はいらっしゃらないかもしれないが、まあ代理の方はいるだろうな」

「恐れ多い。付いて来なきゃよかったぜ」

「まあまあ、領主様はいい人だったし、ご飯もとっても美味しかったわよ?」


 あの日のご馳走を思い出している様子でうっとりとクロルが言った。マンバが苦笑交じりに肩をすくめる。


「お前らは子どもだからな。今回は仕事の話で、大人の話だ。いい人でいてくれるとは限らないぞ」

「あまりマルクを怖がらせるな、マンバ。基本的には責任者である俺が話すことになるだろうから、そこまで心配することはないだろう」


 しかしながら、往々にして予定通りには終わらないのがお偉いさんとの会合である。前回僕らは何も予告されることなく領主であるトランキライザーといきなり接することになった。今にして思えば恐ろしい話である。


 そんなことを思い出しながら、僕は大人たちに付き従って行動した。少し歩くうちに馬車の揺れの影響も消え失せ僕は元気を取り戻していた。一応新しいピエルナスの形の発案者ということで同行させられてはいるけれど、僕に対して過度な期待はしていないようで、僕は判断を迫られることなく指示に従って行動してさえいればよい。何とも楽ちんな話である。


 しかし、ある意味予想通りというべきか、僕にとっては意外な展開が待っていた。


 晩餐会にはトランキライザー自身が来ていた。それは良い。彼の脇には先日もお世話になったトニーと共に、見たことのない男が立っていたのだ。見たことのない男であるにもかかわらず、僕にはそれが一目で誰だか直感的に理解できた。


「ミノレ」と僕を見るなりその男は言った。


 その声が耳に届くなり、何とも言いようのない暖かい気持ちが心の中に広がった。何と返答したら良いものか、僕は混乱したようにわからなくなっていた。


 沈黙は長く続かなかった。僕の意志を必要とせず、僕は自然と発言していたからだ。


「父さん」と僕は言っていた。

 

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