第16話 ボールとゴール
「おい思い出したか? お前の意見で作ったんだぞ」
珍しく焦りの表情を浮かべ、マンバは僕にそう言った。
僕の視線は宙に浮かんだ籠に釘付けになっている。それほど大ぶりでないバスケットは柱のようなもので固定され、ボールを投げ入れられるのを待っているように僕には見える。僕はマンバへ頷いて見せた。
「ボールを」
一度地面に弾ませ丸まったピエルナスが手渡される。ゴールの位置は子どもの体躯をした僕からは大きく見上げなければならない高さだ。片手のシュートではボールが届かない恐れがあったため、女子バスケのように両手で突き出すようにボールを放る。放物線を描いた深緑のアルマジロはざっくりと籠に収まった。
シュート成功だ。久しぶりに味わう何とも言えない快感が僕の口元を緩ませる。
「さすが発案者。上手なもんだ」とマンバが言った。
「僕はあの時どんなことを言ってたの?」
「なんだ、思い出したわけじゃないのか?」
「まったくね。でも僕が言いそうなことだとは思う」
「そうだな、お前はピエルナスについて色々語ってた。領主様やトニー様が面白がって聞いてくれていたからな」
競技としてのピエルナスは現在過渡期といえる状態で、ルールや仕様の整備が十分済んではいないらしい。その試行錯誤のプロマジンにおける最高責任者が僕の父親であるティムであり、トニーもそれに関わっているのだという。街の事業にあたるため、当然トランキライザーもその内容を吟味し決裁を行わなければならない。
この国におけるピエルナスの占める立ち位置は思いのほか重要なものらしく、その出来栄えが領主としての評価を大きく左右する場合もあるらしい。
「実はおれもよくは知らなかった。だから球師は大切にされるんだろうな」
「鼻が高いことだね」
「名誉だ。――覚えてないようだから教えてやるが、お前は以前からピエルナスに興味を持っていたらしい。しかし今では記憶がないだろ? だから知識はあるけどそれをすべて排除して考えられる、きわめて特殊な状態にあるらしい」
「なるほどね、そうかもしれない。それって誰が言ってたの?」
「トニー様だ。今のお前の、知識はあるが先入観がないという状態はアイデアを出すのに最適だと言っていた。おれにはよくわからなかったけどな。だからお前の思いつきでこんなものも作ってみようとなったわけだよ」
「素晴らしい試みだと思うよ」
空中の籠に収まったままのボールを見上げながら、僕はしみじみとそう言った。
マンバは肩をすくめて長細い棒のようなものを取り出した。それを使って籠を下から優しく突き立て、収まったピエルナスを外へと取り出す。じわりと抜け出た深緑のアルマジロは地面へと落下した。
「それって得点するたび毎回するつもり?」
「はあ? お前の考えだろう」
「そうなんだろうけどさ。でも、面倒臭くないかい」
「とても面倒臭い。改善できるというならすぐにしてくれ」
「そうだね、それじゃあ籠の底を抜いちゃおうか。そうすればピエルナスは自分で降りてきてくれる」
「それだと入ったかどうかがわかりづらくないか?」
「入った場合、明らかにわかるようにすればいいんだ。それに、底があったら入ったボールが跳ね返って出てきたりするんじゃない?」
「確かにそれは考えられる」
フムフムとマンバは僕の意見を聞き出した。しばらくそうして話していると、村の男たちが僕らの会話に加わるために1人また1人と寄ってきた。ピエルナスが街の事業であるということは、その街に帰属する村の事業でもあるわけだ。僕とマンバだけで決められることにはおそらく制限があることだろう。
「マンバ、話には聞いてるけど俺たちは彼と話すのはじめてだ。ちゃんと紹介しろよ」
「そうだな。ミノレ、こいつはパウでこいつはマルク、村長の息子たちで、おれにとってはピエルナス仲間だ。このゴールの設計や作成もおれたちでした」
「よろしくな、ミノレ」
