第11話 アシストとゴール
「本当に何かできるかな?」
期待の目線でコートを見つめる僕らに向かってトニーは面白そうにそう言った。
「基本的に、こうした選考会は季節ごとくらいに行われる。マンバは今回の参加がはじめてだけど、今プレイしているほかの3人はほとんど毎回参加している。彼らの中ではある程度格付けが済んでいて、当然新入りの序列は1番下だ、何かできると思うかい」
「彼らの攻撃は今のところ上手くいってない。交渉次第で1度のチャンスは与えられると思いますね」
「――ほう。1度だけ?」
「それで結果が出せなければ2度目はないかもしれない。それでも今まで邪魔せずサポートしていたやつから1度だけパスしてみてと言われたら、ボールを与えるのが人情というやつじゃないですかね」
「人情ね、覚えておこう。クロルは今の話をどう思う?」
「ミノレの言う通りになると思うわ。ピエルナスに関する限り、この子の言うことは外れたことがないんだもの」
「すごい信頼感だなミノレ?」
「そのようですね。マンバが僕の期待を裏切らないことを願ってますよ」
肩をすくめて僕はそう言い、コートの様子を見守った。これまでと同様にトップの位置でハンドラーがボールを弾ませ、マンバはコーナー付近に立っている。ほかの2人はパスを欲しがって手を挙げてアピールしたり、ハンドラーの周りを動いたりしている。ドリブルを続けなければならないハンドラーにとってそれはストレスとなるだろう。
「しかし、あの位置でボールをもらうのは無理だろう。パスが欲しければ彼らのように近寄らないと」
「あの位置ならね」と僕は言った。
ハンドラーがちらりとコーナーの様子を伺った。それと同時にマンバが動きを開始する。彼はフェイントとなる動きを入れた後、急激に方向を転換させ、円形に引かれた侵入不可ラインをなぞるようにしてトップの方に進んでいく。
当然その先には味方がいる。彼は敵にマークされている。マンバはその脇をかすめるように進路を選ぶ。かつて僕が教えたことのある走行ラインのデザインだ。
「ぶつかるぞ!」
ぶつからない。マンバは意図があって動いているからだ。その意図がわからずただ着いていくマンバのマークマンは彼らのどちらかに衝突しかけ、大きく動きを邪魔された。
マンバはなおも足を進める。やがてトップの位置にいるボールハンドラーさえ追い越した。マンバと彼を追うディフェンダーの動きにひっかかることがないように、ハンドラーはドリブルを止めてボールをその手に持っている。
新緑のアルマジロはじきに球体を解除することだろう。それより先にマンバへのパスが送られた。地面に弾むバウンドパスだ。その刺激はピエルナスに球体を維持させる。
マンバのマークマンはずっと遅れた位置にいた。マンバがシュートの体勢に入る。フリーだ。フリーではなかった。もうひとりのパス待ち男のマークマンがヘルプディフェンスに駆けつけている。かつてのボールハンドラーのマークマンも体を滑り込ませるようにしてシュートの阻止を企てている。
シュートの体勢に入っていたマンバは、しかしそのまま体をひねり、真横へとピエルナスを弾ませた。バウンドパスだ。スライディングでディフェンスをする敵とほとんど平行な方向であり、当然彼の手は届かない。
地面に弾んだピエルナスを手にしたのはマンバにパスをくれたハンドラー役の彼だった。彼のマークマンはスライディングでいなくなっている。引き剥がされたマンバのマークマンはまだそこまで到達さえしておらず、彼の周りに邪魔する者は誰もいない。
バスケで言うワイドオープンと言われる状況だ。彼は丁寧な仕草でボールを放る。新緑のアルマジロは数回地面に優しく弾み、やがてゴールの枠内へと収まった。
「やったやった! 今のってマンバのおかげよね?」
飛び跳ねるような喜びに身を包み、クロルは僕にそう言った。「そうだね」と僕は満足感を口元に浮かべ、トニーの様子をちらりと伺う。
「素晴らしい」
唸るようにしてトニーは言った。「しかし、何だ今の動きは? いや、動きはわかる、変な動きをしたわけじゃない。ルール違反でもないだろう。しかし自分の持ち場をあんなに大きく離れるなんて」
よっぽど衝撃だったのか、トニーは独り言を言うようにブツブツと続けた。やがて僕たちの存在を思い出したのか、「ベスの村では皆あんな動きをするのか?」と訊いてきた。
「皆じゃないですね、今あの動きをするのはマンバくらいのものでしょう。ルール違反じゃないんですよね?」
「ああ、ルール違反ではない。しかし、何というか、想定外だな。こんなことができるなんて新鮮な驚きだ」
「マンバは評価されますかね?」
「それは間違いないだろう。少なくとも柔軟で素晴らしい発想力の持ち主だ。領主様も認めてらっしゃる」
言われて来賓席に目をやると、トランキライザーは拍手で今のプレイを称えていた。
「やった! すごい!」
喜ぶクロルの様に気づいたのか、トランキライザーは柔和な笑みでこちらを眺め、大きく手を振るクロルに手を振り返す。テンションの上がったクロルはおそらくこの場で一番身分の高い高齢者に向かって投げキッスのようなジェスチャーまで交えて喜びを表現していた。
