第15話 バスケットボール
課題は控えめに言って山盛りだった。
今のところ僕が考えているゴムボール改良の方向性は大きくふたつだ。ひとつは構造上の改良で、もうひとつは性質上の改良である。前者はゴムを中空の形に成形すること、後者は材料であるゴム自体を熱変化に強くすべく何らかの加工を施すというものだ。
方向性は決まっているが、その実現に対する具体的なアプローチがろくに思いついていなかった。課題を山盛りにさえできていないと表現した方が真実に近いかもしれない。
「悩んでばっかいないでさ、何かとりあえずやってみようって気にはならないの?」
ルーチンワークをこなした後の昼食を一緒にとりながら、クロルは僕にそう訊いた。咀嚼を続け、「そうだねえ」と僕は気のない返事をするしかない。
「とりあえずこれ! ってのが思いつかないんだよね。ボールは幸い2個あるけれど、大きな失敗をするわけにもいかないし」
「確かに取り返しのつかないことはできないわね。じゃあ実際にするかどうかは別にして、今考えていることをあたしに言ってごらんなさいよ」
「そうだねえ」
気のない返事を続けながら、それほど悪いアイデアではないかもしれないと僕は考えた。考えを口に出すのは大切だ。何か助けを得られるかもしれないし、発言するという刺激とその自分の口上を耳にするという刺激で新たな何かを思いつく助けとなることはおおいににあり得る。
「このボールが重くて跳ねないのは中までぎっしり詰まってるからだと思うんだ。たとえば中身をくり抜くようにして、外側だけにすることができたら、軽くなるし弾むようになるんじゃないかと考えている」
「じゃあくり抜けば? 道具ならマンバに貸してもらえるんじゃないかしら」
「そういえばマンバは職人だったね。でも問題は道具じゃないんだ。くり抜いた後、そこを空気で満たして栓をしないとやっぱり軽くはなるけど弾まない」
「そうなの?」
「おそらくね。ボールが弾むには弾力っていう跳ね返す力が必要になるんだけど、それには中が詰まってないとだめなんだ。押し付けられて歪んだ形を元に戻そうとする力だから、ぺしゃんこに潰れるようだと何にもならない」
「よくわからないけど、中が詰まっていないと弾まないのに、そこから中身を抜こうとしてるの?」
「そうなんだ。中身を取り除くというよりは、空気と入れ替えようとしているわけさ。でもその後作業に使った穴みたいなものを塞がないと、入れ替えた中身がそこから出てきてしまうだろ?」
「そりゃあそうね。それじゃあ水筒の栓みたいなものを詰めるってのはどう?」
「なかなか難しいと思う。ボールが押しつぶされた場合にその穴の形も変わるからね。何かで栓をするにしても、柔軟な反応ができるものでする必要がある」
強力な接着剤があるのでもなければ固体の栓を活用するのは無理だろう。そんなことを脳の一部で考えながら、僕は思考を巡らせた。
困難に立ち向かう際に大切なのは勝利条件を見誤らないことだ。大目標を立て、それを解決するための小目標を掲げた場合にその小目標を達成するための苦悩を続け、いつしか手段と目的が混同してしまうことは珍しくない。
整理しよう。僕の今の勝利条件は中空の構造を作ることだ。そのためにはゴムの塊のような今のボールの“芯”のような部分を取り除く必要がある。しかしそれには取り除いた芯を通過させる穴のようなものが必要となり、それを何らかの方法で塞ぐ必要がある。それを栓でするなら固体ではなくこれまた弾力のある、ゴムのようなもので行うか、強力な接着剤のようなもので固定しなければならないだろう。そのどちらにも僕は心当たりがない。
加えて中をくり抜くというのも可能かどうかが怪しかった。言うのは簡単だがやるのはとても難しいことだろう。適切な一様の厚さの球体を成形しなければならないのだ。その厚さにムラがあればボールの挙動は不確かなものとなる。
「しかし、ゴムで蓋をするというのはひょっとしたら良いアイデアかもしれないな」
独り言のように僕は言った。「なになに何か思いついたの?」クロルが興味深そうに寄ってくる。
「穴を塞ぐためには蓋をすればいいだろう? たとえばその蓋を削り取ったボールの一部でするとして、やっぱりこれも何とか固定しなければならないんだ」
「そうね。でもどうやって?」
「それはマンバが教えてくれた。クロルも聞いてた筈だけど」
「あたしも? なにそれ全然わからない」
「このボールは暑いとどうなるって言ってた?」
「ええと、ぶよぶよに柔らかくなるって言ってたわ」
「柔らかくなった状態で隙間を埋めるようにねじ込んで、その後冷やせば硬くなる。これで固定できると思わない? 接着剤として使うんだ」
「なるほどね。――でも、そんなことが本当にできるの?」
「それを確かめてみるんだよ」と僕は言った。
