第119話
「北西にある女神の奇跡と言えば、決戦場跡か」
「うん。あそこは女神が降臨されたとされている場所のなかで、最も伝説が残っていて、だというのに曖昧な場所だからね」
「昔は何も思うところはなかったが、確かにどうして。曖昧ってのは気になるわな」
「そうしたい何かがあるのかもしれない」
机に広げた地図を、アドラは指でなぞっていく。
この地から北西にある港町、そこから更に北へ進むと現れるのは、決戦場跡と呼ばれる女神の伝説が残る土地。
その土地には、何もなかった。
女神の伝説が残る土地は、ヒト族魔族問わずにその多くが何かに成っている。それは、街であったり、聖地であったりと。だが、この土地だけは何もないのだ。
だというのに、この世界に住むすべてが知っている。この地にて、かつて女神様が降臨されて事を成し遂げられたと。それが、何かを知ることはなく、知っている。
何も気になることがなかった事実に、アドラは今になって確かな違和感を覚えている。この世界で女神様以上のものはなく、その伝説は数多くそして事細かく遺されては称え続けられている。だというのに、曖昧なままで終わっている違和感を。
「名前からして戦いがあったのは間違いないだろうが、どんな戦いがあったとかそっち側には残っているのかよ」
「いや。少なくとも、私は知らない。違和感を感じてから探せば分かったかもしれないけれど、その時間もなかったし」
「場所もなぁ……、魔族領はそもそも海を挟んで東だろう」
「そうなんだよね。こんな場所まで戦線を上げたなんて歴史はないはずなんだ」
「でも、決戦……、臭うわな」
この地は、一つの大きな大陸とそれを囲む巨大な海で出来ている。
端まで行けば、その先は滝となり落ちたものはどこまでも落ち続けるとされているが、落ちて戻ってきたものがいないため正確には分かっていない。
そんな大陸の大きく西側がヒト族、そして東側が魔族の領地となっており、決戦場跡はヒト族の領地からしてかなり北部であり、田舎を通り越した荒れ地でもあった。
「ちなみに、アドラはこの近くまで行ったことはあるのかい」
「昔に一度だけあるよ」
「本当かい!」
「またあたしを道先案内人にするつもりかよ。少しはお前が働け」
「うっ、それは、すいません……」
「船の手配だってこいつがしたしよ」
「それも含めて、こいつ?」
「呼んだぁ?」
「どわぁぁ!?」
素っ頓狂な声をあげてクリスティアンが飛び跳ねる。いきなり背後から音もなく現れたディアナが彼の耳へ吐息を吹き込んだのだから仕方のないことかもしれない。
「船の手配済んだよぉう」
「おつかれ」
「い、今のはする必要あったのかい!?」
「ウチをのけ者にして楽しそうな話をしているからぁ?」
「今後の話をしていただけだよ!」
「いつ出るんだ」
「明日の朝だねぇ」
「聞いてないね……」
生温かい吐息の感触が残る耳を、パタパタと叩きながらクリスティアンは肩を落とす。今さら自身の扱いを訴えるほど彼は諦めが悪くはなかった。
戻ってきたディアナも含めて三人が話し合いをしていれば、ようやくお肉ショックから立ち上がったモニカを連れて子供たちも興味津々と地図を覗き込もうとする。
「ディアナさん、船の準備が出来たって言わなかった?」
「言ったようぅ、ちょうど明日の朝だから今の内に準備しておいてねぇ」
「うん!」
「おー」
「分かりましたわ!」
「……うん?」
元気良い子供達三人の返事に、ディアナは首を傾げてから、面倒だなぁと顔を顰めた。
「どうしましたの、そんな顔をして」
「あー……、どういえば良いか悩んでいるんですけどぉ」
「貴女らしくもありませんわね。言いたいことはもっとはっきりと言うべきですわ」
「ウチとマリナ様はぁ、ここでレオくん達とはお別れですよぉ」
「なんだ。そんなことでしたか。……」
「……」
「どぉぉいうことですのぉぉぉ!!」
「ああ、もう面倒くさいことになったぁ……」
胸倉を掴まれガンガンと揺さぶられるディアナの豊満な胸がマリナの顔に当たるという、まさしく健全な男性には目の暴力にしかならない光景は、幸い見ているのがレオだけだったために特に問題はなかった。
クリスティアンは嫌な予感がしていたので先に視線を逸らしている。
「おわ、お別れ!? わたくしとレオ様がここで!? ど、どういう意味ですの!」
「お別れと言うのは、互いに離れて別々になることを意味しておりましてぇ」
「そういうことを言っているんじゃありませんのぉ!!」
「そうは言いましてもぉ、ウチらはウチらで御国のためにやるべきことがぁ」
騒ぎ続ける二人を余所に、くいくいとアドラの裾を引っ張るのはモニカだった。
少しばかし不満顔な彼女に、アドラは視線を向ける。
「おー、アドラ、アドラ」
「なんだ」
「モニカもマリナといっしょがよい」
「随分と仲良しになったな」
「おー、ともだちになった」
「そいつは良かったな」
くしゃり、と髪を撫でられて、モニカはくすぐったそうに目を細めた。
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