第6話 ピエルナス
ふたつ返事でピエルナスとやらの誘いを快諾した僕は、己の過ちにすぐに気づいた。僕は当然知っているべき知識を持たず、しかしできるだけ不審な態度を取ってはいけないのだ。健康な肉体で、おそらく球技ができそうなので反射的にその機会を歓迎していまっていたが、これは明らかに悪手だろう。
今さら取り消すことはできないため、僕はマンバとクロルの兄妹の後に付いていくようにして移動した。
「実物見るのがはじめてってことは、ピエルナスで遊んだことないの?」
行く道すがらにクロルが訊く。僕は「実はそうなんだ」と注意深く肯定した。
「街のお坊ちゃんならそうかもな。見るより絶対やる方が楽しいけどな」
それは当然そうだろう。深く同意したい意見だが、発言するリスクを考え、僕はその感情を心に秘めた。マンバは構わず言葉を続ける。
「ピエルナスは今変革の時を迎えようとしている。おれたちの親父は球師で、数少ないピエルナスで飯を食える選手だった。英雄だよ。親父はおれの憧れで、いつか親父のような選手になってやろうと思ってるんだ」
深緑のアルマジロのような生物を肩に担ぎ、マンバはそんなことを僕に語った。母子家庭で育った僕には父親に対する憧れを想像するしかないのだが、それはとても素敵なことのように思われた。
「そういえば、ご両親は?」
軽い気持ちでそう訊いた僕は、平然と「死んだよ」と返され動揺することになった。
「どうした、珍しいことじゃないだろ?」
不自然に立ち止まった僕にマンバはそう言った。確かに珍しいことではないのかもしれない。この世界の医療が発達しているようには見えないからだ。
「それじゃあ、ふたりで生活してるんですか?」
「そうよ」クロルが僕を覗き込むようにして言う。「あんたで3人目。良い男手になってよね」
そしてクロルが僕の手を引いて進み出したため、僕は思い出したように歩くことにした。訊けば死因も教えてくれるのかもしれないが、この社会的な支援の発達していないと思われる世の中で逞しく暮らす兄妹に質問を重ねる気にはならなかった。彼らも多くは語らない。必ずしもすべてを知る方が良いとは限らないのだ。
連れて行かれた先は広場のような場所だった。背の高い草の残った斜面を背に木製のサッカーゴールのようなものが設置されている。サイズはあまり大きくなく、フットサルゴールとしても小さすぎるだろう。
「さて、おれたちのするピエルナスは手でやるやつだ。お前には馴染み深いか?」
その言い方が引っかかり、僕は中途半端に首を傾げた。「手でやらないやつもあるんですか?」
「知らないか。元々ピエルナスは足でやる競技だったんだ。今も一部では足でやるやつらもいるが、次第に手でやる方法が主流となっていった。足だと衝撃が強すぎるんだな」
「衝撃が。強すぎると何か悪いんですか?」
「こいつが長持ちしないし、何より出来上がりの味が悪い。もちろんおれたちはこいつを食べたりしないけどな」
「食べるんですか。――その、ピエルナスを?」
マンバの肩にしがみつくようにして乗っているアルマジロのような生物を僕は見つめた。愛玩動物になるような可愛らしさはしていないと思っていたが、これから屠殺し食べられると考えると、それはあんまりな気もしたからだ。
「そうだよ。まあおれも実際に食べたことはないけどな」
「この村みたいに皆がピエルナス大好きってわけじゃないのかもね。街には娯楽がたくさんあることでしょうし」
「詳しくないってわけか」
いずれこの競技で生活を賄おうと考えている男は少し残念そうにそう言った。「それなら簡単にルールから確認しとこうか。やったことないって言ってたしな」
「お願いします」と僕は言った。
“手でやるピエルナス”のルールはサッカーというよりはハンドボールに近いものだった。手でやるのだから当然といえば当然で、何より僕はサッカーにもハンドボールにも詳しくないので想像するしかないのだが。
物理的なストレスを与えると弾力に富んだ球体になる性質がこの動物にはあるわけだが、その現象はストレスから解放されると解かれてしまうらしい。そのため、“ボール”を保持する攻撃側は絶えず刺激を与える必要がある。球体が解除されると反則扱いとなってボールが取り上げられるのだ。
どうやって刺激を与えるか? 地面に打ちつけるのだ。それを繰り返せば僕にも馴染み深いドリブルになる。ただしボールを再び保持してドリブルすることは許されない。ダブルドリブルになるわけだ。バスケットボールにも通ずるところのあるルールである。
