第10話 選考試合
「――しかし、困ったな」
僕を父親に引き合わせると言った男は、しばらく僕とクロルを交互に眺め、そう言った。「今の私の仕事はクロルを会場まで連れていくことだ。どうしたものか」
「まずは職務を全うしたら良いと思いますよ」と僕は言う。
「それはそうだな、そうしよう。それにしてもミノレ、お前はこれまでどうやって生きていたんだ? なぜそのナイフを持っている?」
「それはこのクロルと、それからマンバのお世話になっているからですよ。僕はクロルの付き添い兼ちょっぴり護衛でこの街へ来ました。帰ってきたわけじゃあないんです」
「帰ってきたわけじゃない?」
男は怪訝そうな表情を浮かべる。僕は大きくひとつ息を吐き、少し迷ったが、現状を打ち明けてみることにした。いずれはバレることだろうし、僕がどのような状態であろうと彼から危害を加えられるようには思えなかったからだ。それは僕の印象にしか過ぎないが、明らかに異常な発言にさえ気をつければ大丈夫だろう。
「僕は死んだと思われているんですよね? ああ、いいです気は使わなくて。当然のことだと思っていますし、悪い感情を持っているわけでもありません。実際死にかけていたんだと思います。でも、そのショックでなのかは知らないけれど、その時僕から記憶のようなものがごっそり抜け落ちちゃって、正直なところ僕は今あなたが誰かもわかっていない状態なんです」
「なんてことだ」
彼は驚愕を顔に浮かべていたが、やはり危害を加えられそうには見えなかった。心配そうな顔で様子を伺うクロルに僕は頷いて見せる。小さく笑って肩をすくめ、軽くおどける口調で提案をした。
「下手したら父や母と会ってもよくわからないかもしれない。僕にも彼らにも、お互い会うための準備のようなものが必要なんだと思います」
「――それはそうかもしれないな。よし、私からティムに報告だけはしておこう。その後どうするかは彼らと話し合って決める」
「ありがとうございます。ついでに、あなたの名前も教えてはもらえませんか?」
「そうだったな、私はトニーだ、改めて以後よろしく。それじゃあとりあえず会場に行こうじゃないか。ひょっとしたらティムを見かけるかもしれない」
ティムというのは僕の父親の名前だろう。ピンとは来ないが会話の流れから察せられる。球師になるための選考会のようなところに行けば会うかもしれないということは、僕の父親はピエルナスに関わる仕事でもしているのだろうか?
その疑問はすぐに晴れた。トニーが教えてくれたからだ。
「ティムはここプロマジンのピエルナス方面の責任者だ。いちいちすべての選考会を見られるほどの時間はないが、できるだけ顔を出すようにはしている筈だ」
「わーお!」
それまで大人しくしていたクロルが驚きの声を上げた。
◯◯◯
死んだ筈の少年ミノレを発見するという予想外の出来事に時間を取られてしまったが、トニーはなんとか僕たちを時間内に会場まで誘導することに成功した。
選考会場はすり鉢状に客席を備えた、長方形のコロッセオのような建物だった。選考会の対象となる選手は貴重な存在なのか、その身内であるクロルと付き人である僕に与えられた席は最前列で、コートを挟んだ向こうには来賓席のような区画が広がっている。客席にはぽつぽつと僕たちのような選手の身内、あるいは物好きな観客たちの姿があった。
席に腰を下ろしたクロルは水筒を両手に取り出し、その片方を僕に渡す。栓を抜いてぐびりと一口飲んだ僕たちはそれぞれ安堵の息を吐いた。
「なんとかここまで来れたわね」
「冒険だったね。でもいい席だ」
「あんたがこの街の人だってことやお金持ちの子なんだろうってことは予想してたけど、それでもとにかくビックリしたわ」
「僕もだよ。まさか父親がピエルナスのお偉いさんだとは思わなかった」
そう言い笑った僕を見るクロルの表情は晴れやかではない。言葉を続けることはせず、僕は彼女の発言を待った。
「――あんた、これからどうするの?」
「どうって?」
「どうって? このままこの街に残るのかって訊いてんの」
「そういうことか。今のところそんなつもりはないよ」
「――そう」
「もっとも、クロルやマンバに迷惑でなければの話だけどね」
「あらそう。ちょっとくらいは我慢してあげてもいいわよ?」
「知らないかもしれないけど、僕の薪割り技術はなかなかのものだよ」
「あんたはいつも焚き付けをたくさん作りすぎるのよ」
軽口を叩く余裕の生まれたクロルを僕は見た。僕にはプロマジンの街への帰属意識はないが、これまでの生活でクロルたちに愛着は持っている。よっぽど親の元に帰るメリットや帰らないデメリットが生じない限り、彼らから自分の意思で離れるつもりはない。
僕が自分の気持ちを確認していると、にわかに会場が活気付いてきた。選手が入場してきたのだ。