「これって不敬で怒られたりしないですかね?」
「楽しんでらっしゃるようだから大丈夫だろう。――たぶんな」
トニーは苦笑まじりにそう言った。この場の無礼講レベルがどんなものかは知らないが、失礼を働いたということで村人のひとりが領主から処刑されるのは考えられないことではないだろう。ひどくなるなら止めた方が良いかもしれない。止める口実に僕は気づいた。
「クロル見て。マンバがボールを持っている」
「うそ本当? マンバ頑張れ!」
身を乗り出すようにして兄の活躍を見守る少女を座らせることはできなかったが、少なくとも反応を返してくれる領主様から注意を取り戻すことには成功した。声援を受けたマンバは深緑のアルマジロを弾ませながらコートを進む。
これまでろくにパスをもらえないまま捨て置かれ、しかも今回新入りにボールを渡すというボールハンドラーの暴挙に2人のチームメイトは抗議した。
「おいフィシャー、お前どういうつもりだよ?」
「そうだぞボールを渡すならまず俺たちだろ」
どうやらあのハンドラーはフィシャーという名前らしい。細かい表情が見えない客席からでもわかるうんざりした顔でフィシャーは言った。
「あいつは今働いた、だからこれからチャンスを与える。文句があるならお前らも良い働きをしろ、俺の攻撃の邪魔をするな、領主様がいるからってボールを欲しがって近寄ってくるんじゃねえ。この醜いやり取りもしっかり見られているぞ」
睨みつけるフィシャーに言い返すことはなく、彼らはマンバから離れた位置に陣取った。十分なスペースがマンバに与えられる。彼らがスペーシングできずに近寄り過ぎていたのは功を焦った無意識下のことだったのかもしれない。
チャンスを与えられた新入りはどうするか?
結果を出すしかないだろう。おそらくこの1回の攻撃で彼らのマンバに対する評価のベースが出来上がる。そしてそれは彼らだけに限った話ではない筈だ。
「確かにマンバは先ほど良い動きをしたし、良い発想を私たちに見せた。しかしこの攻撃で何も成し遂げられなかったらすべては無駄だな?」
挑発的にトニーがそう言う。僕にトラッシュトークをするつもりなのだろうか? 僕はコート内の口喧嘩は売られた分だけ買う主義だけれど、オフコートでの言い争いは好まない。「見ればわかる」と肩をすくめた態度で示し、トニーの視線をコート上へと誘導した。
マンバはトップの位置へとボールを運び、その感触を確かめるようにゆっくりと地面に弾ませた。やや前傾の姿勢を作り、睨みつけるように敵を見る。相手も低い姿勢でマンバの突破を警戒している。ピエルナスが一定のリズムでマンバの手に戻ってくるたび場内に緊張感と期待感が高まっていく。
右手、右手、左手、右手。マンバの両手が深緑のアルマジロを撫でるように地面に送る。視線は前に向けたまま、ピエルナスは彼の意図通りの挙動でその手に収まる。大きな手だ。長い腕を広く使ってボールを受け渡し、ディフェンスの隙を探る。ピエルナスが地面に弾む。
どれだけの時間が経っただろう? おそらく実際にはそれほど長くはないのだろうが、観る方にも集中を強いるそのやり取りはしばらくの間続いているように感じられた。
右手、左手。マンバの体がわずかに動く。その重心の変化から突破の方向をディフェンダーは感じ取る。その動きはフェイントだ。マンバは反応を伺ったのかもしれない。
そして次の瞬間、マンバは大きな動きを見せた。左手から右手に再び送ったボールを肩を深く使った動きで受けたのだ。体全体が右へと流れる。当然その方向からの突破をディフェンダーは感じ取る。
しかしマンバの右手はそのままの位置でボールを弾ませ左手へと受け渡していた。鋭い動きだ。フェイントに抵抗するディフェンダーはその身を何とか留めて対応を試みる。
マンバの左手がボールを受ける。これまでと違った低い位置だ。地面に弾んだピエルナスをすぐに手中に収めると、マンバの左手は反射より速く再び右へと切り返す。マンバの左足が前方へと伸びている。
右方向からの突破である。当初その方向への動きを見せられ、しかしそれをフェイントと見破ったディフェンダーは再度の方向修正を強いられる。初見で行うにはあまりに複雑な指示を脳から受けた肉体はパニックを起こしていることだろう。それでも突破されようとしていることは察せられ、混乱した指揮系統の元で対応を試みた彼の両足は転倒を誘発させた。
アンクルブレイクという現象だ。対応できずに尻餅をつく。大きな1歩を進み、完全にマークを外したマンバは侵入不可エリアを侵すことなく丁寧にボールを転がした。
球体のピエルナスがゴールへ向かって進んでいく。
当初このルールを把握した時、僕は盛り上がりに欠ける仕様なのではないかと思っていた。サッカーやハンドボールでもっとも興奮するのは勢いのあるシュートがゴールに突き刺さる瞬間だろう。丁寧に転がされたコントロールシュートも悪くはないけれど、そればかりでは見ていてつまらないというものだ。
しかもピエルナスはキーパーのいないゴールへのシュートにある程度の難度を強いるために侵入不可エリアと小さなゴールを設けている。毎回遠くから放られるボールを眺めて一体どれだけ楽しめることだろう?