ボールを保持して歩くことは許されないが、飛んだ状態で投げることは許される。ゴールの周りには2重に線が引かれており、外の線が攻撃側の侵入可能範囲、内の線が守備側の侵入可能範囲となる。キーパーのような者はいない。
限界までストレスを与え続けられたピエルナスは次第に弾力が失われていき、ついには球体を維持できなくなる。その弾力の根拠となっていた外殻が容易に剥がれるようになり、それが試合の終了を意味するのだ。
弾力に富み通常の刃物を通さない外殻を失ったピエルナスは容易に調理できるようになる。そして、この調理が困難な生物は、極上の珍味なのだそうだ。
「元々ピエルナスってのはこいつの名前で、こいつの調理法のひとつなんだ。それが競技として発達して見世物になったのさ」
「へえ~そうなんだ」
僕と同時にクロルが頷く。「お前も知らなかったのかよ」と苦笑まじりにマンバが言った。「球師の娘だったのに、嘆かわしい」
「ひょっとして、だから刺激が強すぎるとだめなんですか?」
「そうだよ。ピエルナスをより旨く調理するには継続的に弱い刺激を与える必要がある。強く蹴り飛ばしたり、思い切りゴールに投げつけたりするのは相応しくないんだ」
自分の知識を披露したマンバは上機嫌でそう言った。僕は静かに納得する。ピエルナスのルールは美味しい調理法のために整備されているというわけだ。だからキーパーがいないのだろう。“強く”よりも“正確に”、十分にコントロールされたシュートを放たせようとしている。
「説明はこんなとこかな。質問は?」
「今のところはありません」
「そうか」
マンバは呟くようにして言った。ピエルナスの頭のあたりを掴み、背を下にして地面に放つ。バウンドしたピエルナスは球体になっている。
土のグラウンドでボールを得たマンバはハンドリング技術を僕たちに見せた。両手を使ったドリブルだ。それまでの仕草から右利きであることが察せられるこの球師志望の男は、両手を遜色ない精度で扱えるらしく、ステップも交えた滑らかな動きを披露した。
「すごいすごい。上手!」
クロルが手を叩いて喝采を送る。確かに上手だ。しかし僕はバスケットボーラーとして、かつてはプロを目指して日々研鑽していたものだった。素人にしては上手いな、というのが僕の素直な感想なのだが、もちろん誰にも伝えない。
マンバがパスを送ってくる。僕はそれを受け取った。
「ボールだ」
僕は思わずそう呟いた。僕の両手に保持された球体はまさにボールと呼ぶべき感触だった。いくつかのパーツを合わせたようにして構成されている外殻がバスケットボールを連想させる。表面はわずかにざらついており、これも悪くない手触りだった。
「ピエルナスが足に触れてもいいが、強く蹴るのは反則だ。おれが守備側をしてやるから、とりあえずやってみな」
マンバはそう言い、真剣みのない手の広げ方で僕に対峙した。舐めやがって。そう感じるが、それも当然のことだろう。僕は子どもで、このボールを触るのがはじめてだという“初心者中の初心者”だからだ。
習慣的に左足でピボットをとり、トリプルスレットの形でボールを保持した。体が小さいため、相対的にボールが大きい。自分の股の下をボールにくぐらせるような動きはできないだろう。
意識するつもりはないが、どうしても右膝が気になった。かつて重傷を負ったことのある右膝だ。しかし、今のこの膝にその怪我の痕跡である手術痕は存在しない。僕の思った通りの動きをしてくれるかもしれない。
してくれるかもしれないし、してくれないかもしれない。わずかな恐怖と大きな期待を胸に、僕は大きくひとつ息を吐く。
「どうした? 来てみろ。構えは様になってるぞ」
茶化したような声が僕の耳に送られる。トラッシュトークだ。それは僕の冷静さを失わせることなく闘志の炎に薪をくべる。行ってやろうじゃないかと僕は思う。
ボールをゆっくりと動かし、小さな体重移動を発生させる。見る人が見れば左側へ進路を取るための予備動作に映る筈だ。あとは球師を目指して研鑽しているであろうこの男が見る目を持っているかどうかだ。
僕は大きく1歩を踏み出した。右側だ。マンバは逆を取られている。その左足の外側に僕の左足が到達し、大地を掴んだその左足が僕の体を前に進める。自然な形で身を寄せればファウルを犯さずに僕の突破を防ぐことは不可能となる。
地面に強くボールをつく。子どもの体と動物でできたボールに土のグラウンド。思ったように運べなかった。僕が想定しているよりも僕の力は弱く、腕は短く、ピエルナスは高く返ってくるのだ。