その中のひとりにマンバがいた。浅黒い肌に鋭い眼光、長めの黒髪はひとつに縛られ、しなやかな筋肉が長い手足を覆っている。
同時にコートに出てきたのは10人ほどの男たちだった。数えてみたら12人いた。そのうち4人は揃いの格好をしているが、ほかの8人はマンバも含めて各々違った服装をしている。共通点は袖が短く動きやすいというところだけだ。
揃いの格好をした4人と不揃いな8人はそれぞれ塊を作って待機している。やがてトニーと同じ格好をした男が彼らの前に姿を見せた。気づいた12人は整列をして言葉を待つ。
「今回の選考会は特別に、我らが領主・トランキライザー様もご覧になる!」
男は彼らにそう言った。12人から誇らしそうな歓声が上がる。その歓声の先には柔和な笑みを浮かべた初老の男が立っていた。彼が領主様なのだろう、トランキライザーは小さく手を挙げ彼らの声援に応えると、来賓席までゆっくりと歩き、取り巻きを従えて椅子に座った。どこからともなく拍手が起こり、会場内に拍手の渦が広がっていく。僕とクロルもそれに従った。
トランキライザーは再び席から立つと、改めて笑みを浮かべて手を挙げた。彼のその手が拍手を納める。カリスマ性を感じる動作である。そして満足そうに頷くと、初老の男はゆっくりとした優雅な動作で会場内を一瞥した。僕たちの席にも視線が向けられ、クロルは手を振ってそれを喜んだ。
「ねえねえ、今領主様あたしを見たわよ! ほら、手を振り返してくれた!」
「よかったじゃないか。ちょうど試合もはじまりそうだ」
領主様がカリスマ性を振りまいている間にコートでは選考試合の準備が整えられていたらしい。4人の揃った格好の男たちと、4人の不揃いな格好の男たちが多少散らばり向かい合っていた。
ピエルナスの試合は4人対4人で行われる。あるいは村で行われる練習試合だけの人数規定なのかもしれないと思っていたが、どうやら正式なルールなのだろう。会場内に緊張感が満ちていく。試合前特有の空気感だ。僕は大きくひとつ息を吐く。
姿を消していたトニーと同じ服装の男が再び会場に現れた。先ほどと違うのはその脇に新緑のアルマジロのような生物を抱えていることだ。ピアルナスである。
彼は審判のような役割も果たすらしい。コートの中央部で向き合う男たちに目配せし、何かを待つように呼吸を整えている。待っているのは試合開始の合図だろう。それは誰が出すのだろうか? 特別に出席している“我らが領主・トランキライザー様”がふさわしいように僕には思えた。
来賓席に目を向けると、はたしてトランキライザーの元に鐘のようなものが運ばれていた。運んでいるのはトニーだ。彼は鐘のようなものを領主の側で掲げ、やがてその鐘が打たれる。高く澄んだ音が会場に響き、それと同時に審判の男はピエルナスを地面へ投げ下した。
地面に打ち付けられた衝撃で新緑のアルマジロは球体へと体を丸める。跳ね返った先にはふたりの男が向かい合って待っている。彼らは体をぶつけ合うようにしてピエルナスを求め、やがて片方がボールを保持した。
試合開始だ。与えられた座席についたまま、僕はわずかにその身を乗り出した。
○○○
揃った服装の4人組がおそらく正規のメンバーなのだろうことがすぐにわかった。不揃いの服装をした4人と比べて明らかに調和の取れた動きをしている。それぞれが自分の役割を理解しており、余計な自己主張でプレイの流れを淀めたりはしない。
つまり、余計な自己主張でプレイの流れを淀めているのが不揃いな格好の4人組というわけだった。自分の実力を証明しなければならない彼らはこぞってボールを持ちたがる。要求するパスが受けられなければボールを求めてハンドラーへ近づく。彼らのハンドラーへの助けとなるべき動きは邪魔にしかならず、いたずらにスペースを潰しているようにしか見えなかった。
「なかなか難しそうだなあ」
僕たちに与えられた席に入って来たのはトニーだった。もしかしたら父親が見つかったのかもしれない。どのように立ち振る舞えば良いだろうかと考えるより先に、彼は「ティムは来ていないらしい」と僕に言った。
「そうですか」
「残念だが仕方がないな。――マンバの調子はどうだい?」
「あまり良くはありませんが、まあ最悪ではないですね」
視線をコートに戻しながら僕はトニーにそう言った。
「ほう」彼は面白そうな声を出し、「というと?」と僕に続きを促した。クロルも僕の発言を聞こうと注意をこちらに向けているのがわかる。
「――ろくにボールを触れていないので正直良いところは見せられていませんが、少なくとも邪魔にはなっていません。ポジショニングは悪くない。あとはマンバをうまく誰かが利用してくれれば彼も目立てるわけですけどね」