しかしそこには確かな興奮があった。どちらかというとサッカーのシュートというよりゴルフのパッティングを眺める感覚が近いのかもしれない。
マンバの手を離れたボールはその際かけられた回転に従ってわずかに軌道を変化させ、観衆の見守る静寂の中、やがてゴールへと吸い込まれていった。
歓声。そして拍手が生じる。それまでの静寂という抑圧から解放された興奮を伴っている。この日見た中でもっとも鮮やかなゴールであったことだろう。先ほどのオフボールムーブを利用したゴールも優れたものではあったけれど、驚きや戸惑いが含まれたものだった。この動きを称えて良いものかと逡巡した者もいただろう。
それに比べて今回の得点は誰の目にもわかりやすい、はっきりとしたスーパーゴールだ。
「マンバすごい! かっこい〜!」
クロルは客席を囲む柵を破らんばかりに叩いて興奮している。その一部を掴んで足を踏ん張り、ぐるりと仰け反るようにして顔をこちらへ向けた。
「ちょっと今のすごいんじゃない!? ねえどうよ!」
そのあまりの喜びようはかえって僕を冷静にさせる。苦笑いを浮かべ、しかしそれでも僕の心は高ぶっていた。
「素晴らしいプレイだったね。誰にも文句のつけようがないんじゃないかな」
そしてトニーの様子を伺うと、彼は首を振りながら大きく息を吐いていた。
「いやはや疑ってすみませんでしたと言うしかないね。――マンバか。ティムにも知らせよう」
「その方がいいですよ!」
クロルは空も飛べそうな顔でそう言った。そして先ほどと同様にトランキライザーとコミュニケーションを図り、僕たちが少しヒヤヒヤするようなやり取りを何度も行った。
結果を残したマンバはフィシャーの信頼を勝ち取ることができたのだろう。そしてそれはほかの2名を黙らせるのにも十分だった。選考会の常連であるという彼らはその立ち振る舞いを心得ており、フィシャーとマンバはアピールの機会に恵まれた。
指示に従って彼らはメンバーを交代し、当初試合に入っていなかった4人とプレイをしたり、正規メンバーに混ざってプレイをしたり、様々な組み合わせで様々な動きを観察された。
正確に測ってはいなかったけれど、おそらくマンバのプレイタイムが選考会メンバーの中でもっとも長かったのではないだろうか。あるいは長時間プレイした場合のプレイ精度の変化も見られたのかもしれない。いずれにせよ十分な時間を与えられ、マンバはすべての力を振り絞るようにプレイした。
観ている方も疲れるほどの1日だった。クロルは途中から活動性が著明に低下し、体が休憩を欲しがっていることがよくわかった。
「こっちで座って観たらどう? 疲れてるだろ」
そんな僕の提案には「無理よ」という返答が寄せられた。「今座ったら、もう2度と立ち上がれない」
体力を使い果たしたボクサーのようなことを言う少女はなんとか全行程を見届け終えると、椅子に深く腰掛けた。速やかに睡魔に身を委ねたのか、こちらのあらゆる刺激に反応がなくなる。
「寝ちゃった。――どうしましょうか。ここってすぐに出ないといけないんですか?」
「いや大丈夫だよ。疲れただろう、眠らせてあげるのはいいけれど、ここで風邪を引いてもいけない。部屋を用意するからそこでしばらく休むといい」
「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えます」
マンバは帰りは一緒だと言っていた。そこでマンバを待ち、クロルが目覚めるか、何らかの方法で連れて帰る手筈が整うのを待てばよいだろう。リスクや危険性はない。僕はそのように考えた。
だから僕は非常に驚いた。その与えられた部屋に、複数の男たちが突然入ってきたからだ。
クロルは依然眠っている。僕は胸のナイフに手を当てた。
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