第102話


「お、おっ……! おー……」


「いちいち驚いている暇があるならもっと足を早く動かすのですの!」


 光が強ければ強いほど影が濃くなるように、表通りの活気溢れる煌びやかさが嘘のように路地裏というものは暗く狭く汚く、そして何より危険であった。

 散乱するゴミのなかには、割れて尖ったガラス瓶なども平気で転がっており、もしもこんなところで転ぼうものなら全身に切り傷は避けられない。


 二人の少女は理由は違えど、どちらもこちら側を知らずに育てられている。加えてどちらも好奇心は旺盛。

 似ている箇所がありながらも、逃げている最中ということを忘れて周囲に興味を示してしまうモニカとそれを叱咤するマリナという二人の行動に違いが生まれたのは未来に覚悟を見て何をしてきたかの経験の差であろうか。


 逃げる彼女たちのスピードは、通行人が居なくなった分早くはなったものの、道の悪さに実はそれほど変わらない。

 変わらないということは、


「待ちなさいと言っているでしょう!!」


「くッ!!」


 追いつかれるのもまた時間の問題であった。

 路地裏の建ち並ぶ建物の壁を左右に交互に蹴りつけ飛び跳ねて、赤毛の彼女が羽のような軽やかさをもってして、二人の前に飛び降りてくる。


「子どもを傷つける趣味はないの。悪いことは言わない、素直に大人しくその子をこちらへ渡しなさい」


 額に生まれたたんこぶはさきほど樽から転がり落ちた時に出来たものか。少し間抜けさが出ているがそれでも、二人の少女にとって目の前の女性が驚異であることに変わりはなかった。ので、


「ええ。そうさせて頂きますわ」


「おー?」


 マリナは掴んだモニカの手を引っ張って、赤毛の女性へと放り出した。咄嗟のことに何も出来ず前へと倒れ込んでいくモニカへ、女性は慌てて手を伸ばす。


「モニ!」


「チャマ レーフナクゥコ ムゥェ!」


「え……、ぐわぎッ!?」


 三人が一列に並ぶ。そして女性の意識は全てモニカに注がれている。その隙に、マリナは一瞬で練り上げた魔力を風に変え、女性を弾き飛ばしてモニカをすくい上げる。

 短時間で魔力を練り上げ、かつ、異なる二方向の風を生み出す。大人でも出来るものなど少ない離れ業をマリナはやり遂げていた。


「申し訳ありませんが」


 何が起こったか呆然としているモニカの手を掴み、マリナは悠然と己の美しい髪をたなびかす。


「気が変わりましたわ」


「おー……、お? おー、不意打ち」


「ち、ちがッ! これはその策というもので、じゃなくて逃げますの!!」


 油断しきっていた女性は、簡単に弾き飛ばされる。建物の壁に激突し地面へ落ちればガラス片にその身は切り刻まれた。めり込むガラスが地面を赤く染める。


 だが痛むのは、身体よりも彼女の心。


 子どもと侮っていた相手に見事にしてやられたぶざまな自分。これですでに三度も逃げられた己への不甲斐なさ。この事実を報告した際の上司からの評価と同僚の笑い声。


 そんなことなど


「チャマ」


 どうでも良かった。

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