4人組のチームの中でボールをひとりが持っている。彼はゴールに向かって正面を向いてピエルナスを弾ませる。コートには守備側の選手が侵入できないラインと攻撃側の選手が侵入できないラインが同心円のように描かれており、ピエルナスを弾ませる位置は攻撃側のラインからさらに少し離れている。守備の妨害を避けてシュートする余裕をもつためだろう。
基本的にピエルナスの試合風景は1対1の対決だ。巧みなムーブで守備をかわし、彼らはできた隙間からボールをシュートする。明らかに守備が抜き去られてしまった場合はほかのディフェンダーが駆け寄って来たりもするけれど、その場合はパスを出すのが有効となる。長方形のゴールには正面からのシュートがもっとも有効なのだがフリーで打てるなら斜めからでも十分な成功率となるからだ。
なんなら横からでも良いかもしれない。マンバはボールに回転を与え、地面との接触により軌道の変化するシュートを打つことができる。ただしそれには両手でボールを放つことが必要で、完全にフリーな状況とならなければ不可能だ。
ゴールに向かって正面、バスケで言うところのトップの位置でボールを保持する近くに、パスの欲しい“味方”が寄っている。距離を空けているのはマンバだけだ。邪魔にしかならない彼らを仲間と呼べるかどうかは微妙なところだが、同じチームでプレイはしている。
近づくな、開け、と彼は要求したが拒否されてしまったのだろうか? いずれにせよ彼に充分なスペースは与えられず、運良く敵を抜き去ったとしてもすぐにフォローされるように思われた。彼は決断をしなければならない。何とか自分でシュートを打てる形を作り上げるか、それともこの邪魔な味方にボールを預けるかをだ。
自分も能力を証明しなければならない場において、後者を選ぶのは難しいことだろう。思った通り、彼は自分の力を信じることにしたらしく、強引にディフェンダーを抜きにかかった。
正対した敵の左側に狙いを定め、肩を入れるようにして体をねじ込む。力に力で対抗はせず、敵は後退しながら対応をした。
「行け!」
クロルの野次の声が飛ぶ。「行けないだろう」とトニーが言った。
侵入不可能な領域がある以上、縦への突破には限度があるのだ。守備側の勝利条件はシュートを外させることであり、必ずしもボールを奪取する必要はない。それをよく理解している守備だと思った。
「あ〜ん、止まっちゃった」
「しかもそこには敵がいる。これ、取られるぞ」
ダブルチームのようなプレッシャーを受けたボールハンドラーはトップに近い位置でボールを失った。合図を出すまでもなく逆サイドの敵が走り出している。速攻だ。瞬く間にボールが運ばれ、ダイナミックなスピード感と丁寧なシュートのギャップに僕らは舌を巻くこととなる。
「上手ですね」と僕は言う。
「まあでもやつらは控えメンバーだ。連携もクソもあったもんじゃないが、それでもやつら相手に何もできなければ球師になるのは厳しいな」
肩をすくめてトニーは言った。
ゴールネットに絡まったピエルナスを掻き出すのはマンバだ。マンバは地面に弾ませ球体となったボールを先ほどのボールハンドラーに手渡しながら、何かを彼に囁いた。
ハンドラーはそれに頷く。そしてボールを弾ませ敵ゴールへとゆっくり近づく。
「ねえ今何か言ってなかった?」
「僕にもそう見えた。ひょっとしたらマンバは何か仕掛けるつもりなのかもしれない」
「どうするんだと思う?」
「さあね、何だろう。――何にせよ、これまで彼らのプレイはグズグズで、それは主にスペーシングがなってないからってところが大きかった」
「スペーシング?」
「味方が近くにいすぎて逆に邪魔だったってことだよ。僕がマンバだったらなんとかしてそれを解消したいとこだけど、言っても聞かないだろうしね。どうしたものだか」
ひとつ僕に言えるとしたら、これから何かを仕掛けるのなら、あるいは今までのマンバのプレイ態度はその布石かもしれないということだ。彼は過度なアピールをせず邪魔をせず、ハンドラーのプレイを引き立てていた。それが伝わっていたとすれば、ハンドラーはマンバの提案に乗ってくれるかもしれない。
客席から見守る僕らにコート上のことはわからない。わかっているのはマンバがこのアピールの日を待ち望んでいたということと、強い意志で球師になろうと願い日々研鑽を積んでいたこと、そして彼は己の身に降って湧かないチャンスをただ傍観して諦めたりするような人間ではないだろうということだ。
マンバは先ほどまでと同様にハンドラーから離れて待機する。パスを望む味方がハンドラーへ近づいていく。
「マンバは何かをするだろう。お手並み拝見といこうじゃないか」
自分ならこの状況からどうプレイするだろうかと考える。そして頭の中でボールを強く弾ませ、僕はコート上を強く見つめた。
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