第104話


 幻覚の魔法が直接的な攻撃に使われることは滅多にない。対象なき知覚では、相手を傷つけることが難しいからである。

 そのため専ら陽動、退避の際に使用されるはずの幻覚で生み出された無数の赤毛の化け物が、にディアナは賞賛の口笛を吹いたのだった。


「おっ!? おぉおっ!!」


「ぶはッ! ちょ、ディアナ! 何しているのです! く、首っ! 首が!!」


 振るわれた爪の一撃を、アドラは避けもしなければ受けようともしない。飛んだ首はどこかへ消え、残された肉体から血の噴水が噴きあがる。


「はいはぁい、帽子のお嬢ちゃんはともかくとして、あんたまで引っかからないでほしいかなぁ……」


「こっちッ! こっちに来るのですのォ!!」


「あど、あどらっ! アドッ!」


 後ろへ逃げようとするマリナと前へ駆け出そうとするモニカ。二人の少女を抱きかかえる賢者の顔にはただ面倒くさいと大きく描かれていた。


「はぁ……、面倒くさいなぁ……」


 彼女の手が少女たちの視界を覆う。何も見えない世界で彼女たちが暴れ出そうとも、決してディアナはその手を離そうとはしなかった。

 本体の一撃をいともたやすく防ぎ切ったディアナの魔法防壁を、幻覚の化け物は難なく通り過ぎ、そして、


 ディアナの首をも刎ねてしまう。


 転がり落ちた自身の首を、ディアナは


「ここまで視認させる幻覚って言うのも、すごいねぇ」


 声が出るのは、なくなってしまった首の上。

 落ちた首ではなく、彼女は顔のない肉体だけでその声を発していた。


「感心している暇あったらとっとと解除しろよ」


「おッ!? あど、あどっ!!」


 首を失ったはずのアドラの声にモニカが反応する。覆われた彼女には分からないことだが、アドラもまた首がないまま声を出す。元々顔があったはずの場所から声を。


「分かっているよぉう……。チャマ フナゥフイェ」


 ディアナの魔力が拡散される。

 途端に、無数の化け物は消えてなくなり、そして。


「そっちの聖女は大丈夫なのか」


「まぁ、目を隠してなかったら思い込みで死んでたかもねぇ」


 幻覚の魔法が直接的な攻撃に使われることは滅多にない。滅多にないということは、例外がいくらでもあるということ。

 幻覚で見せた攻撃で、相手が自分が死んだと本当に思い込ませることが出来るのであれば、人間はその思い込みだけで死んでいく。


「あんたの首が飛んだって、ウチも見えたからねぇ……、相当な腕前だよ、これは」


 無傷のままの二人が変わらず路地裏に立っていた。

 場の展開が分からない少女たちは可哀そうにもディアナの腕のなかで暴れまわっている。


「モニカ、落ち着け。あたしは生きている」


「そうそぅ、殺しても死なないような女だしねぇ」


「今回のはそういう話でもねえだろうが」


「お……、おー?」


「ぉぉっと、まだ危ないからここに居てよねぇ」


 目隠しを外されれば、確かに生きているアドラの姿。思わず飛び出しそうになるモニカをしっかりとディアナの腕が逃がさない。


「愛されているじゃなぁい」


「馬鹿言ってねぇで奴さん探すぞ」


「あれま、あれだけの魔法使っておいて逃げちゃったの?」


「気配がしねえ」


 見えない路地へと舌打ちを鳴らすアドラを、さきほどとは打って変わって静かになってしまったマリナが険しい表情で見つめ続けているのであった。



 ※※※



「……ぐッ! ぅ!」


 飛び跳ねる度に身体が軋む。

 苦手な回復の魔法では、癒し切ることができないほどに、彼女の身体は破壊されてしまっていた。


 得意な幻覚の魔法。

 相手を殺すことさえ出来るほどの力量を身に着けた、誰にも負けない自信のある幻覚魔法でもあの二人を殺すことが出来ない。


 だが、

 


 その事実が彼女に退却の決心をつけさせた。


 元々攻撃するつもりもなかったモニカの瞳を、ディアナは覆い隠していた。一緒に居たマリナだけでなく。

 となれば、今はまだモニカの正体に気付いていない。ないしは、なにかしらの理由があってすぐに危害を加えるつもりはない。


 そう判断した彼女は幻覚が消し飛ばされる寸前であの場を後にしていた。

 あの場で無駄死にすることよりも、確実にモニカを奪い返すために。


「おじさん! こっち、こっちだよ!」


「ま、待って、ちょ、ぐわっ!」


 居るとは思っていた。

 彼女が居るのだからどこか近くに必ず居ると思っていた。


 通行人の波に翻弄される憎い男の姿に、彼女は身体が発する痛みという名の信号を無視して再度、呪文を唱えるのであった。

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