ボールコントロールの乱れた僕を大人の体が追ってくる。フェイントに惑わされた経験は彼の自尊心を傷つけているだろうか? 僕が3歩かかる距離をマンバは1歩で詰めてくるように感じる。
しかしこの攻撃の目的は備えられたゴールへボールを放り込むことだ。長い腕に絡め取られるより先に、僕はボールをシュートした。背の低いゴールを越してしまわないように低い軌道で、ほとんど転がるようなボールを狙いを定めて投げ放つ。
シュートを察知したマンバは僕へのプレッシャーを切り上げゴールに向かってダッシュしていた。転がるボール。地面との摩擦が大きいのか、高く跳ね上がるわりに進むスピードが衰えていく。マンバとの距離がぐんぐん縮む。
守備側の人間が侵入して良いラインの前でマンバは体を滑らせ、スライディングの要領でピエルナスに迫るとその進路をわずかに逸らせた。
転々と転がるボールはゴールを外れ、草の茂った斜面にざっくりと
「攻撃失敗だな?」
トントン、と守備側侵入禁止ラインの外に残った右手で地面を叩いてマンバは僕にそう言った。おそらくアピールなのだろうその仕草から考えるに、ラインの中に勢いで入ったとしても体の一部が出ていれば許されるらしい。
僕の攻撃は失敗に終わった。しかし僕の胸は大きな満足感で満たされていた。この足の状態は鋭いドライブを許すらしい。今の体の感覚と、生物を使ったボールの扱いに関して修練を積む必要があるが、努力次第であらゆることが可能となるかもしれないのだ。
「楽しいか?」とマンバが言った。そう言わせる表情を僕はしていたのかもしれない。
言葉で答える代わりに走ってピエルナスを拾い上げると、僕は地面にそいつを弾ませた。
○○○
土のグラウンドは完全な平面でないためバウンドがイレギュラーなものになりやすい。そのため、想定通りにボールが動くことを前提とした技術よりも、即興性を取り入れたような技術の方がピエルナスにおいては有用そうな印象だ。部活のバスケよりもストリートボールに近いのかもしれない。ハンドボールに近い競技だと考えておきながら、僕の中での認識は、どんどんバスケットボールに近づいていっていた。
キーパーの不在が大きいのだろう。サッカーやハンドボールはゴールを守る最後の壁を突破するため、ある程度の威力をシュートに持たせることが必要となる。しかしバスケットボールはそうではない。正確性を持たせるために、柔らかいタッチのシュートが求められるのだ。
ピエルナスもそうだった。ドリブルでシュートの隙を作り、ゴールへふわりと投げ入れるのがセオリーのようだ。侵入不可ラインとゴールの小ささによってある程度の難度がもたらされるが、ピエルナスの攻撃は基本的に成功する場合の方が多い。それもおそらく調理に適したルールのひとつで、ゴールを外れてそこら中に追突するよりもゴールで“保護”された方が良いのだろう。
「こういうやり方もある」
マンバはそう言い、全身を使って回転を与える形でピエルナスを両手から放った。低く地を這う弾道だ。地面の起伏の影響を強く受ける経路だが、回転がかかっているため障害を突破しやすく、比較的スムースに進んでいく。さらにその回転によってわずかにカーブしていくため、使いようによっては守備網を突破する助けになるだろう。
「すごい」と僕は呟いた。
この男は強靭な手首を持っているのだろう。バスケットボールにもバウンドによって軌道が変わるようにあえて回転をつけるパスの出し方があるが、今見た軌道を安定して供給するのは誰にでもできることではない。
ピエルナスはバスケットボールに似たところがあり、僕にはバスケットボールで培った技術と知識がそれなりにある。その一部か、ひょっとしたら大半はこの世界にとって未知の領域であることだろう。
今のところ、生きていくための助けが僕には必要だ。その助けをくれそうなのはこの兄妹で、僕は妹クロルの所持物である。しかし生殺与奪権はどちらかというと兄マンバに握られているのが現状だ。
彼はピエルナスで生活を賄う球師という職業を目指している。そして僕にはその面で彼に提供できるものがあるわけだ。
当初はどうなることかと思っていたが、意外と僕はこの世界で逞しく生きていくことができるかもしれない。今の僕の体は幼く可能性に満ちている。何より健康な右膝を持っている。
「球師か」僕は考える。この男と同様に、僕も球師を目指してみるというのも面白いことかもしれない。
アルマジロのような生物が変形してできたボールを僕は強く掴み、1対1の形で対峙するマンバを強く睨んだ。
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