○○○
与えられた必須の仕事を終えた僕は家でゴムボールを取り出した。クロルは成人式に向けた準備をどこかで誰かとするらしく、僕はひとりでお留守番だ。
使える道具はナイフが一本。巻き割り用の手斧や調理用の牛刀も使用を禁じられてはいないけれど、ボールの加工には大きすぎて使いづらい。何ならナイフも最適とは言えなかった。マンバに言えば何か工具のようなものを貸してくれるかもしれないけれど、一家の家計を担う職人が自分の道具を子どもに貸してくれるかどうかはきわめて怪しいところだろう。
ナイフを片手にボールを眺める。とても内部を上手にくり抜けるとは思えなかった。それに、そもそもゴムボールがそれなりに流通している世の中で構造的な改良にこれまで誰も取り組んでこなかったとは思えない。この難儀している挑戦は既に何人もが試みては諦めてきた、既に割に合わないことが証明済みの課題だったのではないかという疑惑が頭をかすめる。
どうやら弱気になっているらしい。僕は大きくひとつ息を吐く。
とても上手にできないだろうという予測の元、とりあえずやってみる度胸は僕にはなかった。水で口を湿らせ裏庭のある方角をぼんやり眺める。直接視認はできないけれど、マンバのピエルナスがいる筈の方向だ。
ピエルナスの体はどのような仕組になっているのだろう? ゴムボールを手にして痛感したが、あのサイズの生き物にしてはとても軽い部類に入るだろう。そして地面に跳ねる弾力と、極上の味を持っている。ピエルナスの外殻を想像しながらゴムでの代替を頭に浮かべる。それが実現可能と思っていたわけではない。しかし思いつきの助けにはなった。
温めたゴムは柔らかくなり加工することができるだろう。中身をくり抜くのではなく、加工可能になったゴムを元々中空の構造に作り上げてしまえば良いのではないだろうか? 元は四足歩行のピエルナスが折り畳まって球形になるようなイメージだ。厚さが一様の平面をゴムで作り、それを球形の展開図に成形し、熱を与えて冷まして成形するというのは満更不可能ではなさそうだ。
「いけるかもしれない」
頭の中で解決策が構築されていく興奮に口元が緩んでいくのが感じられる。僕はナイフを手に取った。
まず行うべきなのは実験だ。試行錯誤が可能な規模でトライアンドエラーを繰り返す必要があるだろう。僕はナイフで慎重にゴムのボールの一部を削り、平べったい小さなシートをふたつほど作成した。
「それで、それからどうするんだ?」
不意に声をかけられた僕は驚愕した。悪いことをしているわけでもないのに背筋が急激に伸びていく。
「なんだマンバか」
声の主を特定した僕はやっとのことでそう言った。「いるなら言ってよ」
「ここはおれの家だ、文句があるならお前が出て行け」
「それには返す言葉も見当たらない」
「それで、それを何に使うんだ?」
「とりあえず熱してみようと思う。熱で柔らかくなってって、なんなら溶けたようになるのであれば、こいつらがくっついて固まるかどうかを見てみたい」
「くっつく? そいつらが?」
「そうだよ。この断片をひとつにすることができるのであれば、芯をくり抜く必要なんかなくなるからね」
断片化させたゴムシートをいくつも繋ぎ、球形に揃えたところを想像する。最後の1ピースを小さくし、そいつを塞ぐ前に空気を中に詰めるだけ詰めてしまえば僕の望むような構造となるだろう。
串に刺したゴムの断片を炉の火に向けて当てながら、僕はマンバに説明した。どうせ行動が筒抜けになるのであれば意図や予定も含めて話しておいた方が面倒もかえって少ないことだろう。
僕の話がマンバにどこまで理解できたか知らないが、少なくとも頭ごなしに禁止されたりはしなかった。
「今日の仕事は終わりなの?」
「ひと区切りついたからな、お前の話が面白くなければ戻って続きをするつもりだったが」
マンバはそう言い水筒片手に腰を下ろした。「それがどうなるか見てみよう」
しかしながら、僕の予想に反してゴムの断片はうまく溶けてはくれなかった。
「それどころか――」
「硬くなってるみたいだな」
どれほどの柔らかさになったかの確認のために串でつついたマンバが言う。「夏になると柔らかくなるんだけどな」
「ひょっとしたら温度の変化が急激すぎるのかもしれない」
「急激?」
「夏の暑さと比べてこの火はとても熱いだろ。もっとゆっくり温めなければ柔らかくはならないのかも」
「じゃあ夏まで待つってことか?」
「いや、湯煎にすればいいと思う。熱湯は温度に上限があるからね。お湯を沸かすのに鍋を使ってもいいかな?」
一応確認のため、といった調子で訊いた僕は断られて驚いた。
「――それはやめておいた方がいいだろう」
「なんでさ。火事になったりはしないようにちゃんと見てるよ」
「そんな心配はしていない」
「じゃあなんで」