村でマンバやクロル以外の人とほとんど接しない僕にとっては緊張の瞬間だったが、概ね問題なく済ますことができたと言えるだろう。僕はパウとマルクと握手した。
そして簡単な自己紹介を互いに交わす。金髪に近い明るい髪をした兄がパウでやや暗い茶髪がマルクだ。背はどちらも高いがマルクの方ががっしりとした体躯をしている。
「それで、何をどうしたいって?」
籠の付いた柱は組み立て式になっているらしい。地面に備えた基礎部分から支柱を抜き取りマルクは僕にそう訊いた。
「籠の底を抜いてゴールしたピエルナスがそのまま落ちるようにできるかな」
「ふうん。ま、いちいち取り出すのは面倒だもんな。側面だけになると強度が少し不安だが、補強をすれば大丈夫だろう」
「あとはそうだな、僕はどんなルールにしようと言ってたの?」
「なんだあ? 自分で言ったことなんだろ」
「実はこいつはその時酔っ払ってて、何を言ったか覚えてないらしい。迷惑な話だぜ」
「悪かったって。でも酔っ払ってでもないと領主様にベラベラ自分の考えを話したりはしないだろ」
「それはそうだな。それで領主様から直々に依頼を受けられたわけだから、まあよくやったということにしといてやろう。以後気をつけるように」
「はあい」と僕は言った。
そしてマンバは僕の提案したピエルナスの新しい形を話した。
「ゴールを空中に設置する。それにピエルナスを投げ入れるような競技にすることで、これまでの手のピエルナスと同様に勢いよりも正確さをシュートに求めるようになるとお前は言っていた。そして空中にゴールがあることで遠くから投げさせる必要がなくなるから不可侵エリアを撤廃できる。よりドリブルでの抜き合いに興奮が生まれるようになるんじゃないかという話だったぜ」
「まあわからない話じゃないな。今のルールより明らかに盛り上がるかどうかは別にして」
「パウもそう思うか? 正直なところ、おれもはじめはそうだった。トニー様もそのようだったぜ。一理はあるかもしれないが、すぐに試してみようとはしなかった」
「へえ。じゃあなんで特命が下されたんだ?」
「それはこいつがティム様の息子だからだ。というのは冗談で、話に続きがあったからだ」
僕は現在の、手で行うピエルナスの問題点を述べたらしい。それを現在運用しているお偉い様方に向かってだ。とてもおそろしい話であるが、幸いなことに彼らは聞く耳を持ってくれたとのことである。
僕の考えるピエルナスのもっとも大きな問題点はシュートに勢いがないことだった。この生物に強い衝撃を与えたくないため、足で蹴ることを止めさせ、シュートに正確さを求めるルールを設定した結果なのだが、それは同時にダイナミックな興奮を抑制することになる。
「豪快なプレイはやっぱり見てて楽しいからな。味が損なわれるからあまりやらないが、やっぱり強いシュートを入れると観客は沸く。だからついついやりすぎてしまうのも論点になりやすいところだ」
金に近い色合いの無精ひげを撫でながら、パウは頷きそう言った。
「だからこいつはゴールを空中に置くと言ったんだ。高さをうまく調節して、ジャンプ力のある大人が頑張れば直接ボールを叩きこめるようなものにする」
「なるほど。力強く動くのはボールじゃなくてプレイヤー側というわけか」
「おいちょっと待ってくれよ。直接人もぶつかってきたりするのか? だったらかなり頑丈な造りにしとかないと壊れちまうぞ」
「だな。試作品は木でもいいけど、金属製にすべきかもしれない」
「そんなの村の予算でできるのか?」
途中からは僕をほとんど無視して大人たちの間での討論が繰り広げられた。立ち話にヒートアップする彼らと僕は目線の高さがそもそも違う。意見を求められない場面で彼らの論争に割り込むというのはあまりに難しいことだった。
僕の目線の先ではすっかり刺激から遠ざかったピエルナスが四足獣の形態でもそもそと動いている。
「ねえ、もうちょっと遊んでみてもいいかな」
機会をみて僕はマンバにそう言った。