「想像してみろ、鍋を使ってこの匂いが鍋に残ってしまったら。飯が不味くなるのはいい、我慢すればいいからな、それよりクロルが面倒くさいことだろう」
「――ああ」
僕は自分のいないところで鍋に悪影響をもたらされた場合の少女の様子を想像してみた。ゾッとした。少なくとも相談なしに、彼女を巻き込まずに進めるべき話ではないだろう。
「それはとても恐ろしい」
「わかってくれて何よりだ」
マンバは冗談交じりにそう言った。
おそらく炭素と水素から構成されているゴムは燃焼させることもできるだろうが、悪臭や煙が発生する予感がひしひしとしたため、僕は彼らを火から避難させた。
実験は失敗だ。僕はそれを受け入れる。何の障害もなく成功していくと思っていたわけではないけれど、それでも意外とうまくいくんじゃないかと期待していた部分がないと言ったら嘘になる。僕は大きくひとつ息を吐き、熱によって弾性を失ったゴムの切れ端を串から抜いた。
「前途多難だな」ニヤニヤと笑ってマンバが言った。
「確かに前途は多難だね。でも進むべき道は見えている。あとはそこを歩けばいいだけなんだから、それほど大きな問題ではないとも考えられる」
「なんだ。強がりか?」
「これって強がりかな? ピエルナスでたとえるなら、この間までのマンバのように何とか自分のピエルナスを入手して、選考会への参加資格を得ているようなものだと思う。機会は得られたわけだから、あとは自分の技術を磨いて実力を見せつけるだけだろう? そんなに難しいことだったかい」
マンバは答えずに肩をすくめた。僕はそれをぼんやりと眺めた。
そして僕は考えた。仮にゴムシートの作成に成功し、あとは成形するのみという状況になったとしよう。どのようにしてそれらを球形に整えるのかを考えておく必要がある。
すぐに思いついたのはサッカーボールの構造だった。正五角形と正六角形を交互に配置することで球形に近い形を作ることができるのだ。炭素原子を60個使った化合物の構造としても有名だ。コンパスと定規があればそれらを作図することができるため、職人であるマンバの協力があればまんざら不可能ではないだろう。
20面体の構造は球体に近いが厳密に考えると凹凸がある。より球体に近いのは勾玉を重ねあわせような形のバスケットボールの構造かもしれない。しかし僕は一応バスケットボールをそれなりに真剣にやってきたけれど、ボールの展開図となるとまるで想像がつかなかった。一応理屈はわかっているつもりなのだが、その構造を考え続けようとすると、想像力が足りずに頭がぐにゃりと悲鳴をあげる。
「だめだ。やっぱり前途多難だ」
そして僕はギブアップ宣言をした。とりあえず今日のところは退散だ。そんな僕を眉を上げて笑い、マンバは「それじゃあ気分転換に外に行こうか」と僕を誘う。
「何か面白いことでもあるのかい」
「実はあれから村の何人かと協力して、お前が言うゴールのようなものを試作してみた。感想を聞かせてもらいたい」
「僕のゴール? 何のことだい」
「えっお前ひょっとして覚えてないのか!?」
マンバの精悍な顔が驚愕に歪む。「領主様から仰せつかった案件だぞ!」
「領主様!?」僕も驚きに身が震えた。「何それ全然わからない」
「いいから来てみろ」
焦った様子のマンバはそれまでの和やかな雰囲気をかなぐり捨て、僕を引っ立てるようにして外へと連れ出した。
領主案件に僕が関わっているとはまったくの驚愕だった。どうしてそのようなことになるのだろう。心当たりがまるでない。いやあった。確かに僕には心当たりがある。プロマジンの街へと行ったあの日の記憶が酔っぱらった途中から消えているのだ。ひょっとしたらその失われた記憶の中で何か知らないことを言ったことにより生じた案件なのかもしれない。
正確に言えば“知っているべきではないこと”だ。ぞくり、と背筋に寒気が走る。何を言ってしまったのだろうか? わからないというのが何より恐ろしい。
処罰されていないということは、それほど大変なことをしでかしたわけではないのかもしれない。しかし領主案件が発生しているというのは大事ではあるだろう。マンバの様子からもそれが察せられるというものだ。
そんなことをぐるぐると考えながら歩いた先には広場があった。これまで何度も来たことのある、ピエルナス用のスペースだ。
その一角に柱がそびえ立っていた。その柱はまっすぐ地面に突き立った、おそらく木製のものであり、具合の良い高さに籠のようなものが備え付けられていた。
何に対して良い高さか? もちろんボールを投げ入れるのにだ。
籠。バスケット。不完全なものながら、そこにはバスケットボールのゴールが作成されていた。
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