かつては発案者の意見を聞くスタンスだった男は曖昧に頷き僕にピエルナスを提供する。僕が彼を地面に打ちつけボールの形に整えていると、「やっぱりここにいた!」と高い声が耳に届いた。
クロルだ。僕たちを確認した少女がパタパタと駆け寄ってくる。その黒髪に白い飾りが揺れているのに僕は気づいた。
「ボールはできたの? 家の中、すごい臭いだったけど」
「実は失敗したんだ。直接火にあてたのが良くなかったのかもしれない。今後に期待って感じだね」
「あらそう。それは残念だったわね」
僕は肩をすくめてピエルナスを丁寧に扱い、ボールをゴールへ投げ入れた。簡単なハンドリングからのレイアップ・シュートの形だ。片手ですくい上げるように投げるものはスクープショットと呼ばれることもある。
僕の手を離れたピエルナスは放物線を描いてゴールの籠へと収まった。僕の体躯自体が小さいため、高い弧を描かせたつもりだったがギリギリやっとで入ってくれた。
「やるじゃん」
「どうやら僕は考案者らしいからね」
「だからって、これ作って使うのははじめてなんでしょ? ま、自分で考えたものだったらなんとなく良い方法も考えられるか」
ふんふんと勝手に解釈を進めながらクロルは僕にそう言った。そして彼女は思い出したように「それより何か言うことがあるんじゃないの?」と頭を小さく振りながら言った。その動きに従って黒髪が揺れる。黒一色の頭部に咲く白い髪飾りはコントラストが効いていて、とても見栄えがするものである。
「それ、僕ははじめて見たけど、とても似合ってると思うよ」
「ふふん、そうでしょ。この前街で買ったのよ」
「白いと汚れに注意だね。せっかく黒い髪に白い飾りが映えるんだから、汚れちゃったらもったいないよ」
「そうね」とクロルは髪飾りを取り、丁寧に片付けた。
髪留めとしての役割も担っていたのだろう。クロルの髪がはらりと垂れた。普段見ることのない髪形の変化に僕は少なからず動揺する。クロルは満更でもない得意げな表情をしていた。
「それで、使ってみた感想は?」
大人の話し合いを終えたマンバが僕からピエルナスを取り上げてそう訊いた。シュートフォームもクソもない、ただ放り投げたという感じのフォームで投げられたボールは籠に当たって入らず落ちた。
「なかなか良いんじゃないかな。マンバはどう思う?」
「意外と難しいもんだな。この重さと大きさのものを狙って高く投げることなんてないから、良い投げ方がまずわからない」
次にマンバは僕がやったように両手で押し出すようにシュートした。今度は成功。「こっちの方がいいのか?」首を傾げながらピエルナスを扱っている。
僕から彼らのシュートフォームに口出しをしようというつもりはなかった。確かに僕はシューティングに関する理論のようなものをある程度は知っている。知り合いだった有能なスポーツライターの受け売りによるところが大きいけれど、たとえばゴールにボールが落ちていく角度は45度よりやや大きい程度が理想的であることなどだ。
これは知識の独占を続けたいというよりも、情報を与えずこのまま見守った場合にこのピエルナスという競技がどのように変化していくのかを知りたいといった方が僕の本音に近いだろう。僕の知っているバスケットボールを完全に再現する必要はない。自然と近づいていくかもしれないし、あるいはまったく別の方向に変化していくかもしれない。
縛りのようなものを自分に課すつもりはないが、経過を見るという観点からは介入が少ないほうが面白そうな気がするのだ。
現にパウやマルクとの話し合いではゴールをわかりやすくするためにバスケットに鈴のようなものを設置しようという話になっていた。ボールがゴールをくぐるたびに神からの祝福を感じさせるような音を奏でさせるのだ。なんともシュールな光景になりそうで、それを聞いた僕は思わず笑ってしまいそうだった。
どうなるか見てみよう。僕は深緑のアルマジロを宙に高く放り投げた。
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